2.繰り返し触れられる過去 ⑥

「本当に彼女が犯人じゃないのかしら。だって光球がついててもその場を離れられるなら、より怪しくなっただけじゃない?」

「メレディナは、殿下が彼女をかばってると思ってるのか」


 私情を抜きにしてもそう疑うのはもっともだ。だがアルスは小さくかぶりを振る。


「当然の可能性だろうけど、俺はそうは思わないな。ラザルも言ってたし、彼女が殿下と居たのは本当だろう。それにちょっとな……違和感を覚える」

「違和感?」

「勘だけどな。彼女はもっと本当は──怖い人間なんじゃないだろうか」


 メレディナは場違いな言葉を笑い飛ばしかけて、だがアルスが真剣な顔をしていることに気づいたらしい。男の顔を覗きこんだ。


「どうしたの? 本気?」

「本気。ほら、さっき彼女に詰め寄ろうとしてた魔法士が硬直しただろ?」

「え、そんなことあった?」


 怪訝そうな幼馴染は、あの時のティナーシャを見ていなかったようだ。これでは他に気づいた者もいないのだろう。肌に突き刺さるような圧力。あの闇色の瞳が夜の深遠に見えた感覚は、だが紛れもない本物だ。彼女が本当に人を殺したいと思ったなら、おそらく場所や人など関係ない。もっと跡形もなく、或いはもっと公然と行うはずだ。それができる人間だ。


「殿下はそれをご存じなのかな……」


 考えこんでいたアルスは、通りの先にいる魔法士に気づいて顔を上げた。小柄な魔法士は二人に向かって頭を下げる。


「お待ちしてました」


 彼は死体を検分した魔法士でカーヴと名乗った。クムと共に先ほどまで検死をしていた彼は、二人と並んで歩きながらその結果を説明してくれる。


「死因は毒殺のようですね。焼き損ねたしゃぶつが路地に少し残っていたんですが、そこから毒が出ました。古い魔法薬の一種でリマスといいます。無味無臭の液体で、服用すると、おうと、あと全身が充血して鼻血が出たりしますね。その後、数分で死に至ります」

「手に入りやすい毒なの?」

「知識があれば作れる代物です。探せば売ってるかもしれませんが、ファルサスでは無理でしょう」

「じゃあたとえば、うちの魔法士ならみんな作れるか?」

「技術的に言えば五割くらいの人間は作れます。ただ、私は魔法薬が専門なんですが、誰かを殺したいと思った時にリマスは作りません。昔の魔法薬ですからね、手順や材料が面倒ですし、作成に使う魔法構成自体も精霊魔法の影響が色濃くて……。今はもっと簡単に作れる毒薬があります」

「なるほどなあ」


 アルスは顰めた眉を指でほぐしながらカーヴに確認した。


「で、被害者がバラバラになってたり焼けたりしてたことについては?」

「死体をばらしたのは死後しばらく経ってからです。出血があまりなかったのはそのせいですね。首・両腕・両脚は切り落とされ、胴体は二つにばらされています。いずれもおのか何かを振り下ろして切断したようです。一回で切れてるところと数回やってる部分とありますね。で、その後焼却です。油をかけた後火をつけてますね」

「壮絶だな」


 現場の路地裏には警備兵以外の姿はなかったが、辺りからは風に乗って笑い声や弦の音が聞こえてきている。しかし、肝心の殺害場所は通りからは死角になっている上、行き止まりの場所だ。左右の建物には窓が無く、祝祭の空気から隔絶されているようにさえ思える。焦げた地面を見ると静寂に死の匂いが漂っていた。


「最初に死体を見つけたのは誰だ?」

「うちの魔法士です。テミスを探していて見つけました。テミスの恋人にも見つかっちゃって半狂乱になったらしいですよ。とりあえず今は城で休んでもらってます」

「あの状態じゃ無理もないわね……」


 メレディナは寒気でもするのか自分を両腕で抱きしめた。彼女はふと顔を上げて、幼馴染がいつの間にか隣にいないことに気づく。アルスは現場から少し戻って、通りの方を覗きこんでいた。


「アルス? 何見てるの?」

「いやー……濠の中もちょっと見てみたいな。でももう暗いから明日か。明日濠を見て、話を聞いて、それで殿下に報告に行く」

「え!? 犯人が分かったの?」

「いや全然」


 がっくりする二人をよそに、彼は星が浮かぶ空を見上げる。


「例えばさ、死体をバラバラにしたり焼いたりするのって何故だと思う?」

「何かの儀式?」

「怨恨ですか?」


 ほぼ同時に違う答えを出してくるメレディナとカーヴに、アルスは首を横に振ってみせた。


「俺が疑うなら、『入れ替わり』か『処理のしやすさ』だ。……まぁ今日はもう帰ろう。いい加減酒飲んで寝たい」


 アルスは首をさすりながらどんどん歩き出す。

 メレディナは慌ててその後を追った。隣に並んだカーヴに彼女は尋ねる。


「そう言えば、殺された人はどういう人だったの?」

「テミスですか。強いて言えば……要領のいい人でしたね。何でもさらっとこなしてて、女性受けもいいですよ。愛想や面倒見もいいし、特に恨まれたりはしてなかったです」

「ということは、動機から絞るのは難しいか」


 先を行くアルスがそんな感想を漏らす。幼馴染の思考を補うようにメレディナは質問を重ねた。


「人柄以外はどうなの? 利害関係とか」

「城内で言うなら、彼が死んで得をする人は思いつきません。そもそも宮廷魔法士は皆違うことを研究してますし……。出世も争うという感じではないですからね」


 同じ宮仕えでも、集団行動が主である兵士と、個人行動が主である魔法士は気風からして違う。


「テミスの研究内容は?」

「魔法湖と精霊魔法です。魔法湖は中でも旧ドルーザ領にある魔法湖を扱っていたようです」

「魔法湖って何? 魔法でできた湖?」

「湖と言っても水があるわけではないんです。ただ魔力が地中にかなりの濃度で停滞している場所というのが、大陸には幾つかあるんですよ。それが魔法湖です。テミスは中でも、七十年前の戦争の舞台となったドルーザの魔法湖の調査をしていました。月に一度はあそこに出かけてましたよ」

「七十年前の戦争ってあれだろ、魔獣と魔女が戦ったっていう」


 ファルサスにとって、七十年前の隣国ドルーザとの戦いは忘れられない歴史の一つだ。

 ある日攻めこんできたドルーザは、魔法士たちを駆使して当時の軍を苦戦させ、ファルサスはその猛攻の前に一度は国土へかなりの侵攻を許した。

 中でも最悪だったのは『魔獣』と呼ばれる巨大魔法兵器で、突如戦線に現れたこの生き物は、圧倒的な破壊力を以てファルサス軍をじゅうりんした。なすすべもない程強大な相手に、将軍たちも魔法士たちもみな絶望を感じたのだという。

 だが当時の王レギウスは、その戦線に最強たる魔女を呼んだ。

 彼女はそして、契約者の願いを受けて最悪の魔法兵器を退けることになる。結果、ファルサスは勝利はしたが、かなりの人的被害を受けて復興に三十年を費やすことになった。一方敗北したドルーザは、政情の不安定さもあってか急激に衰退し、今は四つの小国に分裂してしまっている。

 歴史上有名な魔法兵器の話に、アルスは顔を顰めた。


「あの魔獣って、死んでないらしいじゃないか。そんなところ行って危なくないのか?」

「だから行ってたんですよ。魔獣の封印が解けそうになれば、魔法湖に影響が出るはずですから」

「うーん……。それ絡みだとしたら話が大きすぎるな。犯人の見当がさっぱりつかない」

「さっき分かったようなこと言ってたじゃない」

「怪しいって言っただけだから。それもやり方だけだ。犯人の方は全然」


 アルスはお手上げとでも言うように肩を竦めて見せる。メレディナは呆れて溜息をつくと、気を取り直してカーヴを振り返った。


「もう一つの研究内容っていう精霊魔法の方は? 精霊術士だったの?」

「違います。精霊術士って非常にしょうなんですよ。それに閉鎖的ですし。うちには精霊魔法を使える人間は何人かいますが、純粋な精霊術士はいません」

「そうなの? 純粋な精霊術士って何が違うの?」

「魔法の威力が全然違います。精霊術士は自然物を操ることにけていて、小隊分も人数がいれば一国と戦争できますよ」

「うわ、すごいなそれ」

刊行シリーズ

Unnamed Memory -after the end-VIの書影
Unnamed Memory -after the end-Vの書影
Unnamed Memory -after the end-Extra Fal-reisiaの書影
Unnamed Memory -after the end-IVの書影
Unnamed Memory -after the end-IIIの書影
Unnamed Memory -after the end-IIの書影
Unnamed Memory -after the end-Iの書影
Unnamed Memory VI 名も無き物語に終焉をの書影
Unnamed Memory V 祈りへと至る沈黙の書影
Unnamed Memory IV 白紙よりもう一度の書影
Unnamed Memory III 永遠を誓いし果ての書影
Unnamed Memory II 玉座に無き女王の書影
Unnamed Memory I 青き月の魔女と呪われし王の書影