1.呪いの言葉と青い塔 ③

 しかし──その腕はくうを切った。

 オスカーは恐るべき反射神経でその一撃をけると、魔物の首をいっせんで切り落とす。

 首が床に落ちる鈍い音。頭を失った巨体は一度左右に揺れ、しかしついに耐えきれず倒れた。


「こんなものか。なかなか面倒だった」


 彼は剣を振ると付着した血を落とす。振り向くと壁際でラザルがあんの表情を見せていた。


「ご無事で何よりです……」

「食らったら無事じゃ済まないからな」


 軽口をたたいてオスカーは前方を見る。石像の死体が消えると同時に、奥の床がうっすらと光り始めた。次の階への転送装置が作動し始めたのだ。


「行くぞ」


 転送装置に向かってオスカーは踏み出す。

 ──だがその瞬間、部屋全体が激しく揺れた。


「何だ!?」


 辺りを見回すと、床のあちこちに穴が空いている。部屋の崩落が仕掛けに含まれているのだろう。残った部分も徐々に崩れ始めていた。


「ラザル、急げ!」


 オスカーは肩越しに振り返って、そしてがくぜんとする。壁際にいたラザルと彼の間には、かなりの大きさの穴が空き、ラザルは完全に孤立してしまっていた。

 今、自分が跳べばぎりぎり届くかもしれない。しかしラザルにこの距離を跳ぶのは無理だ──そう判断したオスカーは、ラザルの方に向かってきびすかえす。


「待ってろ!」


 部屋の床はどんどん崩れ落ちていき、遥か下方に一階の床が見える。転送装置へ向かうための床も飛び石状態になりつつあった。

 しかしラザルは、自分の方へと向かってくる主人を、両手を前に出してとどめた。


「殿下、先にお行きください」

か! 落ちるぞ」

「いえ、平気です。私、申し訳ありませんが、先に帰っております」


 そう言ってラザルは蒼白な顔で、しかし微笑んで深く礼をした。


「どうか先に……。貴方が王になられる日を心より楽しみにしております」


 物心ついた頃よりずっとそばに居た従者は、頭を上げぬままそう告げる。僅かに震える声音にはしかし築き上げられた覚悟が込められていた。


「待て、ラザル!」


 声に焦りがにじむ。届かない腕を伸ばす。

 だが次の瞬間──激しいごうおんと共に、ラザルの立っている一帯の床が崩れ落ちた。



 残りの階は五つ。

 どれも難解な謎解きや強力な魔物が配されていたが、オスカーはそれら全てを淡々と切り抜けた。

 元々一人で登ってきたようなものだ。ラザルがいなくなっても戦力的には支障はない。ただ、何とも言えない虚脱感が全身を支配していただけだ。七十年前、十人の仲間と共にこの塔を登り、そして一人だけ辿りついた<外字>祖父もこんな気分を味わったのだろうか。

 そんなことを考えながら、彼はついに最上階の扉の前に立った。



 扉を開けてまず目に飛びこんできたのは、大きな窓から見える景色だ。

 塔の最上階だけあって、ずいぶん遠くの荒野の果てまで見通せる。落ちかけた日が赤く照らす自然は雄大で美しく、オスカーは言葉を失った。今までこれほど高所から景色を眺めたことはない。外からは柔らかい風が吹きこみ、彼の髪を揺らしていく。

 部屋は広く、しかし雑然としている。壁際にはよく分からない物々が無造作に積み上げられており、それらは剣や箱、つぼや像など様々だ。魔法の品も多く混ざっているのだろう。

 けれどそれら雑然とした品々を端に寄せて残った部分は、ごく普通の人が住む部屋だ。


「──ようこそ」


 笛のように細い声が彼の耳を打った。声の主は、死角になる奥の部屋にいるようだ。


「お茶をれてあります。こちらへどうぞ」


 腰の剣に手を掛けたまま、オスカーは慎重に歩を進めた。奥の部屋の、入り口とあまり変わらぬ物の多さが目に入る。左手の窓際には、小さな木のテーブルと湯気の立つカップが見えた。彼は深く息を吸うと、全身を緊張させて更に一歩を踏み出す。

 彼女はそこに、彼に背を向けて立っていた。


「あなたの連れは一階で眠ってます。はありませんよ」


 魔女は、そう言うと振り返って微笑んだ。






「初めまして。私はティナーシャといいます。もっとも私を名前で呼ぶ人はほとんどいませんが」


 さらりとした挨拶は拍子抜けするくらいの軽さだ。

 彼女に勧められ椅子に座ったオスカーは、うさんくさそうに問いかけた。


「お前が『魔女』? そうは見えないな」

「『魔女』に見かけを問うなんて愚問ですよ」


 可笑おかしそうに小首を傾げたティナーシャは、どう見ても十六、七歳の美しい少女だ。黒いローブを着ているわけでも、しわだらけの老婆でもない。質のよい生地でできた、しかし動きやすそうな平服で彼の向かいに座っている。

 ただ特筆すべきは、彼女がたぐいまれな美貌の持ち主であるということだろうか。

 長い黒髪と陶磁器のような白い肌。深い闇色の両眼は夜を水晶に閉じこめたかのようだ。どこか物憂げな、そしてせいひつな美貌は、今まで見たどんな姫君よりも印象的だった。

 オスカーは素朴な疑問を口にする。


「その外見は魔法で変えてあるのか?」

「失礼なことを聞く人ですね。地です地」

「何百年も生きてるそうだが。皺がないぞ」

「人の数倍は生きてますね。体は成長を止めてあるだけです」


 彼女は赤い花弁のような唇をカップにつける。想像していた『魔女』との落差に、オスカーは肩透かしを覚えた。その反応が予想のはんちゅうだったのか、ティナーシャは苦笑して先を促す。


「それで? 次は貴方がお話する番じゃないですか? ほぼ一人でここまで登ってきたのは貴方が初めてなんですよ。折角だから名乗ってください」


 言われて彼は眉を上げると姿勢を正した。自然と滲む高貴さと威厳が、彼の雰囲気を変える。


「失礼した。俺はオスカー・ラエス・インクレアートゥス・ロズ・ファルサスという」


 その名前の末尾に、魔女は軽く目をみはった。


「ファルサス? ファルサス王族?」

「第一王位継承者だな」

「レギウスの子孫?」

まごにあたる」

「へえええええええええ」


 ティナーシャはじろじろとオスカーの全身を見回した。


「そういえばちょっと似てる……かも? レギウスの方が人の良さが顔に出てましたけど」

「人が悪そうで悪かったな」


 平然とかわすオスカーに、魔女は声を出して笑った。


「ごめんなさい。でも貴方の方がいい男ですよ。レグは純真すぎてちょっと幼いところがありましたから……」


 そう言って窓の外を眺めた彼女の瞳に、瞬間懐かしさ以上のものがあふれるのをオスカーは見た。

 長き時を生きてきた者が見せるその目には確かに、この少女こそが『青き月の魔女』その人なのだと確信させる感傷がある。

 だがその感傷も、彼女が視線を戻した時にはれいに消え失せていた。まるでただの少女のように微笑む彼女に、オスカーは気になって尋ねる。


「お前はここに一人で住んでいるのか?」

「使い魔がいますけどね。リトラ!」


 主人の呼び声に答えて、部屋の入り口にリトラが音もなく姿を現した。性別を持たぬ使い魔はオスカーに向かって一礼する。


「お初にお目にかかります、リトラと申します。お連れ様は術が効いてよく眠ってらっしゃるので、毛布を掛けてまいりました」

「ああ、悪い」


 ラザルは無事で、今のところティナーシャに敵対姿勢は見られない。これではまるでただのお茶会だ。オスカーがカップに口をつけると心地よい香りが顔をくすぐる。それはちまたでまことしやかに囁かれる塔の印象とはかけ離れたものだ。


「ここに挑戦して帰ってこない連中はどうなったんだ? 集団埋葬でもしてあるのか?」


 その質問にティナーシャは露骨に顔をしかめる。


「人の住居の周りを勝手に墓場にしないでくださいよ。塔の中で死体を出したくないんで、死なないようにはしてあります」

「あの石像に殴られたら普通死ぬぞ」

刊行シリーズ

Unnamed Memory -after the end-VIの書影
Unnamed Memory -after the end-Vの書影
Unnamed Memory -after the end-Extra Fal-reisiaの書影
Unnamed Memory -after the end-IVの書影
Unnamed Memory -after the end-IIIの書影
Unnamed Memory -after the end-IIの書影
Unnamed Memory -after the end-Iの書影
Unnamed Memory VI 名も無き物語に終焉をの書影
Unnamed Memory V 祈りへと至る沈黙の書影
Unnamed Memory IV 白紙よりもう一度の書影
Unnamed Memory III 永遠を誓いし果ての書影
Unnamed Memory II 玉座に無き女王の書影
Unnamed Memory I 青き月の魔女と呪われし王の書影