一章 彼女と彼女の恋愛事情 ⑦
昼休みをフルに使い泣きじゃくった
「おい、その……」
視聴覚室の角へすっぽり収まり消沈する女のもとまでやってきたはいいものの、
「生きてる、か?」
「……」
答えはない。長すぎるストレートの髪は床に黒い川を作っていた。泣いた赤鬼という童話のタイトルがなぜか思い浮かんだが、どんな内容だったかは思い出せない。
現実逃避していても仕方ないので、とにかく、床に落ちていたネクタイを拾い上げ、持ち主に差し出してみる。
「ほらこれ、締め直せよ。五時限目、もうすぐ始まるぞ」
「……」
「赤い目のままだと戻りにくいから、さっさと泣きやんだ方がいいって」
「……」
対象は沈黙。一向に動く気配がない。こうなったら一発ショック療法でもかましてみようかと思い立ち、不本意ながらも実行に移す。
「非常に申し上げにくいんですけど……さっきからお前パンツ丸見えだぞ」
「死ね」
ダメもとだったが効果は抜群。粘着性のジト目で仰ぎ見てきた女は、釣り上げられたように立ち上がる。やっぱりこいつタッパあるなぁと
一通り拭い終えると、
そして、それから。
居心地悪そうに目を泳がせたが、最終的に
「ごめんな、いろいろ」
無言の圧力に屈した
「なんで、謝るのよ」
「勝手に見たのは事実だし……本の中とか、挟んであったやつとか
「わざとじゃないって言ったじゃない。あれは
「本当だけど」
「なら必要以上に謝ることないでしょ。そういう内罰的なの、ウザい」
「ああ、うん…………え、あれ?」
会話がスムーズに成立していることに、違和感を覚える。
「なに不思議そうな顔してんの」
「いや……ビンタの一発は
「…………」
されたいの? とでも言いたげに右手をグーパーさせたものだから「冗談、冗談です!」即刻訂正。
「勘違いしないで欲しいんだけど……さっきはちょぉ~っと取り乱しただけで。私って、もともとは理知的で大人しいんだからね?」
先ほどの落ち込みぶりはどう見てもちょっと取り乱したというレベルではなかったし、普段の
「言われなくてもわかってるよ」
実際、好奇の視線に対して威嚇することは多々あれども、物理的に手を出すシーンは一度も見たことがない。その意味では安全……なのか?
「ふぅん? あっさり納得されるとそれはそれで気に入らないわね」
「無理やり突っかかるのはよせ」
「はぁ……まったく」
「な、なんだよ?」
大仰に首を振って見せた
「どうしてよりにもよってこんな、ザ・普通みたいな何の特徴もない地味な顔した能天気で
「言葉の暴力って、知ってるか?」
切り裂く
「いいえ……この際ポジティブに考えましょう」
パチン、と。いかにもなしたり顔で指を
「一人で何を盛り上がってる」
「むしろこの点は不幸中の幸いだったとも言えるわ」
「だから何が」
「知られたのがあんたみたいな人間で良かったって言ってるの」
「……って、え?」
出し抜けに前傾姿勢を取った
「黙ってて、くれるんでしょ? 私に関して見知った、全てを」
「あ、ああ……約束、するよ」
吸い込まれそうな
「……よし! なら何も問題はないわね」
ふんす、と。満足げに鼻で息をした
「切り替え早いのな、お前……」
数分前の自我喪失はどこへ。釈然としない
「秘密がばれたって言ってもたった一人なんだから。
「あのな、こっちはハナっからそう言ってんのに……」
どこかの誰かさんが勝手に我を忘れたりするからややこしくなったんだろ……と。
憎たらしい気持ち全開で
「言いたいことがあるなら大きな声で言ってもらえる?」
見事に
こうして直接言葉を交わすうち、
「否定も何も、しないんだな」
「何が?」
「いや、なんつーか……」
「
黙って
「今さら変に隠し立てしたって仕方ないでしょ。私は
否定はおろか、気の迷いだったとはぐらかすことすらなく、だからといって開き直るわけでもない。そこから感じたのは彼女の強い信念と
「もしもあの
「いや生きろ! 親分殺されたヤクザかてめえ!」
「わ……悪かったわね。それくらい好きって言いたかったのよ」
「恋をすると人間って変になるもんなの。あんたも経験あるでしょ?」
「ない」
「カァーッ! 何よそんな死んだ魚の目ぇしちゃって。乙女の純な秘め事をことごとく手中に収めたくせして、自分のことはなーんにも話そうとしないのね?」
「そうじゃなくって……」
チッと今度は正真正銘の舌打ち。煮え切らない
「言っとくけどォ! あんたがさっき『お前の気が済むんなら何でもするから!』って宣言したの聞き逃してないからね?」
「……ハハ」
聞く耳など持たなかったくせして、都合の
「あなた様のお怒りが静まるようならどんなご命令にも従います、首輪をはめられた飼い犬のようにでも、奴隷のようにでもなんなりと……そう言ってたわね、確か」
「言うかボケぇ! 悪乗りして
「似たようなもんでしょ。何でもするってそういう意味なんだから。いい? やる気も誠意もないなら、そんな
「俺だって無責任に言ったつもりは、ひとつも……」
できる範囲でなら力を貸してやりたいと、本気で思っていたからこそ出た言葉だ。
「ならあんたの好きなやつの名前教えなさいよ」
「はぁ?」
「あとその子を思って書いた詩集と小説を全編読ませなさい。そうすれば気が済む」
「お前なぁ……」
「今言ったやつ全部こっちは見られてるのよ? 不公平でしょ」



