3.夜の透明 ④
「吹っ飛ばされ損ねたのがですか?」
オスカーの
「誰に聞いたんです? 教えてくれれば帰りますよ」
「し、知らない! 名前も聞いていない! 年老いたどこかの魔法士だ!」
頭を抱えて小さくなってしまった男を見て、二人は顔を見合わせた。
「例のやつだと思うか?」
「可能性は高いですが……どうも先手を打たれがちですね」
ティナーシャはパスヴァールの頭上を越えて空中を滑ると、オスカーの傍に降り立つ。
「何がしたいのかよく分からんな。前の事件と今回と、関連性が分からない」
左手を顎にかけて考えこみながら、彼は反対側の手で魔女の髪を梳いた。ティナーシャは撫でられる猫のように目を細める。その様子を椅子に隠れて見ていた男は、
「魔女が来てるということは、呪いの話は本当なんだろう! いい気味だ! お前も、お前の父親の血もここで終わりだ! 早く死ね!」
ティナーシャが軽く眉を上げる。腕を上げ構成を編みかけた魔女を、オスカーが手で制した。
「だとしても叔父上に心配して頂くことは何もない。安心してコラスの館にお戻りになるといい」
彼は言い捨てると、入ってきた露台に向かって踵を返した。その背に更に罵倒が浴びせられる。
「お前が死んだらこの国は俺のものだ! 今まで馬鹿にしやがって!」
オスカーはしかし、まったく聞こえていないかのように振り返らない。気が触れたかの
「あの人の血は絶えませんよ。何のために私が来ていると思ってるんです」
パスヴァールは、高笑いをやめると魔女を見上げる。彼女は月の光を受けて妖艶に微笑んだ。
「あの人の血は絶えない。そして……『あなたは二度とこの街に入ることができない』……決して」
男は大きく両眼を見開く。そうして今度こそ糸が切れたかのように、ぐったりと椅子に沈みこんだ。顔を上げる気力もないらしく、ただ小さく震えている。
ティナーシャはそれを氷のような視線で見やると、露台で待っているオスカーの元へ戻った。
「何をしたんだ?」
「呪いっていうのはああやってかけるんですよ」
魔女は目を閉じたまま微笑んだ。それは人の運命を左右する強者の、自信に満ちた微笑だ。
「帰りましょう、オスカー。もうここに用はないです」
ティナーシャは白い手を差し伸べる。彼がその手を取るとふわりと体が浮きあがった。二人は高度を上げると、夜の空を滑るように移動し始める。オスカーは子供のように眼下の景色に見入った。
「転移で移動も面白いが、空を飛ぶのも新鮮だな」
「転移魔法は移動先の座標が分からないと道を開けませんからね。さすがに私も城都全ての座標を把握はしてません」
ティナーシャはそこで不意に溜息をつく。驚いて顔を上げたオスカーに、彼女はぽつりと言った。
「……それにしても、すごい親戚ですね」
「なんだ、そのことか。と言っても血の繫がりはないからな。それがせめてもの幸いだ」
てっきり彼女が座標の把握不足を気にしたのかと思ったが、溜息をつかせたのは彼の境遇の方らしい。だが、どれほど忌々しく気分の悪いことがあろうとも、それらを含めた全てが自分の負うべき重さだ。誰と分かち合うこともできないし、誰に押しつけるつもりもない。自分はそういう一生を送るのだと、既に覚悟はできている。
苦笑するオスカーに、ティナーシャは心配そうな目を向ける。
「ちょっと貴方に同情しちゃいましたよ……。呪いのことは絶対なんとかしてあげますからね」
先ほどの屋敷にいた時とは違って、魔女のまなざしは真摯だ。少女のように透き通った目で自分を見上げている彼女を、オスカーは愛らしく思う。
「何だ、俺に嫁ぐ気になったか?」
「別の手段だよ!」
いつも通りの魔女の反応に、オスカーは声を上げて笑う。
胸が軽くなる。息がしやすい。
先ほどまでの
翌日の早朝、パスヴァールは取るものも取りあえず、逃げるように城都を出て行ったらしい。
そして彼はコラスの自分の館に引きこもり、終生そこから出ようとはしなかった。



