2.繰り返し触れられる過去 ⑧
「あの時既にテミスは死んでいた、こう仮定してはどうでしょう。現場からちょっと角を曲がると、建物越しに濠の様子が
「いや待ってくれ」
クムが手を上げて話を遮った。一同の注目がそちらに向く。
「アルス将軍だったからよかったものの、腕を挙げたんだろう? 魔法士ならばその紋様がテミスのものじゃないと気づいたはずだ。そんな危ない橋を渡ったのか?」
「だから──テミスの腕を挙げたんですよ。解体してあったでしょう? 腕以外はローブの下に隠せなかった。だから腕だけ持ってきたんです」
アルスの言葉にほぼ全員が絶句した。犯人の大胆さと合理的な凶行がその場を
「犯人はその後現場に戻ると、腕を切り取ったことに気づかれないよう他の部分も解体した。そして、発見された時に血の乾き具合などから殺害時間が絞られないように、もしくは毒物を判別できないように、遺体に油をかけて焼いたわけです」
アルスは、どこか冷ややかな目で床に視線を落としながら続ける。
「こう考えると、犯人の絞り方はまったく異なってくる。その人物はテミスと親しく、テミスの光が消えるまでの間不在がちだった人間で、そして光が消えた後はおそらくあえて所在を明確にしている。そんな人物だと推察されます。俺の調査と考えはここまでです」
アルスは振り返り、オスカーに向かって一礼すると自分の席に戻った。
場にはそれぞれがお互いを探り合う重い空気が漂う。その中でオスカーは口を開いた。
「ご苦労だった。さて諸君、心当たりはあるか?」
気まずい緊張が満ちる。誰もが自分の無実や他人の疑惑を口に出そうとしてできないままだ。
そんな中、オスカーは既に答えが分かっているかのようにある人物を注視していた。その人物はアルスの話の途中から、驚くわけでもなく妙に落ち着き払って床の一点を見ている。
どう切りこもうかオスカーが思案した時、背後から守護者の細い声が響いた。
「貴女、精霊術士ですね。元かな? テミスに紋様を授けたのも貴女でしょう?」
ティナーシャにそう言われて、顔をあげたのはテミスの恋人のフューラだった。
精霊術士──それは存在からして稀少な、魔法士の一種だ。
そうであることをフューラへ指摘したティナーシャの言葉に、周囲は騒然となる。驚く魔法士たちを代表してクムがティナーシャに問いかけた。
「何故分かる?」
「何故って……私もそうですから。精霊術士かどうかは、元であっても見れば分かります。あとテミスの紋様は精霊魔法が専門じゃない人にはかけられない難度のものでしたよ。お会いしたことない精霊術士が城にいるのかと思っていましたが、どうやら違うようですね」
そこで一旦言葉を切ると、ティナーシャはどこか悲しげにフューラを見つめた。
「貴女がその純潔と力を
フューラは、まっすぐにティナーシャの闇色の瞳を見返した。そこには空虚な意志の力がこもっている。やがて彼女はにっこり微笑むと、口を開いた。
「森を出て……こんな異国まで来て精霊術士に会うとは思ってもみなかった。これは誤算。見ただけで分かるなんて、相当強力な精霊術士のようね。疑惑をかけられることになって御免なさい」
彼女の目には、
「多くを語るつもりはないわ。正当化するつもりもない。ただ私は……魔法を使えなくなった私を見下す彼の目が耐えられなかった。彼の優越感を受け止められなかったし、彼の体を見る度に、私のかけた守護の……私の浅はかさを見るようで、それが
その声は、理解も同情も必要としていない、彼女自身の言葉だった。
※
「──結局、死体を切断したのは、子供の騒ぎが収まった後だったのね」
王太子の執務室に集まっているのは、部屋の主人の他にクムとアルス、メレディナとティナーシャだ。フューラへの聞き取りはあらかた終わっており、彼女は暫定的に収監されている。
ティナーシャは茶器にお湯を足しながら、メレディナの述懐に応えた。
「紋様が出るような魔法は、精霊魔法に限らず、最低でも術者が生きている限りその効力を保ちます。彼女の場合もだから、精霊術士としての力を失っても紋様は機能し続けた。本来の力がなくなってもかけた本人ですからね、紋様を一部自分の体に移し変えるくらいはできたそうです」
「女の腕だって、何で気づかないのよ」
メレディナにつつかれてアルスは頭を抱えた。それをクムが
「ああいう強烈な印象があるものが目に入った場合、人は意外とそれしか頭に入らないものだよ。ましてや遠目じゃ仕方ない」
「騒ぎに気づいてから腕を切り落とすのは無理だろう。間に合わん。あの女があらかじめ用意していたのは、紋様を消しても分からなくするための焼却準備だけだったというわけか」
オスカーは組んでいた足をほどくと、ティナーシャから菓子皿を受け取った。アルスは更に頭を抱えている。メレディナはそんな幼馴染を無視して問いかけた。
「では何故死体を解体したんでしょう。そのままにした方が、かえって入れ替わりがばれなくて済んだんじゃないでしょうか」
その疑問に答えたのはティナーシャだ。
「彼女にとって入れ替わりがばれるかどうかは賭けだったみたいですね。濠に沈んだランプも回収できませんし、誰かが勘付く可能性も考えたでしょう。手を挙げたのがテミスではないのではと疑われた時、遺体の腕が切り取られていたなら皆に可能性がある。でも切断されていない場合、紋様を移すにしろ新しく描くにしろそれができるのは精霊術士しかいないわけです。精霊術士であった自分に誇りを持っていた彼女は、万が一でも同胞に疑いが向くことは避けたかった。まぁ今回はそれが災いして、逆に入れ替わりに気づかれたわけですが」
「見事に引っかかってるじゃない」
メレディナの冷たい言葉にアルスは顔を上げられない。主君が笑って仲裁する。
「そう
アルスは改めて深々と頭を下げた。明らかになった真相に、しかしクムは苦い顔のままだ。
「ですが、テミスは私に彼女との結婚の予定を相談してきていたんです。彼は本当に、彼女をそんな風な見下す目で見ていたんでしょうか」
「それが本当なのか、それともあの女の妄想なのかは、もう誰にも分からないさ」
オスカーはそう締めくくると広げられた書面に署名した。
魔女を除いた三人は、話が終わると仕事に戻るために執務室を出て行った。黙々とカップを片付けていたティナーシャは、ぽつりと呟く。
「なんで私は女官のようなことをしているんでしょう……」
「お前の淹れる茶が
オスカーの返事に、彼女は釈然としない顔で、お茶を載せた盆を壁際の台に置いた。
「捕まった彼女はどうなるんですか?」
「
ティナーシャはそれを聞いて、痛々しいものを見るように自分の手の中に目を落とす。
「精霊術士は大きな街に出てくることがほとんどありませんしね」
「お前は大丈夫なのか? 手の内を見せて」
「のらくらかわしますよ。それに不本意ながら、貴方のお気に入りだと皆に認識されたようです。あからさまなことはしてこないでしょう」
「よかったじゃないか」
「よくない!」



