一章 彼女と彼女の恋愛事情 ④

 直接本人に手渡すのが確実だったが、なまじ時間がっているがゆえ、なぜすぐ渡さなかったのかと問い詰められた挙句、中身を見たんじゃないのかとすさまじい剣幕で迫られること必至に思えた。そうなればシラを切り通せる自信はない。

 よって正面突破は却下。代替のクレバーな案がこれだ。

 かの美少女はいかなる経緯で小説を読むに至ったのか。気にならないと言えばうそになるが、好奇心は猫をも殺すと言うほどだし、死んでしまったら元も子もない。

 だから明日になったらいつも通り、平凡な一般人として、りんのようなアッパークラスとは関わりのない生活に戻るのがベスト。

 そう心に留め、手にした本をなるべく奥へ入れようとかがんだ。

 その瞬間、


「お、っと?」


 パラリ。本の間から白い何かが抜け落ちた。

 しおりでも挟んであったのかと思い拾い上げたが、そういうわけではない。

 あなの開いた用紙。一枚のルーズリーフが小さく折り畳まれていたらしい。高校生が持っていても違和感のないその紙片に、


「? ????? ???????????」


 しかし、てんの脳はフリーズ。演算処理能力を超えた負荷に、一切の思考が停止した。

 原因はそこに書かれていた、達筆な文字。というか文章。

 別に見たいと思ったわけではなく、落ちたはずみで折り目が開かれてしまっていたため、手に取るだけで自然と目に入ってしまった。表題は、こうだ。



椿つばれいでるダイアリー その392』


 ○月◇日 朝、れいからいつもとは違う匂いがした。「シャンプー変えてみたんです~」


 そんなことをうれしそうに言ってきたが、いえいえ、言われる前から気付いていますとも。

 だって私、あなたと会話するときは分子の一つも逃さないつもりで呼吸しているし。



「……」



 ○月X日 ランチの誘いをまた断ってしまった。これで何度目だろう。

 あーん、私のバカバカ! 印象最悪だよぉ~(これがゲームならやり直せるのにぃ……)。

 でもれいは全然気を悪くした様子もなく「また誘いますね」←かわいい♡ ちゅっちゅ。



「…………」



 ○月△日 れいから新発売のアロマオイルをプレゼントされた。ラベンダーの香り。


「お気に入りで、おに入れたりしてるんです。えへへ、二人でおそろいですね♪」って。

 え、もうこれ結婚したようなものでしょ実質性行為だよね絶対に私のこと好きだよねそうじゃなければ私を誘惑しているとしか考えられないでしょそうでしょねえそうと言ってよ!



「………………」



 うん、まあ、違うよね(落ち着け、私☆)。だってあのは誰にでも優しいんだからさ。

 それは私が一番、よく知ってる。誰も傷つけず、分け隔てなく愛を振りまく純真さ。ときどき、その心を私だけの物にしたいと願う悪魔が現れる。浅ましい自分が憎い。できるのなら今すぐその体を抱き寄せて、首筋に私の物だというあかしの熱い口づけを……。



「ハアッ!?」


 そこでやっと我に返る。

 無駄に洗練された文体なのがいけない。考えるよりも先に文字を追っていた。


「こ、コォレハァ」


 今まで一度もかいたことがない脂ぎった汗が、全身から噴き出す。


れい……? 口づけ……? 私の、物……」


 ポエムか日記か、はたまたそのハイブリッドか。行間も空けずにびっしり書き込まれたそれはまだまだ続いていたが、これ以上読み進める気にはなれない。しんえんに自ら足を踏み入れるようなマゾヒスティックな趣味を、てんは持ち合わせていないのだから。


「…………」


 何も考えず、神速で畳み直した紙を本に挟み、そのまま机の中にぶち込んだ。

 てんは鉄砲玉のように教室を飛び出し、人気のない廊下をスプリント。

 足音がけたたましく反響を繰り返すが速度は緩めず、振り返ることもしない。大鎌をかついだ死神にでも追われているような気分で、一目散に疾駆していた。

 そこからはどうやって家に帰ったかも覚えていない。気が付けばとんにくるまり丸くなっていたてんは、ただひたすら「記憶よ消えろ」とかいに指令を送っていた。

 しかし、その出来事はあまりのインパクトでくっきり脳裏に焼き付いており、どんな天才外科医の手術をもつてしても剝がすことはできそうにない。

 代わりにできたことと言えば精々、このことは墓場まで持っていこうと決意するくらい。よわい十六にしてこんな物騒な慣用句を使う機会に巡り合うとは思いもしなかった。

 そんなある日の夜だった。


     △


 ギャップえという概念が存在する。

 意外性や二面性がプラスに作用することで生まれる、ときめき。

 ツンデレなるキャラが典型例。こわもてのヤクザが捨て犬を拾うと善良な市民が同じ行為をするよりもなぜか高く評価される現象も、これに該当する。

 その意味では、気の強い美人が裏で小説を愛読しているだなんて、ど真ん中のギャップえ。事実、この時点ではてんも「意外とわいいやつなのかも」と好意的な印象を持っていたほどだったが。そこにもう一つ、こんな要素が加わったらどうだ?

 その女は親友に対してベタれ。友情をはるかに逸脱した劣情を、ポエミーな文章にしたためてしまうほどなのだと。ギャップと呼べるのは確かだが、ここまでくるともはやえの成分は行方不明。寒暖差が激しすぎて体調不良を起こすレベル。


「まぁ……あれだけわいけりゃ好きになってもおかしくはない……のか?」


 誰にも聞こえないような声でぽつり。

 四時限目が終わり、昼休みモード一色に染まりつつある教室のただ中。視線の先では今日も今日とてだまりのような笑顔を振りまくれいの姿。


りんちゃん、りんちゃん」


 無邪気に親友のもとへ駆け寄り、「お昼、一緒に食べましょ?」と誘いをかける彼女は夢にも思っていないだろう。その相手から性的な目で見られているなど。

 あの怪文書を見たてんですら半信半疑なのだから。なにせ現在、おもびとであるれいからの誘いを「今日は他に用があるから」とりんは涼やかに断っているわけで。

 本日に限らずこれが日常。友好的なアプローチをかけてくるれいに、りんはつれない態度で接してばかり。はたから見ると心の壁を作っているようにも思えてしまう。

 仲良くおしやべりするだけが女子の友情ではないだろうけど、それにしたってもう少しあいよくできないものか。何より良くないのは、あの顔。ギラついた目は獲物を狩るときの肉食獣そのもの。殺気に近いプレッシャーがたいした者をあまねくすくみ上がらせる。

 実際こうして、はたで見ているだけのてんでさえ背中に冷たい汗をかいており。


「ん?」


 ぜんとした表情でカツカツ歩くりんの姿が、どうしてだろう、視界の中でにわかに大きさを増したと思っていたら、次の瞬間には、


しろてん、だったっけ? あなた」


 机に、ばちん、と。はっきり音が立つくらい勢いよく手のひらをたたきつけ、腰を曲げ、鼻先が触れそうなほど顔を近づけてきた。


「は……イ?」


 その二文字を発するのが精一杯。てんほおづえを突いたまま固まる。

 眼前には人形みたいに整いすぎた相貌。鼻孔をくすぐるのはの香り。それらを感じ取ることのできる距離までりんに接近したのは初めて。テレビでしか知らなかった芸能人を生で見たのに近い感覚。たぶん、遠巻きに見るより十倍は迫力がある。


「ちょっと話があるの。ついてきてもらえる?」

「え?」


 心の奥まで見透かされていそうな褐色の瞳から目を離せず、何を言われたのか理解するまで間ができる。ただ、ざわざわと周囲の空気が騒ぎ立つのは肌で感じていた。

 それもそのはず。奇異の目をたしなめる以外の目的で彼女が教室内の男子に話しかけることなど、知る限り今日まで一度もない。事件に等しい。

 なぜてんがその当事者になってしまっているのか?

 思い当たる節などもはや一つしかない。だが、どうして……


「ねえ?」

「はっ!」


 スゥーっと。吹き付けられた生暖かい吐息で意識を取り戻す。


「ついてこいって言ってるんだけど。オッケーよね?」

「あ、いや……」


 いつの間にやら命令形にコンバートされている。有無を言わさぬ物腰にされつつも、とにかく今は頭の中を整理する時間が必要と英断。


「悪い、無理だ。これから学食で飯食おうって話になってて……な、なあ、そう?」

刊行シリーズ

この△ラブコメは幸せになる義務がある。4の書影
この△ラブコメは幸せになる義務がある。3の書影
この△ラブコメは幸せになる義務がある。2の書影
この△ラブコメは幸せになる義務がある。の書影