2.繰り返し触れられる過去 ①

 大陸には現在、四大国とよばれる四つの強国がある。

 そのうちの一つが大陸中央部に広い領土を持つファルサスだ。

 暗黒時代に建国されたこの国は、王剣アカーシアを象徴としているせいか、また七百年もの間揺るぎない治世を続けているせいか、武力の国との印象が強い。

 それは平時にあっても変わらず、城に仕える者は毎日のようにたゆまぬ訓練を積んでいる。


「……勤勉さは相変わらずですね」


 城の外壁にあたる回廊から、ティナーシャが見下ろしているのは兵士たちの詰め所だ。

 そこには大きな広場があって、先ほどから模擬試合が行われている。これも訓練の一環なのだろう。一対一の試合を、少し離れたところから他の兵士たちが囲んで見学していた。

 ティナーシャは石塀にもたれかかって彼らを眺める。そうしているとただの美しい少女にしか見えないが、実際の彼女は大陸最強と謳われる魔女だ。

 もっとも、七十年前にはそれは周知の事実だったが、今回の入城では真の素性を伏せている。

 彼女自身がどうであろうと、一般的に魔女とは忌避される存在なのだ。三百年ほど前にはその怒りを買って、一夜にして滅びた小国さえある。人々が恐怖を抱くのも無理はない。

 正体を伏せることを提案したのはティナーシャだったが、オスカーもそれに賛同し、現在の彼女の身分は見習い魔法士となっている。

 髪をく白い指には、他の魔法士の目をやりすごすために、魔力を封じるふうしょくの指輪がいくつかめられていた。同様にりょうにも魔法の紋様が入った封飾をつけている。


「っ……」


 不意に強い風が吹き、すなぼこりが目に入った。ティナーシャが涙目でまぶたをこすっていると、背後から声が掛けられる。


「こんなところにいらしたんですか」


 振り返ると、そこにいたのはラザルだ。本を抱えた青年に、彼女は微笑んで挨拶する。


「こんにちは。ちょっと城内を散歩してまして」

「ああ、訓練場が見えるんですね」


 ラザルは彼女の横に立つと、自分も広場を見下ろした。ティナーシャは試合中の一人を指差す。


「あの人、ずっと勝ち抜いてるんですけどかなり強いですね」

「彼はアルス将軍ですね。若い方ですが将軍の中では一番の腕です。先月も武装強盗の一団を、小隊を率いてせんめつしていらっしゃいましたよ」


 赤髪の剣士は、ラザルの言う通りオスカーと同年代だろう。アルスの右手が跳ね上がると、対戦していた兵士の剣が空を飛んだ。やけに細いその兵士は、痛そうに手首を押さえて何か言っている。


「負けちゃいましたけど、あの人もなかなか……普通の兵士なんですか?」

「彼女はメレディナと言って、アルス将軍の部下にあたります。もうすぐ自分の部隊を持つようになるんじゃないですかね」

「それはすごい」


 女性だというその兵士を、ティナーシャはよく見ようと目を凝らす。だが、遠くて鮮やかな金髪をしているということ以外分からない。

 ファルサスは、性別による職業の制限が少なく、実力と希望さえあれば、ほとんどの職業につくことができる。だからティナーシャも女性と聞いてさほど驚かなかったのだが、その中にあっても、女で腕の立つ兵士は珍しい。


「彼女はちょっときついところもありますが、いい人ですよ」


 ラザルはそう言って、自分が一番人が良いことに気づいていない笑顔を見せた。ティナーシャもつられて微笑む。


「でも模擬試合を見ていて面白いですか? 魔法士の方はあまりこういったことに興味をお持ちでないかと思っていましたが」

「昔、剣をやっていたことがあるんです。時間が余っていたので……」


 ラザルはそれを聞いて、意外なものを見る目で彼女のきゃしゃな体を一瞥した。


「実はお強い……とか?」

「いえ、力があまりないですし、そこそこにしかなりませんでした。そうですね……さっきの彼女には勝てるでしょうね。でもあの将軍はうーん……無理かな。負けそうですね」


 さらりとした彼女の言葉が本気なのか冗談なのか、ラザルは摑みかねたらしい。結局それ以上は何も聞いてこなかった。

 訓練場ではアルスがまた違う兵士を相手取っている。おじづいたのか、腰が引けている兵士に周りからはやす声がかけられているようだ。ラザルは腕の中の本を持ち直す。


「でも殿下はアルス将軍よりお強いですよ」

「え」


 愕然とした彼女の返事に、ラザルは驚いてティナーシャを振り返る。


「何でそんな驚きになるんですか。国で殿下より強い方はいませんよ。第一、あの方はこないだも塔で……あれ?」


 ラザルは首を捻る。魔女の塔で何かあったことは確かなのだが、いざ思い出そうとすると具体的なことはさっぱり思い出せない。一方、ティナーシャはこわった表情で頭を抱えた。


「あの将軍より強いんですか……うーん……本当に?」

「本当ですよ。才能ももちろんあるんでしょうが、あの方はああ見えて努力家なんです。昔から何でも貪欲に学ばれてましたし、吸収も早かったですね」

「うわぁ……」

「だから何でそんな反応なんですか」

「いえ何でも……」


 嫌そうな顔をしていたティナーシャは、眉間に皺を寄せると腕組みをした。


「ちょっと久しぶりに剣の修行をしたくなりましたよ」

「なぜ……」


 ティナーシャは黙ってうんうんと頷く。その不可思議な反応に、彼は怪しいものを感じながらも、書庫に行くためにその場を後にした。

 城壁の上に一人きりになると、ティナーシャは嘯く。


「さすが塔の達成者。これは油断できませんね」


 それでも、いざとなったら彼一人くらいどうとでもねじ伏せられる。それが魔女というものだ。

 そんな風に考えて……けれど王剣のことを思い出したティナーシャは、苦い顔で溜息をついた。



 ファルサスは一年中温暖な国だが、それでも一年に二ヶ月ずつ比較的暑くなる夏と少し肌寒くなる冬がある。今はその夏の初めで、城都では大陸主神であるアイテア神の祝祭を間近に控えていた。

 そんなある夜、分厚い報告書を読みながら廊下を歩いていたオスカーは、向かいから黒髪の少女がやってくるのに気づいた。


「ティナーシャじゃないか」

「お久しぶりです」


 呼ばれた彼女は、小走りに彼の前まで駆けてくる。オスカーは小柄な彼女の頭を、子供にするようにぽんぽんと叩いた。


「一週間ぶりくらいか。城はどうだ? いじめられてないか?」

「子供じゃないんですから。よくしてもらってますよ。多少の異質視はされますけどね」

「塔出身なのは明らかにしてるからか。困ったことがあったら言えよ」

「問題無しです」


 ティナーシャは特に目的地がなかったのか、彼と並んで来た方に歩き始めた。


「それはお仕事ですか?」

「ああ、外交関係と祝祭の警備配置とかだな。纏まってなくて困る」


 彼は分厚い書類を指ではじくと苦笑した。隣でティナーシャが目を丸くする。


「貴方がそんなことまでやるんですか。もっと宮中でだらだらしてるのかと思いました」

「お前も結構失礼なこと平気で言うな。……先月、ずっと宰相を務めていた叔父が亡くなってな。一時的に人手不足なんだ。いずれやる仕事だし、構わんさ」

「意外と勤勉だ!」

「お前な……」


 くだらない会話をしているうちに、二人はオスカーの私室の前まで来る。彼はこの一週間、多忙のせいで放置しっぱなしだった守護者に尋ねた。


「時間あるか? ここまでの報告を聞きたい」

「そういう言い方すると、私がまるで貴方付きのかんちょうみたいじゃないですか……今のところ城内に怪しい人間は見当たりませんでしたよ」

「そうか……。俺は単に、お前の日常が聞きたかっただけだ」


 わない会話は初対面の時からなので仕方がない。部屋に入ると魔女は答えなおす。


「一応普通に宮廷魔法士のお仕事してますよ。出仕すると色々仕事が貼り出されてるんで、好きなのを選んで消化するんです。それ以外に講義の聴講や研究も自由にできますし、結構楽しいです」

「魔法士は研究も仕事だからな」


 その辺りは潤沢に予算が振られているはずだ。代わりに宮廷魔法士は、城内外から集まる仕事を手分けして消化していく。魔法薬や魔法具の作成もその一環だ。

刊行シリーズ

Unnamed Memory -after the end-VIの書影
Unnamed Memory -after the end-Vの書影
Unnamed Memory -after the end-Extra Fal-reisiaの書影
Unnamed Memory -after the end-IVの書影
Unnamed Memory -after the end-IIIの書影
Unnamed Memory -after the end-IIの書影
Unnamed Memory -after the end-Iの書影
Unnamed Memory VI 名も無き物語に終焉をの書影
Unnamed Memory V 祈りへと至る沈黙の書影
Unnamed Memory IV 白紙よりもう一度の書影
Unnamed Memory III 永遠を誓いし果ての書影
Unnamed Memory II 玉座に無き女王の書影
Unnamed Memory I 青き月の魔女と呪われし王の書影