第2話 覚悟の担当 ①

 アキラが巨大なウェポンドッグに追われている。大きく歪んだ顔。非対称の8本脚。背中から生えた大砲。それを支える巨大なたい。そのどれもが逃れられない死を連想させるものばかりだ。その全てを持った怪物から死に物狂いで逃げていた。

 後ろから殺意の籠もった咆哮が響いてくる。巨体を支える太い脚が地を揺らしている。大砲から撃ち出された砲弾が周囲に降り注いでいる。状況は絶望的だ。


「あんなやつ相手にこんな拳銃でどうしろって言うんだ!?」


 その悲鳴のような叫びも、遺跡に響き渡る咆哮と砲撃音に飲み込まれて消えていく。応える者はいない。死の気配はもう背後まで迫っていた。

 ついにアキラは自棄になり、振り返って銃撃した。ウェポンドッグの顔面に銃弾が撃ち込まれる。そのまま引き金を引き続けて撃ち続ける。全て命中した。

 だがそれは何の意味も成さなかった。ウェポンドッグは銃弾を浴びてもたじろぎすらしない。逆にその巨体からは考えられない速度でアキラに飛び掛かり、獲物を食い殺そうとその大口を開いた。

 アキラは自分の体よりも大きく開いたモンスターの口を見て、絶対の死を感じ取った。そしてその通りに、食い千切られた。

 飛び起きた場所は見慣れたスラム街の裏路地の隅。いつもの寝床だった。アキラが少し硬直したまま、混乱と恐怖の残った顔でつぶやく。


「……夢?」


 すぐ側にいたアルファが微笑みながら挨拶する。


『おはよう。よく眠れた?』


 その瞬間、アキラは反射的にその場から退きアルファへ銃を向けた。得体の知れない誰かが、いつの間にか側にいたという危機に対する強い警戒を示していた。

 アルファは少し驚いた様子を見せたが、機嫌を損ねずに優しく話し掛ける。


『ごめんなさい。驚かしてしまったかしら?』


 アキラの表情が怪訝な様子を残しながらも、危険な見知らぬ誰かへ向けるものから、恐らく安全な知人へ向けるものへと変わっていく。


「…………アル、ファ?」


 アルファはアキラとは対照的に笑顔を浮かべている。


『そうよ。忘れてしまったの?』


 アキラはようやく昨日の出来事を思い出した。緊張を解いて安堵の息を吐き、銃を下ろして不味まずそうに謝る。


「……悪かった。ちょっと驚いたんだ。起きた時に誰かが側にいると、大抵強盗とかなんだよ」

『良いのよ。気にしないで』


 アルファの全く意に介していない様子から、本当に怒っていないと判断したアキラは、折角できた協力者を失わずに済んだと思って安心した。


(……良かった。そもそもアルファに銃なんか効かないんだから、銃を向けられてもそんなに怒ることでもないんだろう。危なかったな。……それにしても、夢で良かった。アルファと出会ってなければ、あっちが現実だったんだろうな)


 ささやかな騒動はあったものの、アキラの昨日までとは全く違う新しい日々が始まった。



 クガマヤマ都市のスラム街は都市の外側、荒野との境界辺りに広がっている。治安も経済も劣悪で、外からはモンスターが、内からは強盗が、弱者を食い物にしようとばっする都市のめだ。この掃き溜めから抜け出す為に、アキラはハンターになったのだ。

 都市はそのスラム街で朝夕の一日二回食糧の無料配給を行っている。アキラはこの配給の列に基本的に毎日並んでいた。

 早朝、配布時刻までにはまだ結構な時間があったが、既に列が出来ていた。アキラはアルファと一緒にその最後尾に加わった。


 配給の列には大人しく整然と行儀良く並ばなければならない。騒ぎを起こしたり割り込んだりすると、その人物には食料が配給されない。場合によっては配給そのものが中止となる。当然、その原因となった者は後でふくろだたきに遭う。

 これは都市による無言の教育でもある。スラム街の住人であっても列の並び方ぐらいは学んでもらった方が都市側にも都合が良い。そして都市側の規則を守らない者がいる場合、スラム街全体が不利益を被ると認識させるのにも都合が良いのだ。

 それらの教育の成果もあり、袋叩きに遭って死亡した者達の犠牲を積み重ねた結果、基本的に物騒なスラム街にもかかわらず、配給の列は整然とした落ち着きを保っている。

 そして配給所は自力で食料を買えない貧困者をスラム街に纏める機能でもある。同時に最低限の治安維持の手段でもある。

 金も食料も無いからといって大人しく飢え死にする者ばかりではない。どん詰まりの者がスラム街に不自然に供給されている銃器を手に取って強盗に転職するのを、最低限の食糧供給である程度防いでいた。この配給のおかげでアキラも何とか生き延びていた。


 アキラはいつものように配給の列に並びながら、アルファの異常性を改めて思い知っていた。

 見惚れるほどに整った顔立ち。輝くような髪の光沢。きめ細やかな肌の艶。異性を誘う魅惑の肢体。その身を包む露出過多の服装。アルファはこれだけでも注目を集めない方が不自然だ。

 加えて所謂旧世界風と呼ばれる特有のデザインの衣服も人目を引くには十分だ。アキラのような者から見ても非常に高価なものだと分かる質の違いも明らかだ。

 旧世界の技術に携わる者がその細部を見れば、間違いなく旧世界の高度な技術で製造された代物だと識別できる。旧世界の遺物としても高額なのは間違いなく、注目に値する品だ。

 それだけ注目を浴びる要素を集めれば、普通なら軽い騒ぎが起こっても不思議は無い。だがそれにもかかわらず、周りの者達は誰一人アルファに反応していない。

 それはアルファを認識できる者は本当に自分だけなのだと、アキラに実感を以て納得させるのに十分なものだった。

 アキラがアルファに小声で話し掛ける。


「他のやつには本当に見えないんだな」

『そう言ったでしょう? 信じていなかったの?』


 不服そうなアルファの様子に、アキラが少し慌てながら小声で弁解する。


「いや、そういう訳じゃなくて、基本的に見えないってだけで、他にも見えるやつがいるんだろうと思ってたんだ。俺には見えているんだから、他にも見えるやつがいても不思議は無いだろう?」

『ああ、そういうこと。その辺の話はいろいろ説明が大変で長くなるのよ。後でゆっくり話しましょう』


 アルファはアキラとは対照的にはっきりとした声で答えている。その澄んだ声に反応しているのもアキラだけだ。アキラもはっきりと答えていれば、幻聴と会話する不審者が出来上がっていた。

 配給が始まり、アキラの順番が来る。今回の食料を受け取って列から少し離れる。

 この距離もアキラのような子供にはかなり重要だ。離れ過ぎると折角貰った食料を奪いに来る者が現れるのだ。配給の邪魔をしないように、後で袋叩きにされないように、暗黙的にごとを起こさないと決められている距離で食べてしまうのが一番だ。

 奪う側も奪われる側も、銃ぐらいは持っている。不要な殺し合いを避ける為にも重要だった。

 今回の配給品は、透明な包装の中に入ったサンドイッチのような物だった。包装には識別コードである文字列が記載されている。アキラはそれをじっと見ていた。なかなか食べ始めない。

 アルファが少し不思議そうに声を掛ける。


『食べないの?』


 遺跡から発掘された動作状態の怪しい生産装置が生み出した合成食料。土壌の汚染状況の確認が困難な農地で試験的に栽培した野菜。生物系モンスターの食用に回しても恐らく安全だと考えられる部位の肉。それらを原材料にした加工品などが、有り余る善意で、金の無い者でも手に入るように、無料で提供されている。

 そしてそれらの食料をスラム街の希望者に一定期間提供した後にしばらく様子を見る。それで死亡者や突然変異者が続出しなければ、その原材料は一定の安全確認が済んだと判断されて一般に値を付けて販売される。そして別の安全性未確認の何かが、新たな食料の原材料となる。

 それがこのサンドイッチだ。パンも具材も、その手の何かだ。


「……。食べる」


 配給側はそれらの事情を一々説明などしない。だが受け取る側も薄々は気付いている。アキラもおぼろげにだが何となく察している。しかし食べないという選択肢は無い。食べなければえて死ぬからだ。

刊行シリーズ

リビルドワールドIX〈上〉 生死の均衡の書影
リビルドワールドVIII〈下〉 偽アキラの書影
リビルドワールドVIII〈上〉 第3奥部の書影
リビルドワールドVII 超人の書影
リビルドワールドVI〈下〉 望みの果ての書影
リビルドワールドVI〈上〉 統治系管理人格の書影
リビルドワールドV 大規模抗争の書影
リビルドワールドIV 現世界と旧世界の闘争の書影
リビルドワールドIII〈下〉 賞金首討伐の誘いの書影
リビルドワールドIII〈上〉 埋もれた遺跡の書影
リビルドワールドII〈下〉 死後報復依頼プログラムの書影
リビルドワールドII〈上〉 旧領域接続者の書影
リビルドワールドI〈下〉 無理無茶無謀の書影
リビルドワールドI〈上〉 誘う亡霊の書影