5.水の中に落ちる ②
「勿論すっぽかしました。それ以来会ってません」
「知ってはならない歴史の暗部を見た気がするぞ」
これでは馬鹿王と言われても仕方がない。オスカーは彼女と初めて会った時、何故魔女が<外字>祖父との契約について語りたがらなかったのか、分かった気がした。
「でもまぁ……嫌いじゃなかったですよ。馬鹿でしたけど。家族みたいに思ってました」
ティナーシャは目を伏せる。その闇色の中には様々な感情が去来しているようだ。
──もし彼女が魔女でなかったら、王の求婚を受けたのだろうか。
それはあり得ない仮定だ。だがもしそうだとしたら、彼女はどんな人生を送っていたのだろう。
「後に王妃になった……貴方の曾祖母とも私は仲がよかったですけど、彼女は頭がよくて機転がきいて、多分レグを上手く御したんじゃないですかね。貴方は彼女にちょっと似てます」
魔女は思い出話をそう締めくくると、ふわりとオスカーの前に降りてくる。白い手を彼の頰に触れさせて、大きな瞳で彼を見つめた。
その目はまるで、彼の中に過ぎ去った風景を見ているかのようだった。
※
城に戻り魔女であることを公表したティナーシャに、各人の反応は様々だった。
例の御伽噺もあることから、彼女がオスカーの傍にいることに難色を示す者も多かったが、彼女と付き合いがあった人間のほとんどは程度の差こそあれ好意的に受け止めた。そこには少なくない葛藤もあっただろう。だがそれを表に出さない彼らに、ティナーシャは複雑な微笑を見せただけだ。
そんな中、オスカーは父王を初め、呪いのことを知る数人に改めてティナーシャを紹介することになった。謁見の間ではなく、城の奥まった広間の一室に集められたのは、王ケヴィンの他に、内大臣ネサン、老将軍エッタード、魔法士長クムと、最後にオスカーと共に育ったラザルの五人である。彼らは思い思いの表情で、魔女を伴ったオスカーの説明を聞いていた。
「というわけで、俺の妻になる予定」
「ならないよ! 黙って聞いてればひどい説明を!」
身長差のため、宙に浮かんでオスカーを揺さぶっている魔女を、王は立ち上がって宥めた。
「無茶なことを言うやつで申し訳ない。お
「それ、まだあるなら処分して頂きたいです……」
ティナーシャは赤面しながら床に下りる。王は立ったまま彼女に向き合った。
「実際問題としてどうでしょう。何とかなるのでしょうか」
魔女は当然の問いに、困ったような笑みを浮かべる。
「一応無効化のための解析は始めてます。そのためにこの城で暮らすよう要請されたわけですし」
「いや、俺は一年の間に口説き落とそうと思って呼んだんだが」
「何だよそれ! 初耳だよ!」
「あの話の流れなら、そういう理由しかありえないだろう」
「そんな選択肢がありえない!」
真っ赤になって怒る魔女にオスカーは笑い出す。まったくこたえる様子のない契約者に、ティナーシャは拳をきつく握りしめると、王に向かい話を戻した。
「……解析はしてますが、この分野に関しては私より遥かに沈黙の魔女の方が上なんです。解き終わるまで数ヶ月かかると見ていいでしょうし、解析できても完全な解呪は望めないかもしれません。でもまぁ最終的には何とかしますので。安心してください」
「駄目だったらお前が責任とればいい」
「駄目とか言うな!」
再びオスカーを揺さぶり始めたティナーシャを見て、エッタードは隣のラザルに囁く。
「仲がよいように見受けられるが……」
「仲よろしいんです」
※
「もう……なんなんですか、あの紹介は……」
精神を消耗しきった謁見の後、ティナーシャは城の談話室で力尽きていた。テーブルに突っ伏している彼女に、隣に座ったオスカーは白々しく言う。
「噓はついてないだろう。何か問題あるのか?」
「噓がなければいいってものじゃないですよ! 絶対貴方と結婚とかしないですからね!」
「と言われても。呪いの無効化ができなかったら、他に手段はないだろう?」
「……なんとかしますよ。他の魔女を紹介するとか」
「すごい手段を出してきたな、お前……」
それはつまり、自分以外の妃候補として、ということだろう。彼に呪いをかけた沈黙の魔女張本人は除外するとして残る魔女はあと三人だ。ティナーシャは白い指でこめかみを押さえた。
「一人は危なすぎるので無理ですし、もう一人は話が通じませんが、最後の一人はなんとか。ちょっと性格に多々問題はありますけど美人ですし、貴方なら彼女に気に入られると思いますよ」
「そういう紹介の仕方で、どうして俺の気が変わると思ってるんだ」
他の魔女に興味がなくはないが、それはあくまで歴史に潜む強者としてだ。妻にするとして、目の前にいる五番目の魔女以上に惹かれるものはない。オスカーはあっさりと結論を出した。
「紹介は要らない。お前のことも気長に構えてるから平気だ」
「構えるな馬鹿! 立場を
ティナーシャは叫んで立ち上がると、そのままの勢いでお茶を淹れに行く。そうしているうちに魔法士のカーヴやシルヴィアもやってきて、一同は雑談に花を咲かせ始めた。
オスカーがお茶のカップを受け取りながら、ラザルに聞き返す。
「城内に幽霊が出るって? 何だそれ」
「今、噂なんですよ。夜の廊下を水びたしの女性が歩いていたのを見かけた人が何人もいるんです。彼女が通った後は床がこうびしゃびしゃーっと」
「掃除が大変そうですね」
冷ややかに言うティナーシャの横で、シルヴィアが青い顔をしている。この可愛らしい魔法士はどうやら怪談の類が苦手らしい。向かいでカーヴがカップを覗きこんでいた顔を上げた。
「でも私も他の魔法士から聞きましたよ。廊下でびしょ濡れの女に出会ったって。無言で顔を覗きこまれたそうです。で、怖くなって目を閉じて、何も起こらないので目を開けたら、誰もいなくて床が濡れてただけっていう」
「いやぁぁ」
シルヴィアは両耳を押さえてテーブルに伏せる。魔女は苦笑してそんな彼女の肩を叩いた。
「幽霊なんて存在しませんよ。魂は一種の力の在り方ですが、死後は自然と四散します。死後も形や意識を保っているなんて魔女でも無理です」
「本当ですか?」
「本当本当。だからそんなのがいるとしたら人間じゃないですね」
「いやぁぁっ」
シルヴィアの叫びに、魔女はしまった、という顔で舌を出した。オスカーがそれを聞き咎める。
「人間じゃないって、何かが城に入りこんでるとでもいうのか?」
「多分。できるとしたら魔物か魔族の類じゃないですかね。見てないので何とも……」
「魔物と魔族って何が違うんですか?」
素朴な疑問を口にしたのは魔法士ではないラザルだ。ティナーシャは
「明確な線引きがあるわけじゃないんですけど、魔物っていうのは既存の動植物が強い魔力や瘴気によって変質したものか、その血を継ぐものを言います。よく人に悪さするのはこれですね。ドルーザの魔獣なんかは宝石から発生した珍しい種類ですが、大まかに分ければあれも魔物です」
ティナーシャは空中につい、と白い指を走らせる。するとそこに、小さな銀色の狼が現れて、大きく口を開けて欠伸をした。狼はすぐにふっと消え去る。
「反対に魔族は、最初から『そういうもの』として存在する異種です。この辺人間から見た分類なんで、水妖とか妖精とか夢魔とかの異種も一緒くたですね。ただ本当に上位の魔族になると、人とは住む位階の違う概念存在ですから、こちらの位階に現出してくることも滅多にありません」
魔女の説明に、魔法士のカーヴが補足する。
「暗黒時代には、上位魔族を神と
「トゥルダールって
大陸史を思い出すオスカーに対し、ラザルはきょとんとした顔だ。カーヴはもっともらしく頷く。



