1.呪いの言葉と青い塔 ③
しかし──その腕は
オスカーは恐るべき反射神経でその一撃を
首が床に落ちる鈍い音。頭を失った巨体は一度左右に揺れ、しかしついに耐えきれず倒れた。
「こんなものか。なかなか面倒だった」
彼は剣を振ると付着した血を落とす。振り向くと壁際でラザルが
「ご無事で何よりです……」
「食らったら無事じゃ済まないからな」
軽口を
「行くぞ」
転送装置に向かってオスカーは踏み出す。
──だがその瞬間、部屋全体が激しく揺れた。
「何だ!?」
辺りを見回すと、床のあちこちに穴が空いている。部屋の崩落が仕掛けに含まれているのだろう。残った部分も徐々に崩れ始めていた。
「ラザル、急げ!」
オスカーは肩越しに振り返って、そして
今、自分が跳べばぎりぎり届くかもしれない。しかしラザルにこの距離を跳ぶのは無理だ──そう判断したオスカーは、ラザルの方に向かって
「待ってろ!」
部屋の床はどんどん崩れ落ちていき、遥か下方に一階の床が見える。転送装置へ向かうための床も飛び石状態になりつつあった。
しかしラザルは、自分の方へと向かってくる主人を、両手を前に出して
「殿下、先にお行きください」
「
「いえ、平気です。私、申し訳ありませんが、先に帰っております」
そう言ってラザルは蒼白な顔で、しかし微笑んで深く礼をした。
「どうか先に……。貴方が王になられる日を心より楽しみにしております」
物心ついた頃よりずっと
「待て、ラザル!」
声に焦りが
だが次の瞬間──激しい
残りの階は五つ。
どれも難解な謎解きや強力な魔物が配されていたが、オスカーはそれら全てを淡々と切り抜けた。
元々一人で登ってきたようなものだ。ラザルがいなくなっても戦力的には支障はない。ただ、何とも言えない虚脱感が全身を支配していただけだ。七十年前、十人の仲間と共にこの塔を登り、そして一人だけ辿りついた<外字>祖父もこんな気分を味わったのだろうか。
そんなことを考えながら、彼はついに最上階の扉の前に立った。
扉を開けてまず目に飛びこんできたのは、大きな窓から見える景色だ。
塔の最上階だけあって、ずいぶん遠くの荒野の果てまで見通せる。落ちかけた日が赤く照らす自然は雄大で美しく、オスカーは言葉を失った。今までこれほど高所から景色を眺めたことはない。外からは柔らかい風が吹きこみ、彼の髪を揺らしていく。
部屋は広く、しかし雑然としている。壁際にはよく分からない物々が無造作に積み上げられており、それらは剣や箱、
けれどそれら雑然とした品々を端に寄せて残った部分は、ごく普通の人が住む部屋だ。
「──ようこそ」
笛のように細い声が彼の耳を打った。声の主は、死角になる奥の部屋にいるようだ。
「お茶を
腰の剣に手を掛けたまま、オスカーは慎重に歩を進めた。奥の部屋の、入り口とあまり変わらぬ物の多さが目に入る。左手の窓際には、小さな木のテーブルと湯気の立つカップが見えた。彼は深く息を吸うと、全身を緊張させて更に一歩を踏み出す。
彼女はそこに、彼に背を向けて立っていた。
「あなたの連れは一階で眠ってます。
魔女は、そう言うと振り返って微笑んだ。
※
「初めまして。私はティナーシャといいます。もっとも私を名前で呼ぶ人はほとんどいませんが」
さらりとした挨拶は拍子抜けするくらいの軽さだ。
彼女に勧められ椅子に座ったオスカーは、うさんくさそうに問いかけた。
「お前が『魔女』? そうは見えないな」
「『魔女』に見かけを問うなんて愚問ですよ」
ただ特筆すべきは、彼女が
長い黒髪と陶磁器のような白い肌。深い闇色の両眼は夜を水晶に閉じこめたかのようだ。どこか物憂げな、そして
オスカーは素朴な疑問を口にする。
「その外見は魔法で変えてあるのか?」
「失礼なことを聞く人ですね。地です地」
「何百年も生きてるそうだが。皺がないぞ」
「人の数倍は生きてますね。体は成長を止めてあるだけです」
彼女は赤い花弁のような唇をカップにつける。想像していた『魔女』との落差に、オスカーは肩透かしを覚えた。その反応が予想の
「それで? 次は貴方がお話する番じゃないですか? ほぼ一人でここまで登ってきたのは貴方が初めてなんですよ。折角だから名乗ってください」
言われて彼は眉を上げると姿勢を正した。自然と滲む高貴さと威厳が、彼の雰囲気を変える。
「失礼した。俺はオスカー・ラエス・インクレアートゥス・ロズ・ファルサスという」
その名前の末尾に、魔女は軽く目を
「ファルサス? ファルサス王族?」
「第一王位継承者だな」
「レギウスの子孫?」
「
「へえええええええええ」
ティナーシャはじろじろとオスカーの全身を見回した。
「そういえばちょっと似てる……かも? レギウスの方が人の良さが顔に出てましたけど」
「人が悪そうで悪かったな」
平然とかわすオスカーに、魔女は声を出して笑った。
「ごめんなさい。でも貴方の方がいい男ですよ。レグは純真すぎてちょっと幼いところがありましたから……」
そう言って窓の外を眺めた彼女の瞳に、瞬間懐かしさ以上のものが
長き時を生きてきた者が見せるその目には確かに、この少女こそが『青き月の魔女』その人なのだと確信させる感傷がある。
だがその感傷も、彼女が視線を戻した時には
「お前はここに一人で住んでいるのか?」
「使い魔がいますけどね。リトラ!」
主人の呼び声に答えて、部屋の入り口にリトラが音もなく姿を現した。性別を持たぬ使い魔はオスカーに向かって一礼する。
「お初にお目にかかります、リトラと申します。お連れ様は術が効いてよく眠ってらっしゃるので、毛布を掛けてまいりました」
「ああ、悪い」
ラザルは無事で、今のところティナーシャに敵対姿勢は見られない。これではまるでただのお茶会だ。オスカーがカップに口をつけると心地よい香りが顔をくすぐる。それは
「ここに挑戦して帰ってこない連中はどうなったんだ? 集団埋葬でもしてあるのか?」
その質問にティナーシャは露骨に顔を
「人の住居の周りを勝手に墓場にしないでくださいよ。塔の中で死体を出したくないんで、死なないようにはしてあります」
「あの石像に殴られたら普通死ぬぞ」



