念の為、真意を尋ねた。琉実が冗談で言っていないことは察したが、明確な回答が欲しかった。臆病だとバカにされたとしても、そこはちゃんと確認しておきたかった。
少し間をおいて、琉実が顔を赤らめながら「うん」と返した。
僕らは、その日から恋人になった。
琉実と付き合うにあたって、燻ったままの初恋は過去のこととして決別する。そう決めた。
初恋の相手は双子の妹だったけど、琉実に那織を投影しようとしたわけじゃない。琉実だって子供の頃から一緒に育った仲だったし、人として琉実のことが好きだったから、付き合うことに照れはあっても、抵抗はなかった。那織のことを諦めた僕にとって──どう頑張っても那織に相応しい男には成れないこんな僕のことを、琉実が遠回しに好きだと言ってくれた。
今にして思えば、敗北感に苛まれていた僕にとって、それは一種の救いだったのかも知れない。今までの努力が報われた気がして、なんだか気持ちが楽になった。
なんてああだこうだ言っても、単純に彼女が出来たということが嬉しかった。心の中で雀躍した──だけじゃ足りなくて、ベッドの上で転げ回って、気付けば緩みそうになる頰と格闘した。自分でも痛いと思うが……中学生だったし、そんなもんってことにして欲しい。
そんな訳で付き合い始めた僕らは、中高一貫校の恩恵を最大限に生かし、中学三年という普通なら勉強漬けになる大切な期間を受験に追われることなく、二人だけの日々を重ねることに費やした。中学生らしい、ささやかな秘密と些細な冒険に酔いしれた。
そうやって季節が移ろう中で、僕は琉実のことが好きになっていた。
物事を余計に考えすぎてしまう僕とは対照的に、琉実は子供の頃からいつも前向きで、行動あるのみといった風だった。例えば何かを相談──部活でのスランプだったり、人間関係だったり──した時も、「あれこれ考えても仕方ないんだから、まずは行動」とか「細かいことはイイから、自分がこれだと思ったようにやってみなよ」と背中を押してくれた。
それに何度助けられた──救われたかわからない。
琉実はいつも明るくて、ちょっと怒りっぽいところもあったけど、一緒にいて素直に楽しかった。幼馴染としてじゃなく、自分の彼女として、琉実のことをとても大切に思っていた。
だから僕なりに、琉実の望むようにしてやりたいと思った。
琉実に「ギャップを楽しみたいから、普段はコンタクトにしなよ」と言われて、外ではコンタクトレンズをするようになった。服装もそれなりに気を遣うようになった。
そうやって少しずつ変わっていく僕に対して、「それ、お姉ちゃんの趣味? もしや言われるがままなの? 尻に敷かれてると楽だから?」なんて那織から茶化されたこともあるけど、周囲も含めて色気づく年頃──つまり思春期ということもあって、他の人からあれこれ詮索されることは無かった。
それもそのはず、僕と琉実のことは仲のいい友人には話していたけど、わざわざ喧伝するようなことはしなかった。付き合っている時は別のクラスだったこともあって、僕たちの関係が周りに知れることは無かった。
そもそも、喧伝どころか母親にすら言わなかった。正直、感づかれていたような気もするけど、はっきり言ったことはない。これは単純に、言うのが恥ずかしかったから。
琉実はどうしただろうかと思って訊いてみると、「わたしも言ってない。てか、言う必要なくない?」と言われた。
とは言え、そこは中学生。親は別として、彼女の存在を自慢したいという気持ちもあった。
黙っていることにむず痒さを覚えていた僕は、学校では大っぴらにするのも良いんじゃないかと提案したことがある。だが、「隠れてコソコソ付き合ってる方が楽しくない?」という琉実の言葉に、「それもそうだな」なんて満更でもない風で返した。事実、皆の目を盗んで重ねる逢瀬は、推理小説やスパイ小説が好きな僕にとって、一種の興だった。
何も考えずに、その言葉を額面通りに受け取るくらい、僕は浮かれていた。
どうして琉実が僕らの関係を皆に言わなかったのかを理解したのは、高等部進学を控えた春休みのこと。ちょうど付き合ってから一年を迎えようとする時だった。
僕は唐突に琉実から別れを告げられた。
告白された時と同じように、僕は春休みの夜、琉実に呼び出されたのだ。
琉実は泣くことも、笑うこともせず、いつもの顔で「今日で終わりにしよう」と言った。
もちろんそんなことを言われても納得なんて出来なくて、何度も問い質した。無様なほど琉実に縋った。喧嘩や失敗もあった。思い返せば思い返すほど、原因になりそうなことがあれこれ思い浮かんだ。僕はひたすらどこに原因があったのか琉実に尋ねた。
だけど琉実は、ただ静かに首を振って、「突然こんなこと言われてもびっくりするよね。でも、わたしの中では突然じゃないんだ。もう終わりにするって決めてた。だから何を言われても無理。けど安心して。純のことが嫌いになったとかじゃないから。どっちかって言うと、わたしの問題、かな。わがままでごめん。でも、純と付き合えてとても楽しかったよ。今までありがとう」と言って、ようやく寂しそうな顔をした。
琉実の顔を見ながら、なんて言えば良いのだろうと必死に考えた。
別れるなんて考えられなかった。もう離せなくなっていた。
だって、琉実は初めて出来た大切な彼女だったから。
琉実のことが好きでたまらなかったから。
黙っている僕に琉実が放った言葉は、今でも僕を縛り付けている。
『最後にお願いがあるの。彼女としての、これが最後のお願い。
那織と付き合って。今すぐにでも那織と付き合って。
純にはわたしじゃダメなの。それは那織も同じ。純じゃなきゃダメなんだ……』
そして、琉実は深々と頭を下げ、似合わない言葉遣いで、お願いします、と言った。
それは遺言なんかじゃなくて、僕にかけられた呪いの言葉だった。
僕はその呪いに抗うことの出来ない哀れな男だ。
こうして僕は、初恋の女の子と付き合っている。