2.繰り返し触れられる過去 ③

 彼女は呆れ顔になると、両手でオスカーの腕を摑んで立たせた。そのままぐいぐいと寝室の方へ引っ張り始める。本来、彼女の細い腕と軽い体重で長身のオスカーが動くはずもないのだが、魔力を干渉させているのか、彼はあっさりと引きずられていく。最終的に寝台に腰掛ける羽目になった。


「おい、俺はまだこの書類を整理しないといけないんだが」


 オスカーが困惑して魔女を見上げると、彼女は含み笑いをしている。


「ちょっと寝た方が意外と早く終わったりするものですよ」

「いや……」

「ほら、眠くなる」


 ティナーシャの白い指が額をつつく。

 何かされた、と思いながらもオスカーはその瞬間深い眠りに落ちていた。



「子供の失踪と、血筋断絶の呪いですか……。一体何があったんですかね」


 強制的に眠らせた契約者を寝台に転がし、ティナーシャは改めて考えこむ。

 十五年前など彼女にとってはつい最近の話だ。

 だが、塔に引きこもっているせいかそんな事件があったことも知らなかった。つまりファルサス王家はこの二つの要因が重なったせいで、断絶の危機にあるのだろう。

 もっとも他の王家であれば、血の薄い遠戚から新たな王候補として子供を迎えることもできる。

 だがファルサスだけはそれができない。国の象徴たる王剣が、血によって受け継がれるからだ。


「これはなかなか面倒な状況……」


 はたして沈黙の魔女は、何を思って呪いをかけたのか。気にはなるが尋ねて簡単に教えてくれる相手でもない。本気で知りたければ自分か彼女かの命を賭ける覚悟が必要だろうし、そこまではさすがに契約の範囲外だ。

 だから、過去には踏みこまず、今ある問題だけを片づける。それを可能にするだけの力が自分にはあると、ティナーシャは思っていた。

 彼女は、契約者が持ったままの書類の束を抜き取ると、ざっと目を通す。ところどころにオスカーが書きこんだと思しき修正点を見つけて、彼女は破顔した。


「ずいぶん優秀みたいですね。さすが努力家」


 長く生きるうちに何人もの為政者を見てきたが、オスカーは彼らと比べても名君になり得る人材かもしれない。とは言え呪いがある以上、彼の将来は守護者であるティナーシャ自身にかかっている。ティナーシャは魔法で眠らせてあるのをいいことに、くりくりと彼の頭を撫でながら書類に目を通していった。

 そうして一通りの整理を終えると、魔女は音もなく部屋からえる。


 オスカーが目を覚ました時、既に魔女は部屋にはいなかった。

 時計を見るとせいぜい一時間ほどしか経っていない。だが深く眠っていたせいか、不思議なほど心身共にすっきりしている。オスカーは寝台の上で体を起こすと、軽く頭を振った。

 ふと隣のテーブルを見ると、先ほど持っていた書類が束のまま置かれている。

 彼がそれを手に取って確かめると、一番上に新しい紙が加えられており、女の字で目を通すべき箇所と、その他の要点が綺麗にまとめられていた。


「摑めないやつだな」


 彼女は世捨て人のような生活をしている割に、執務能力もあるようだ。

 オスカーはざっとそれに目を通して苦笑すると、書類を手に部屋を出ていった。



 城の者がみな準備に追われているうちに、祝祭当日はあっという間にやってきた。

 城都には朝から人が溢れかえり、芸人たちの奏でる音楽があちこちから聞こえてくる。

 石造りの建物が建ち並ぶしょうしゃな街並み。看板に嵌めこまれたいろ硝子がらすが、光を反射して虹のように煌く。歴史ある通りを行き交う人間には異国の者も多く、普段から栄えているファルサスの城都は、そのにぎわいをさらに色濃いものとしていた。

 ファルサスの暦で五百二十六年、百八十七回目のアイテア祝祭だ。


「楽しい」


 小さな陶器でできた猫を、ティナーシャは目の上にかざす。

 お祭りとあって朝から一人で街を回っているが、露店も旅の芸楽者も見ていて飽きることがない。こんなに大勢の人間の中に来たのは何十年ぶりのことか。ティナーシャはおまけでもらった猫を、腰につけた小物入れにしまった。

 このままいつまでも遊んでいたいくらいだが、宮仕えである以上仕事もしなければならない。ティナーシャは日が落ちてきたことに気づくと、当番を務める城の濠へと戻った。

 白い壮麗な城をぐるりと囲む城壁と濠。普段と異なり、濠の前の道は露店が立ち並び、行き交う人も多い。そんな人混みをすり抜けて、彼女は濠の間際に立つと白い手をかざす。


「灯れ」


 一言だけの詠唱。白い光球が、ティナーシャの手から生まれ水の中へと降りていく。

 それは暗い水中で五つに分かれると、等間隔に濠の中へと広がった。水中から水面にかけて青白く揺らめく光に、通りかかった人々が歓声を上げる。

 ちょうど他の担当区域の魔法士もほぼ同時に光を灯したらしく、城壁が青白く夕闇の中に浮かび上がる。隣の区域に目をやると、魔法士のローブを着た人間が、ティナーシャに気づいて手を振りながら歩いてきた。


「どう? 君、新人だったよね。綺麗にできてるみたいだけど」

「おかげさまで。ありがとうございます。えーと」

「テミスっていうんだ。よろしく」


 男は右手を差し出した。その腕には魔法の紋様が黒で全面に彫られている。珍しい種類の紋様に、ティナーシャは内心驚いた。だが表面上は微笑んで、男の手を握り返す。


「ティナーシャです。よろしくお願いします」

「しばらくはこの辺にいるから、何かあったら声かけて」

「はい」


 テミスは愛想をふりまきながら立ち去っていった。これで照明係の役目は完了だが、当番は夜遅くまで続くのだ。その間何をしていようか、彼女がふっと行き交う人々を見回した時──すぐ後ろで知らない男の声が囁く。


「──離れない方がいい。面倒事に巻きこまれるよ」

「え?」


 反射的にティナーシャは振り返ったが、見えるものは祭りの雑踏だけだ。誰が言ったのか、そもそも自分に言われた言葉だったのかも分からない。そんな中、彼女は、人混みに紛れるようにして遠ざかる旅人姿の青年を見つけた。銀髪の少女を連れた彼は、すぐに人の中に見えなくなる。


「……魔法士?」


 ほんの一瞬だったが、すれ違った青年は自身に魔力隠蔽を施しているようだった。ティナーシャは封飾具をつけた指を顎にかける。追ってすいしようか一瞬迷い、けれどすぐにかぶりを振った。


「まあ、ファルサスですしね」


 大陸一の国家の祝祭日なのだ。変わった人間くらい紛れこんでもおかしくない。その最たる一人である魔女は気を取り直すと、甘い香り漂う露店を覗きこむためにその場を離れた。



 国内外の人が溢れかえる祝祭において、もっとも重要視されるのが当日の警備だ。

 要人や要所警護は当然のこと、混雑する街中を見回る人間は特に、とっの判断力と注意力が必要とされる。だからこそオスカーはそこに「実戦に強い人間」を配備していた。

 沸き立つ空気の中、剣をいた男がぼやく。


「祭りはいいよなあ。実は酒飲みたいんだが」

「仕事中」


 雑踏をだらだらと歩く長身の男と、その隣を行く姿勢のよい女は、まったく対照的な空気の持ち主だ。だが彼らは同じように無駄のない動きで人々をかわし、人混みの中を滑るように歩いていく。

 男の腰と、女の胸元につけられている紋章は、いずれも城への所属を表すもので、彼らが兵士長以上の地位にあることを示している。赤い髪に、幼さの残る人懐こい顔をした男、若くして将軍位にあるアルスは、隣を行く幼馴染に尋ねた。


「そういや、殿下はどこにいらっしゃるんだ?」

「城内。仕事なさってるわ」


 視線を動かさぬまま答えたのは、女性でありながら武官として小隊指揮権を持つメレディナだ。顔立ちだけを見れば涼やかな美人だが、肩の上で綺麗に切り揃えられた金髪が、武人であることを示している。


「今年は国外からの来客もいないから、要人警護はほとんどないの。見回りさえきちんとしていればいいだけ。……分かってる?」


 その言葉に、豚の塩焼きをちらちら見ていたアルスは肩を竦めた。メレディナとは市井で共に育った仲だが、性格の違いのせいかいまだに小言を食らってばかりだ。

刊行シリーズ

Unnamed Memory -after the end-VIの書影
Unnamed Memory -after the end-Vの書影
Unnamed Memory -after the end-Extra Fal-reisiaの書影
Unnamed Memory -after the end-IVの書影
Unnamed Memory -after the end-IIIの書影
Unnamed Memory -after the end-IIの書影
Unnamed Memory -after the end-Iの書影
Unnamed Memory VI 名も無き物語に終焉をの書影
Unnamed Memory V 祈りへと至る沈黙の書影
Unnamed Memory IV 白紙よりもう一度の書影
Unnamed Memory III 永遠を誓いし果ての書影
Unnamed Memory II 玉座に無き女王の書影
Unnamed Memory I 青き月の魔女と呪われし王の書影