気になる? それはどういう意味だ? 気になるを字面通りに受け取るなら、那織のことだよな。でも、この場合の気になるっていうのは、好意を示している。じゃあ違うよな。
その質問に僕は「いない」と答えた。
本当か? 那織のことはそういう意味じゃない……よな。そうだよな。
ん? だったら僕は、どういう意味で那織のことが気になっているのか?
もしかして、僕は那織のことがそういう意味で気になっている……のか?
小学六年生の夏のことである。
かくして僕は、初恋と呼ばれる現象をようやく観測した。
しかし、観測された初恋は、それを認められない僕の幼さと、物事を斜に構えて語る那織の前では、存在感を誇示することが出来ずに、気付かないくらいゆっくりと、そして静かに輝きを失っていくことしか出来なかった。
ただ、那織への対抗意識から身につけた学力は、私大付属の名の知れた中高一貫校の受験で如何なく威力を発揮した。僕はトップで合格を果たし、高等部一年の今に至るまでずっと、学年一位の座をキープし続けている。
これはただの意地だ。那織より優れていたいという意地でしかない。自分から告白することの出来なかった僕は、そうやって那織に存在をアピールするしか術がなかった。我ながらなんと情けないと思うが、この成績のお陰で、学年では那織以外の人間から高く評価されるようになった。友人と呼べる人間も増えた。
当の那織は僕を打ち負かすことなく、いつも五位以内を彷徨っていた。一位を争ったことはなかった。最高で三位。彼女ほどの頭脳だったら、僕の成績を上回ることも不可能ではないだろう(それはそれで困るけど)と思って、中等部二年の最後の定期考査の前に、「那織は学年一位を目指さないのか」と訊いたことがある。
この質問に対する那織の回答こそが、彼女の性質を端的に表していると僕は思う。
「んー、目指してないことはないけど、今は自分にルールを課してるの。あのね、私は絶対に見直しをしないの。入試の時からずっとそう。それで、誰よりも早くペンを置いて、試験が終わるまで寝ていたい。それで一位取れたら格好良くない? それで最高三位なら、まぁ、良いかって感じ。ちょっとは悔しいけどね。でも、テストを途中で諦めちゃうような子よりも、私の方が終わるの早いんだよ? 凄くない? 早押しなら私がトップだよ」
那織は僕の質問に対し、事も無げにそう言った。これが僕の初恋の相手、神宮寺那織だ。
──マジかよ。
僕は思わずそう口にした。そんなこと、考えたことも無かった。誰よりも早く解くことにしか興味ない? それであの点数? あの順位? 僕にそんな芸当は出来ない。
「もうちょっと時間かけて……と言うか見直しすれば一位は取れると思ってる。あとは問題文をちゃんと読むとか、ね。でもさぁ、結果の分かり切った勝負はつまらないじゃん。別に宣戦布告するつもりはない──おっと布告すべき公衆がいないから、宣戦布告は適当な表現じゃないね──って言いたいのはそこじゃなくて、うん、つまるところ学年主席だとしても油断は禁物だよってこと。あ、もしかして私に勝ったと思ってた?」
……なんだよそれ。僕はずっと手の平の上で踊らされてたってことなのか?
そんなやり方で、学年五位以内をキープし続けることが出来るのは、間違いなく那織くらいだろう。那織がタイムアタックをやめたら、容易く簒位されるのは、火を見るより明らかだ。
「ま、この学年には私より優秀な人間はいないってことかな。って、ちょっと傲慢すぎ?」
信じていたものが崩れ去った。これは敗北だ。
率直に言って、その日、僕は自信を無くした。
自分の方が上だと思っていたのに、ようやく那織を感服させるだけの実力を手に入れられたと思っていたのに、あいつはひとりで勝手に別の戦いを始めていた。
それが意味するのは、僕は「私より優秀な人」にはなれなかったということ。
告白なんて出来なかった。気持ちを伝えることなんて、とても出来なかった。
負けを認めるのは、那織に気持ちを伝える資格を失うことと同義だったから。
こうして僕の初恋は、小さな火種となって心底で燻る事しか出来なくなった。
炎を見ることなんてない。煙が立っているから、火があることに気付くだけ。
それなのにこのゴールデンウィークから僕は、那織と付き合っている。
一ヶ月前までは琉実と付き合っていたにも拘わらず。
この事実だけを述べると、僕はとんでもなく不誠実極まりない男だと思われるだろう。それはある意味正しいので、遺憾ながらも認めざるを得ないのだが、どうしてそうなったのか、という説明をする権利くらいは行使したい。
中学三年に上がる前の春休み、琉実から「付き合ってみない?」と言われた。
それは那織にテストの話を聞いた少し後。那織には勝てないと思い知った頃。
僕なりに敗北感を味わい、那織に勝とうなんて考えが甘かったと痛感した時。
つまり、初恋を告げることなく、そこから目を背けようとしていた時だった。
女子から告白されたのは初めてじゃなかった。手元を見詰め、もじもじする姿に見覚えがあった。だから、いつもの公園のベンチで黙り込んだ琉実を見て、もしかして、という考えはあった。ただ、中学生になってからなんとなく距離を感じていたし、まさかな、という想いもあった。迂闊なことを言って、自惚れてるとからかわれるのも癪だったから、言葉を待った。
琉実から「わたしと付き合ってみない?」と言われた時、やっぱりそういう話だったかという想いと、えっと、これって琉実から告白されたってことだよな……という驚きが綯い交ぜになってしばらく吞み込めずにいた僕は、「いきなりどうしたんだよ」とまずは真意を探ることにした。それこそ真面目に答えて「何? 本気にしたの?」なんて言われたら目も当てられない。しばらくそのネタを引っ張られるだろう。正直なところ、そんな雰囲気じゃなかったけど、様子を見てからじゃないと、取り返しのつかないことになる可能性だってある。
そうしたら、琉実が「お試しみたいな感じでどう?」とか「純だってわたしなら丁度いいでしょ?」なんて言うもんだから、告白が本気なのか余計に分からなくなった。
真意を探ろうとして覗き込んだ琉実の目は、とても真剣だった。部活の試合前と同じ目をしていた。ただ、試合前とちょっと違ったのは、どこか怯えた目をしていたことだ。
琉実は本気なんだと、僕はようやく理解した。
「琉実は本当に僕と付き合いたいの?」