1.呪いの言葉と青い塔 ④

「致命傷は当たったと判定された瞬間に一階に飛ばされます。失格者はその後、記憶を適当にいじって大陸のあちこちに転送しましたよ。ほとんどが腕試しや名声を上げたい人たちですし、これくらいの代償は覚悟の上でいて欲しいですね」


 微笑がえんぜんとしたものに色を変える。そうしてお茶を飲む彼女には塔の主人としての威風があった。仕草の上品さと美貌もあいまって、場所が場所なら王族と言っても通っただろう。

 オスカーが軽く目を瞠った時、リトラの声が割って入る。


「でも、マスターは子供の病気を治して欲しいとかでいらした挑戦者には、失格しても治してさしあげましたよ」

「余計なことを言うな」


 彼女はばつの悪い表情になるとオスカーから目をそらす。先ほどまでの威圧感は一瞬で消え、まるで外見より幼い少女のようだ。一向に定まらない印象に、オスカーは可笑しくなった。


「摑み所がないな」

「なくていいです」


 くされた返事がかえってわいらしい。


「街に下りたりしないのか? 他の魔女はもっと人前に現れているようだが」

「自分で買い出さなければいけないものがあれば下りますけどね……。あんまり無闇に人に干渉したくないんですよ。私の力はまぐれでふるっていいようなものじゃないですから」

「なるほど。その姿勢は『沈黙の魔女』にも見習って欲しいものだ」


 突如出てきた別の魔女の名に、ティナーシャは首を傾げた。


「それは、貴方がここに来た目的に関係することですか?」





「──そういうわけで、呪いを解いて欲しい」


 彼女の疑問に応えて、オスカーは十五年前の夜の出来事を軽く説明した。

 ティナーシャは腕組みをし、眉をひそめて聞いていたが、話が終わると深いためいきをつく。


「何でそんな呪いをもらったんですか」

「父が話したがらないから、原因は突っこんで聞いたことは無い。その前に亡くなってる母に関係してるらしいんだが」

「……そうですか」


 彼女は瞬間、何かに気づいたように目を細めたが、オスカーがげんに思う前に、すぐ表情を元に戻した。腕組みを解くと、人差し指で自分のこめかみを軽くつつく。


「先にお断りしておくと、『呪い』というのは必ずしも解けるわけじゃないんです」

「というと?」

「いわゆる『魔法』は共通の法則に基づいて構成、発動しますが、『呪い』には法則がないんですよ。言語……それは言葉だけじゃなく、身振りなど伝達方法全てを含みますが、任意の言語に自分で定義した意味を持たせ、魔力を込めるのが『呪い』なんです。当然かける人間によって異なってきますから……極端な話、かける時に解呪の存在を定義していないと、術者にも解けません」

「……解けない?」

「解けません。ただその代わり『呪い』というのはそんなに強力な力を持てないんですよ。自然の力の流れを個人の意志によって遮ったり曲げたりするものですから。人を直接殺したりする力はないんです。せいぜい間接的に働くくらいで……それも避けられないものではありません」


 オスカーは怪訝に思って聞き返す。


「けど、この呪いは結構強力じゃないか」

「そう、貴方の呪いはその域を超えてますよね。それはかけられているものが実は『呪い』じゃなくて『祝福』や『守護』と言われる類のものだからなんです」

「は?」


 ぜんとしたオスカーを前に、ティナーシャは椅子から腰を浮かす。ほっそりとした体がテーブルの上に乗り出し、その白い手が彼に伸ばされた。

 処女雪を思わせる肌。近づいてくる魔女の指を、オスカーはいちべつしただけで止めない。

 けれど柔らかなてのひらは彼には触れず、顔のすれすれを拭うようにでていった。

 ──そこに瞬間、うっすらと赤い紋様が浮かび上がる。


「何だ?」

「貴方にかけられてる『祝福』を可視化したんですよ。これでほんの一部分ですけど」


 ティナーシャが手を引くと、たちまち紋様は見えなくなる。彼女は椅子に座り直した。


「基本的に『祝福』も『呪い』と同じ方法でかけるんですが、力の方向が違います。元々ある力を後押ししてやるんです。だからこちらは、術者の力量によってはかなり強力なものがかけられます。貴方にかけられているものは、それを逆手にとって、おそらくは胎児に非常に強力な力をまとわせて守護させるようになってるんでしょう。普通の母体はまず耐えられません」


 オスカーは、彼にしては非常に珍しいことに意表をつかれてぼうぜんとしてしまった。向かいでは魔女が、気の毒そうにそんな彼を見つめている。


「えーと、つまり、結局、解けない……と?」

「かけられているものが解析できれば、魔法で軽減することもできますが、二十くらい絡み合ってかけられてますからね……。さすが沈黙の魔女」


 ティナーシャは見えにくいものに目を凝らすように、両眼を細めて彼の胸元に焦点を合わせる。


「非常にお気の毒ですが……」

「おーい……」


 気まずい沈黙がその場に流れる。

 いつまでも続きそうな重い空気を打ち破って、ティナーシャは立ち上がると両手を軽く叩いた。


「せっかく来て頂いたのにこれではなんなので、私もできるだけのことはしますよ」


 そう言うと彼女は部屋の奥から水盆を持ってきてテーブルの上に置いた。水盆の中には魔法の紋様が刻まれており、薄く張られた水が落日を受けてきらめく。


「何か手段があるのか?」

「単純な対策があります」


 魔女は椅子に座りなおすと、右手を水盆の上にかざした。風もないのに水面に波紋が生まれる。


「胎児の守護力に母体が耐えられないのが問題なので、それが可能な強い女性を選べばいいんです」

「……確かに単純だが。そんな女がいるのか?」

「きっと、大陸に一人か二人はいるんじゃないかと……多分。魔力と魔法耐性を重視して探してみますから、他は目をつぶってください」


 水盆にどこか遠くの森の景色が映し出される。オスカーは頭痛のしそうな額を手で押さえた。


「人妻や老人子供だったらどうするんだ」

「人妻は人道にはずれるのでどうにもできませんが、老人は魔法で何とか……。子供だったら自分好みに育てられてお得ですよ! 王族なら二十歳差の婚姻とか普通ですし」


 ティナーシャは作られた笑顔で、明るく返す。


「とにかく探すんで、前向きにお願いします」

「おーい……」


 本当に頭痛がしてきた気がして、オスカーはついに両手で頭を抱えた。

 少なくない期待を持って塔に挑戦したにもかかわらず、「最強」と言われる彼女でこうである。しかもかけた当の魔女でもおそらく解けないとは、他に手段がないもいいとこだ。これはもう「前向き」とやらにならなければならないか……と考えて、ふとオスカーはあることを思いついた。


「ティナーシャ」

「うわ、びっくりした! 何ですか」

「何でびっくりするんだ」


 驚きに呼応してか、水面が触れてもいないのに跳ね上がってテーブルをらした。ティナーシャは濡れた右手を払う。


「名前を呼ばれることが滅多にないので……」

「名乗っておいて何を言う」

「すみません」


 ティナーシャはリトラから布を受け取ってテーブルの水を拭き取った。布を畳みながら問い返す。


「で、何ですか?」

「ああいや、お前はどうなんだ」


 質問の意図が摑めないティナーシャは、自分の顔を指差して怪訝な顔をした。それに応えてオスカーは尋ねる。


「お前は、沈黙の魔女の魔力に耐えられるのか?」

「そりゃ余裕で耐えられますけど……って……」


 ようやく理解したティナーシャの顔色がみるみる青ざめていく。


「じゃあ決まりだな」


 オスカーは椅子に深く座りなおすと、お茶を最後まで飲み干した。対面にいるティナーシャは真っ青な顔で腰を浮かしている。


「え、ちょっと待ってください……」

「いるかどうか分からない女を捜すより確実じゃないか。俺の達成者としての望みは、お前がここを下りて俺の妻になること、でいこう」


 当然の権利のように出された要求。それを聞いたティナーシャは、愕然と凍りついた。

 だがすぐに小さな両手がテーブルを叩く。


「う、受け付けられませんよ、そんなの!」

刊行シリーズ

Unnamed Memory -after the end-VIの書影
Unnamed Memory -after the end-Vの書影
Unnamed Memory -after the end-Extra Fal-reisiaの書影
Unnamed Memory -after the end-IVの書影
Unnamed Memory -after the end-IIIの書影
Unnamed Memory -after the end-IIの書影
Unnamed Memory -after the end-Iの書影
Unnamed Memory VI 名も無き物語に終焉をの書影
Unnamed Memory V 祈りへと至る沈黙の書影
Unnamed Memory IV 白紙よりもう一度の書影
Unnamed Memory III 永遠を誓いし果ての書影
Unnamed Memory II 玉座に無き女王の書影
Unnamed Memory I 青き月の魔女と呪われし王の書影