1.呪いの言葉と青い塔 ⑤

「できるだけのことはすると言ったじゃないか」

「限度があります! 無理です無理!」


 青い顔でむきになっている魔女を、オスカーは面白そうに見返した。


「実は結婚しているとかか?」

「結婚歴はありません」

「恋人がいるとか」

「いたことはないです」

「老人は何とかできるそうだが」

「確かに老人だけど老人よばわりは腹立たしい! とかそういうことじゃなくて!」


 ティナーシャは身を乗り出して、引きつった笑いを浮かべた。額には冷や汗が浮かび始めている。


「『魔女』の血を王家にいれようなんて、正気じゃないです。重臣たちがそろって吐血しますよ」

「それはちょっと見てみたいな……」


 必死の抵抗をのらりくらりとかわすオスカーに、魔女は脱力して椅子に崩れ落ちた。


「レグに似てるんだか似てないんだか……すごい性格ですね」

「人が悪いんだな」


 しれっと答える彼をねめつけると、彼女は頭を振って呼吸を整える。


「とにかく駄目です。そんな望みが通るなら、私は今頃あなたの曾祖母ですよ」


 その言葉にオスカーは内心、かなりの驚きを覚えた。

 が、同時に不思議と納得するものもある。

 彼の純真すぎたという<外字>祖父はおそらく、七十年前この魔女に魅了されたのだ。しかしティナーシャはその申し出を受けなかった。ファルサスに伝わる御伽噺とは大分違う過去の出来事に、オスカーは少しだけ興味を抱いた。詳しい話を聞いてみたいが、会ったばかりでそれはしつけだろう。彼は子供のような疑問を飲みこむ。


「曾祖父は引き下がったかもしれないが、俺は俺だから特に関係ないというか」

「何言っちゃってるんですか。どっちも駄目! 一律駄目!」

「七十年も経ってるのに一律とかどうなんだ。もっと柔軟に構えてみろ」

「柔軟にも程があるし!」


 騒ぎ立てる主人の脇から、リトラが手を伸ばして空のカップを下げる。

 使い魔がそうして新しいお茶を入れたポットを持ってきた時、二人はまだ押し問答をしていた。

 オスカーはしれっとしているが決して引かず、魔女は精神的にかなり疲労してきているようだ。

 ついに限界に達した彼女は、溜息をついた後、投げやりに言った。


「あーもう、あんまり聞き分け悪いと、記憶弄って城に戻しちゃいますよ!」

「その発言は人としてどうなんだ」

「それはこっちの台詞せりふです」


 ティナーシャは立ち上がると、にっこり笑いながら右手をオスカーの方にかざした。何かがその手の中に収束していく。空気の流れが急に変わった。


「おいおい、反撃するぞ」


 悠長に構えていたオスカーも、さすがに腰を浮かして剣を抜きかけた。その剣のつかを見て、ティナーシャは露骨に嫌な顔をする。


「なんでそんなの貴方が持ち歩いてるんですか。国宝扱いでしょう」

「こういうものは実用した方がいいからな」


 両刃のよく磨かれた剣身は、ティナーシャの視線を受けて鏡のように煌いた。剣の柄には年代物の装飾が施されている。

 ──ファルサスに伝わる王剣アカーシアは、絶対魔法抵抗を持つ世界で唯一の剣だ。

 その昔、人ならざる者が、湖から抜いて与えた剣だという伝説もあるが、詳しくは定かではない。建国時からある王剣とあって、今まではめったに実戦には使われず、王が公式の場で帯剣するのみだったが、オスカーはその剣を普通に自分のものとして扱っていた。当然ながら魔法士には「天敵」といっていい代物だ。それは魔女であるティナーシャにとっても例外ではない。

 彼女は苦い顔でしばらくちゅうちょすると、構成しかけていた魔法をかき消す。


「うー。もうちょっと話し合いますか」

「まったくだ。落ち着け」


 二人が座りなおした隙に、リトラはお茶を注ぎなおした。ティナーシャは乱れかけた黒髪を手でかき上げる。


「貴方、ちょっとおかしいくらい頑固ですよ。そろそろ譲ってください」

「お互い様だと思うが……」


 オスカーは思案顔でお茶に口をつける。その時、ふとあることを思い出した。


「そういえばお前、七十年前はファルサスの城でしばらく暮らしてたらしいな」

「半年間くらいですね。魔法教えたり花育てたりしてましたよ。結構面白かったです」


 想像できるようなできないような暮らしにオスカーは首をひねった。


「それが<外字>祖父の望みだったのか?」

「いいえ」


 ティナーシャは目を閉じて微笑む。きっぱりとした口調からは、レギウスの本当の望みは何だったのか、教える気がないことが伝わってきた。

 オスカーは軽く片眉を上げたが、彼女の意をんでそれ以上重ねて問うことはしない。代わりにしたことは、思いついた望みを口に出すことだ。


「じゃあこうしよう。一年間ここを出て、ファルサスで、俺の傍で暮らす。これが達成者としての要求だ。これなら受け入れられるか?」


 言われたティナーシャは予想外の要求にきょとんとした。

 しかしここまでを振り返って考えると、彼にしてはかなりの譲歩だ。

 一年は、彼女にとっては決して長くない。かつて瞬きするほどの短い間、人と共に暮らしたファルサスの懐かしい風景が目に浮かんだ。

 魔女は深く息を吸いこむ。そして、それを全て吐き出したとき、彼女の心は決まった。


「いいでしょう。ならば私は、貴方の守護者として塔を下りましょう。今日から一年間、貴方が私の契約者です」


 ティナーシャはすっと腕をあげると、白い人差し指をオスカーの額に向ける。指先に淡く白い光が灯ると、それは彼女の指を離れて空中を滑るように動き、オスカーの額の中に吸いこまれた。

 彼は自分の額を指で探ったが、特に変わったことは何もない。


「何をしたんだ?」

「目印です。とりあえずの」


 魔女は微笑んで立ち上がると、両手を上げて伸びをした。硬くなっていた体をほぐす。


「塔を出るなら入り口閉めないとね。リトラよろしく」

「かしこまりました」


 リトラが部屋から立ち去るとオスカーも席を立つ。

 日はすっかり落ち、遠くの山間に残光が見える。彼はティナーシャの横に立つと、自分より大分背の低い彼女を、人の悪い笑顔で覗きこんだ。


「途中で気が変わったらファルサスに永住してもいいぞ」

「変わりませんよ!」


 こうして『青き月の魔女』はファルサス王太子の守護者として、おおよそ七十年ぶりに歴史にその姿を現すことになった。彼女自身の運命を覗きこむ物語は、これより始まる。




「ラザル! 起きろ!」


 主人の声に彼が反射的に飛び起きると、そこは塔の前、馬を繫いだ木の陰だった。ラザルはきょろきょろと辺りを見回し、すぐ後ろにいたオスカーを見上げる。


「あれ、殿下……私は塔を……登ってたんでしたっけ……もう夜?」

「いいから帰るぞ。起きろ」


 はっきりしない頭と記憶に、首を捻りながらラザルは立ち上がった。馬を繫いでいた縄を解く。


「お帰りでよろしいんですか?」

「ああ、もう用は済んだからな」


 不思議に思いながらも馬を引いて戻ったラザルは、その時初めて主人の陰に誰かが立っていることに気づいた。年若く美しい少女は、ラザルの視線に気づくと花のように微笑む。どこの国の出か分からない黒い髪と白い肌、力を帯びた闇色の両眼にラザルはすっかり飲まれてしまった。


「殿下、この方は……」

「魔女の弟子で、塔を出るからしばらくファルサスで暮らすことになったんだ」

「ティナーシャと申します」


 少女が丁寧にお辞儀をしたので、ラザルも慌てて頭を下げた。塔を出るという割には、彼女はその身一つで何の荷物も持っていない。そのことを不思議に思いながら、ラザルは馬を引く主人に近づいて耳打ちする。


「魔女の弟子ってことは、魔女に会ったんですか?」

「ああ、会ったぞ」

「とって食われませんでしたか」

「お前、殺されるぞ……」


 オスカーはあんじょうに飛び乗るとティナーシャに手招きをした。彼は心配顔のラザルに何か言いかけて、不意に苦笑する。


「まぁ色々、面白かったな」


 そのままオスカーは、何故なぜか苦い顔をしている少女の手を取ると馬上に引き上げた。小柄な彼女は鞍の上、彼の前に収まると長いまつを伏せる。


刊行シリーズ

Unnamed Memory -after the end-VIの書影
Unnamed Memory -after the end-Vの書影
Unnamed Memory -after the end-Extra Fal-reisiaの書影
Unnamed Memory -after the end-IVの書影
Unnamed Memory -after the end-IIIの書影
Unnamed Memory -after the end-IIの書影
Unnamed Memory -after the end-Iの書影
Unnamed Memory VI 名も無き物語に終焉をの書影
Unnamed Memory V 祈りへと至る沈黙の書影
Unnamed Memory IV 白紙よりもう一度の書影
Unnamed Memory III 永遠を誓いし果ての書影
Unnamed Memory II 玉座に無き女王の書影
Unnamed Memory I 青き月の魔女と呪われし王の書影