2.繰り返し触れられる過去 ②

 広い部屋の中、ティナーシャはふわりと宙に浮かぶと己の膝を抱えた。


「あと、祝祭が近いんで当日の仕事も割り振られました。照明係だそうです」

「照明係って何をするんだ?」


 祝祭の警備書類に目を通しながらオスカーが問う。当日の警備は兵士たちが交代で行うようになっており、彼らの配置を纏めた報告書は将軍を経て、宰相が確認することになっている。だが今は宰相位が空席のため、オスカーが最終確認を務めていた。

 ティナーシャは手の中に白い光を生んで見せる。


「こんな風に魔法で作った光源を城のおほりにいくつか入れて、水中から光を取るみたいですね。実際やると綺麗なんじゃないですか」

「ああ、あれは魔法でやってたのか。ランプでも沈めてるのかと思った」

「魔法でやる方が手軽ですよ」


 ティナーシャは天井付近でくるりと逆さになる。オスカーは呆れてそれを見上げた。


「お前、本当に魔女なんだな」

「何を今更」


 魔法士で詠唱なしに浮かんでいる人間など見たことがない。そもそも浮遊の魔法自体、かなり高度なものなのだ。その上、ティナーシャはあちこちに魔力を封印する装飾品をつけている。こんな調子でうまく城内で猫をかぶれているのか、オスカーは不安になった。

 ティナーシャはぱちんと指を鳴らす。それだけで離れた壁のしょくだいに火が灯った。


「ただ光を維持するには、術者が力の届く範囲内にいないと駄目なんです。普通の魔法士ならせいぜい店二、三軒分くらいですかね」

「お前ならどれくらい離れてても持つんだ?」

「んー、城都のどこ行っても持ちますよ。封飾してても。お祭り見に行っちゃいますね!」


 うれしそうににこにこしている魔女を一瞥して、オスカーは無性に意地悪をしてやりたくなった。


「よし、今から魔法士長にかけあって、もっと面倒な仕事に回してやる」

「やーめーてー! 泣きますよ!」


 部屋を出て行こうとするオスカーの服を、ティナーシャは必死で引っ張る。


「大体、新参は信用されてませんからね。そんなに重要な仕事回ってきません」

「まぁそうだろうな。冗談だ」


 ティナーシャは頰を膨らませたが、オスカーは無視して椅子に座ると、書類確認に戻る。


「随分楽しみにしているようだが、前に祝祭に来たことはないのか?」

「初めてです。前は確か祝祭の直後に来たんですよね。惜しいことしたなーって思ったんで、よく覚えてます」

「後からでも遊びにくればよかったじゃないか」

「レグが死ぬまではファルサスに立ち入らないって約束してたんです」


 ティナーシャは再び天井近くまで浮かび上がった。白い服の裾が空気をはらんで広がる。オスカーは書類から顔を上げて、彼女を見た。


「彼の死の話を聞く気にもなれなかったし、それからは祝祭のことも忘れてました」


 彼女はまるで少女のように微笑んだが、その表情からは何の感情も読み取れない。

 空中を泳ぐ魔女は、何からも自由で、そして取り残された、美しい魚のようだ。

 オスカーが思わずその名を呼びかけた時、ティナーシャはぽんと手を叩く。


「そうだ。貴方に用事があったんでした。どうでもいいことなので忘れてました」

「用事? 忘れてたってどんなことだ?」

「貴方の守護の話です」

「俺の守護はどうでもいいのか!」

「貴方、充分強いじゃないですか……」


 心底嫌そうな顔で彼女は返す。


「まぁ契約ですし、ちゃんとやりますよ。ただ私、祝祭当日はあちこち見て回るのに忙しいので、防御用の魔法をあらかじめかけさせてくださいね」

「それはさぼってるというんだ」


 やる気があるのかないのか分からないが、きっとないのだろう。だがオスカーも、守護が欲しくて魔女の塔を登ったわけではない。彼は書類をそろえてテーブルに置くと、魔女を見上げた。


「で、俺はどうすればいいんだ」

「もう術は組んできてあります。ちょっと複雑ですからね」


 ティナーシャは嬉しそうに彼の前に下りてくると、白い十指を交差させて組んだ。両掌を彼の眼前に向ける。かざされた手と、オスカーの間の空中に、たちまち赤く細い線でできた円環が五つ浮かび上がった。それは解けながらも複雑に絡み合い、やがて巨大な魔法の紋様になる。

 オスカーはあまりの光景に驚嘆の声をあげかけるのをかろうじてこらえた。魔女の詠唱が響く。


「契約の永久なるかな。三つの時と二つの世で定義せよ──」


 魔法士は通常、簡単な魔法に詠唱を必要としない。

 現にティナーシャは浮遊に代表されるように普通なら詠唱を必要とする魔法でも、ただ意識する、あるいは手をかざすだけで行使している。オスカーが彼女の詠唱を聞くのもこれが初めてだ。

 その彼女が今回、長い詠唱を必要としているということ自体、これからかけられる術の強大さを意味している。


「──破るべき言葉を根源から消去し、形成される雨はその意味を喪失す……。は全て環となしてかえる……我が則を遵守し、現出する全てとせよ」


 ゆっくりと回転しながら複雑に編まれていた紋様は、詠唱の終わりと共に収束しながらオスカーの全身に吸いこまれた。彼は驚いて両手を裏返してみるが、赤い紋様の痕跡はどこにもない。


「すごいな」

「んー、これで大丈夫です。半永久的に機能しますよ」


 ティナーシャは息をついて、張り詰めた呼吸を整える。


「魔法、物理問わず外部からの攻撃はほぼ全てが無効化されます。毒とか精神作用とかそういうのは駄目です。気をつけてくださいね。あと私と繫がっているので、私が死んだら効力は失われます。逆に言うと、私を殺さない限り他の人間には破れません」

「それは反則に近いだろうな」


 どんな代償を払っても、これだけの守護を得たいと切望する人間はかなりの数いるに違いない。

 だが彼らにこの術がかけられることはおそらく一生ないだろう。魔女を傍に置いている、その実感を得てオスカーは戦慄する思いがした。

 だが、当のティナーシャは彼の感嘆にくすりと笑っただけだ。彼女は歩いて壁際に戻ると長椅子に腰を下ろす。


「魔女との契約ですよ。これくらいは当然でしょう」

「当然と言われても……俺はお前が結婚してくれればそれでいいんだが」

「断りましたよね、それ!?」

「俺だけ死ななくても、後が続かないと困る」


 オスカーの正論に、魔女はげっそりした顔になる。ティナーシャもそれに関しては分かっていて目をらしているのだろう。溜息混じりに細い足を組んだ。


「後が続かないと困るって、貴方以外に王家の血を継いでる人っていないんですか。姻戚がいくつかあったと思うんですが」

「姻戚はいるが、子供がいないんだ。俺が四、五歳の時に国のあちこちで子供がこつぜんと消える事件が続発したらしい。最終的にはいなくなったのは数十人に及んだんだが、その時に従弟いとこも何人か行方不明になったんだ。結果、俺より若い王家筋は今いない」


 オスカーは水差しを取って杯に水を注ぐ。それに口をつけながら魔女を見ると、彼女はさすがに驚いたらしい。座ったばかりなのに跳ねるように立ち上がると、彼の前に歩いてきた。


「その事件、原因は分かったんですか?」

「いや謎のままだ」

「沈黙の魔女が来たのはその前後?」

「母が病気で死んだ後だから……確か、失踪事件が収まった後だったらしいな」


 オスカーは公表されていない記録と、幼い頃の記憶を付き合わせようとする。

 ──その時、頭に刺すような痛みが走った。


 月に

 魔女の姿

 呪い

 声

 鋭い爪

 引き裂かれた

 血まみれの


 形にならない光景、言葉にならない断片が瞬間ひらめく。

 だがそれらはすぐに、まるで始めから何もなかったかのように消え失せた。刺さったままのとげに似た異物感を、オスカーは頭を振って払い落とす。


「どうかしました?」

「いや……平気だ」

「疲れてるんですよ。寝てない顔してるし」


 ティナーシャは心配そうに手を伸ばすと彼の頰に触れた。ひんやりとした感触が心地よい。肩の力が抜ける気がする。オスカーは小さな手を取って笑った。


「三時間は寝たぞ」

「それは寝たと言わない」

刊行シリーズ

Unnamed Memory -after the end-VIの書影
Unnamed Memory -after the end-Vの書影
Unnamed Memory -after the end-Extra Fal-reisiaの書影
Unnamed Memory -after the end-IVの書影
Unnamed Memory -after the end-IIIの書影
Unnamed Memory -after the end-IIの書影
Unnamed Memory -after the end-Iの書影
Unnamed Memory VI 名も無き物語に終焉をの書影
Unnamed Memory V 祈りへと至る沈黙の書影
Unnamed Memory IV 白紙よりもう一度の書影
Unnamed Memory III 永遠を誓いし果ての書影
Unnamed Memory II 玉座に無き女王の書影
Unnamed Memory I 青き月の魔女と呪われし王の書影