2.繰り返し触れられる過去 ⑤
「魔法士のテミスです。装飾品が焼け残っていました」
「あ!」
ティナーシャの声に周囲の視線が集まった。オスカーは複雑な表情をしている彼女を見下ろす。
「知っているのか?」
「今日、隣を担当していた方です。挨拶しました」
「そう、それで貴女を探していたんですよ、ティナーシャ殿。テミスの光球が消えて死体が発見されるまでの三十分間、貴女の光球は灯っていたにもかかわらず、術者である貴女は濠の前から姿を消していた。……いったいどこにいたんですか?」
クムの声が、祝祭も終わりかけた街に朗々と響いた。
テミスの光球が消失したのは、子供が濠から助けられてしばらくした後だ。
ちょうどその時、彼の恋人が濠に訪ねてきて不在に気づいたが、その時はまだ当番終了の時間ではなかったため、付近にいるだろうと思われていた。ただそのまま彼は見つからず、三十分後には濠から少し離れた路地裏で死体が発見された。
「私、かなり怪しいですよね」
「第一容疑者じゃないか?」
そう意見が一致しながらもどこか緊張感のないオスカーとティナーシャは、小声で囁きあいながら、他の将軍や魔法士の後ろについて謁見の間に向かっていた。
「まぁいざとなったら正体を明かせばいいんじゃないか?」
「それはそれで犯人よりひどい目に遭いそうなんですが……」
「大丈夫だ。ちゃんと守ってやる」
正体が魔女だとしても、オスカー自身が彼女を請うて連れ帰ってきたのだ。要らない罪をかぶせるつもりはないし、見たところ彼女は人に害をなすような性格ではない。紙細工一つで嬉しそうにしているただの少女と変わらないのだ。少なくともオスカーの目にはそう映っている。
彼は安心させるように、小柄な魔女の頭をぽんぽんと撫でる。子供にするのと変わらぬそんな仕草に、ティナーシャは物言いたげな視線を向けたが、結局は何も言わなかった。
長い廊下が終わり、一行は謁見の広間に辿りつく。将軍や魔法士たちは頭を下げたまま入室し、王座を前に左右に分かれて並んだ。ティナーシャはその中央に、オスカーは王座のすぐ傍に立つ。
部屋に入ってきた王は、五十歳を少し過ぎたばかりの比較的若い王だ。オスカーに似てはいるがその雰囲気は柔和で、優しげな目にはティナーシャのかつての契約者の面影がある。
「君が、息子の連れてきた魔法士か」
王はじっとティナーシャを見つめる。彼女はその視線を
「どこかで会ったことあるかい?」
その質問にオスカーとティナーシャはぎょっとしたが、二人とも表情には出さない。青き月の魔女は、七十年前ファルサスを去って以来、この国に姿を現したことはない。しかし
だが今はそれを気にしている時ではない。ティナーシャは鮮やかに微笑む。
「いえ、お初にお目にかかります。ティナーシャと申します」
彼女は片足を後ろに引くと膝を深く折って礼をした。その流麗な動作に場が自然と
「魔法士が一人殺されたそうだが、君は関与している?」
「いいえ。あずかり知らぬことでございます」
彼女は揺るぎなく即答した。誰のものとも分からぬ溜息が場に満ち、ざわめきが起こる。
王は傍に立つオスカーを見上げた。
「任せるよ。適任者を選んで収めなさい」
「分かった」
王は席を立ち奥の扉から出て行く。その背を一同は、深く頭を下げて見送った。
オスカーと文官たちは祝祭の残務のために出て行き、別室にはアルスを初め事件の対応にあたる人員が集まった。テーブルを囲む彼らの間で、死体の状況や時系列が矢継ぎ早に確認されていく。
ティナーシャはその中央で、怯むでも開き直るでもなくただ自分を追及する話を聞いていた。
「担当の場所にいなかったということが、何より怪しいじゃないか」
「一体どこで何をしてたやら」
「そもそも本当に宮廷に仕えられるほど魔法を使えるのか? 光はランプか何かじゃないだろうな」
「あ、あれは魔法の光だ。俺見たし」
そう言って手を挙げたのはアルスだ。
「途中から光量が増したし、間近で見たけど魔法の光球だった」
初めて出た彼女を肯定する言葉に、他の者たちは一瞬言葉を詰まらせる。その気まずい沈黙を打破してメレディナが続けた。
「あの子供が溺れてた時には、まだテミスはあそこに居たわよね」
「ああ、確かに見た覚えがある。ローブで顔は見えなかったけど、手を挙げて挨拶したから。腕に黒い魔法の紋様が入ってるのをちゃんと見たよ」
「だ、だが……彼女が確かに魔法で光を維持してたというなら、何故近くにいなかったのか、それが問題だろう。別の魔法士とすり替わってたのかもしれない」
一連の話を
『離れない方がいい。面倒事に巻きこまれるよ』
あの忠告が彼女に向けられたものだったとしたら、言われた通りの事態になってしまった。ひょっとしてあの魔法士は、テミスが殺されることを知っていたのだろうか。
考えこむ彼女に、疑念を含んだ視線が集まる。だがそこで魔法士長のクムが口を開いた。
「結論を急ぎ過ぎだ。彼女は塔出身の魔法士だ。我々の知らない技術があってもおかしくない」
もうすぐ老齢に差し掛かる彼は、
「そもそも途中で光量を増やしたということについても、簡単にできることではないだろう。元々長時間維持することを意図して作られた光球だ。不意の出来事に対応して光を調整するなど、この中の何人もできることではない。離れた場所から光球が維持できるくらいは驚かんよ」
彼の対応の柔軟さに、ティナーシャは少し感心する。さすがは何十年もファルサスにあって不動と言われる魔法士だ。その強さと高い判断力の評判は、使い魔を経て時折塔に届くことがあった。
同時にティナーシャは、どこまで自分の手の内を見せるべきか考え始める。
その時、入り口の扉が開いてオスカーが入ってきた。
「どうなった?」
「今、彼女に詳しいことを聞こうかと……」
「どこで何をしていたんです!」
クムの言葉に重なって、先ほど制された魔法士がティナーシャに詰め寄る。
だが──その魔法士を、闇色の目が一瞥した。底知れなさを宿した
オスカーが無造作に答えた。
「俺と一緒にいたぞ。ラザルも見てる」
その事実に一同が大きくざわめいた。
クムは目を丸くし、メレディナは一瞬顔を引きつらせた。アルスはそれに気づいて肩を竦める。
しかし波紋を作った張本人は、臣下たちの驚きにまったく頓着せず彼らを見回した。
「違う答えに固執して時間を潰すな。犯人はこいつじゃない。俺が保証する。……ティナーシャ!」
「あ、はい」
ティナーシャは苦笑すると立ち上がった。自分の両掌を周りの人間に見せる。
「私は確かにクム師の仰る通り、少し変わった種類の魔法を操ります。光球など精霊系の魔法はわりと得意なので……これくらいのことはできます」
彼女の手の中に光球が出現した。それは一度天井まで浮かび上がると、滑るように窓に向かい、その隙間をすりぬけて夜の
「持ち場を離れたのは軽率でした。このようなことになって、誤解されることもやむを得ないと存じます。本当に申し訳ありません」
深く頭を下げた彼女を、皆がばつの悪そうな顔で見やる。
オスカーはその空気に一息つくと、一人暢気な顔をしているアルスを名指しした。
「アルス、お前が調査しろ。メレディナも手伝ってやれ」
その命令に、二人は顔を見合わせると恭しく一礼した。
※
調査を命じられたアルスとメレディナは、日付が変わったばかりの深夜、再び現場を見るために人通りの減った城下を歩いていた。メレディナが夜に浮かぶ城を振り返る。



