第4話 旧世界の幽霊 ⑥
「分かってる。そっちはガキを逃がさないように、そのままそこを見張っていてくれ」
ハッヒャがアルファに叫ぶように指示を出す。
「ガキの場所まで案内しろ!」
ハッヒャが再び歩き始めたアルファの後に付いていく。今度はその妖艶な後ろ姿を見ても、色気より怒りが先に来て、視線を奪われることは無かった。
◆
アキラはハッヒャを奇襲したは良いが、反撃を食らって深手を負ってしまった。急いでその場から逃げたおかげで追撃まで食らうのは免れた。それでも本来なら身動きも難しい重傷だ。
被弾箇所を押さえながら
激痛がそれ以上動くなと警告し続けている。その警告を覚悟で握り潰して走り続ける。事前に大量に服用しておいた回復薬が、被弾の直後から怪我の治療を続けている。そのおかげで何とか歩くよりは速く進めていた。
しばらくすると、被弾の痛みは鎮痛作用のおかげで急速に収まっていく。だが怪我の治療自体はそこまで進んでいない。それを進める為に、非常に険しい表情でポケットから粉状の物を取り出した。
粉は回復薬のカプセルの中身だ。被膜を解いて取り出し、すぐに使用できるようにポケットに詰めていた。粉の成分は治療用ナノマシンであり、それを服用ではなく患部に直接投与することで、回復効果を劇的に高めることが出来る。
ただし直接投与すると鎮痛効果が非常に低下する上に激痛を覚える。使わなければ死ぬと分かった上で躊躇してしまうほどの激しい痛みだ。アキラはその痛みを、先日スラム街で撃たれた時の治療で体感済みだった。
既に痛みで歪んでいる表情に、これから加わる激痛を想像して更に顔を歪めて、それでも覚悟を決めて銃創に塗り付ける。そして、想像以上の痛みに襲われた。
歯を
次第に痛みが引いてくると、先程撃たれたばかりなのにもかかわらず、それなりに走れるようになった。
旧世界製の医療品。旧世界の遺物。アキラはその価値を改めて身を以て実感し、苦笑した。
「……流石は旧世界製ってところか。旧世界の遺物ってのは凄えな。売れば高値になる訳だ」
そこにアルファの声が届く。
『ごめんなさい。離脱は三発後ではなく、二発後にするべきだったわね』
アキラが軽く首を横に振る。
「いや、俺が当てれば良かっただけだ。俺の所為だよ」
アルファの姿は見えないが、声だけはずっと聞こえていた。先程の奇襲の時も、通路から飛び出すタイミングをしっかりと指示された。
敵から見た死角の位置。奇襲のタイミング。銃撃の回数。命中率よりも、素早い銃撃と即座の離脱を優先した行動。全てアルファの指示で、アキラは出来る限りその指示通りに動くよう最善を尽くした。
その結果、無防備な敵を背後から一方的に銃撃できたのだ。奇襲としては完璧だ。アキラにアルファの指示の内容を疑う余地は無かった。
ここで二人の失点を敢えて挙げるとするなら、アルファの失点は、アキラの拳銃が敵にどこまで通用するかを調べる為に、一発だけで良いから当ててほしい、当たったら即座に離脱していい、と指示したことだ。その指示が無ければ、アキラの失点は生まれなかった。
そしてアキラの失点は、それを聞いて無意識にちゃんと狙おうとしてしまったことだ。その所為で動きがわずかに遅れていた。
何も考えずにとにかく三発撃って即座に離脱していれば、アキラは負傷せずに済んでいた。
そのわずかな失敗の所為で死ぬこともある。実際にアキラは深手を負った。その所為で気落ちしているアキラに、アルファが優しくも力強い自信に溢れた声を掛ける。
『アキラ。項垂れるような結果ではないのだから、顔を上げなさい。明確な格上相手に奇襲を仕掛けて、生き残っているのだから上出来よ。現在の実力不足は今後の訓練で好きなだけ補えば良いわ。嫌と言うほどたっぷりと鍛えてあげるから、そこは私に任せておきなさい』
アルファは当たり前のように今後の予定を話していた。その生還を当然のものと認識している態度に、アキラも落ちかけていた意気を取り戻した。そして意気を更に上げる為に無理矢理にでも軽く笑った。
「……。そうだな。頼んだ」
『任せなさい。それにちゃんと一発当たったから、下準備は完了よ。次で殺せるわ。相手の装備と行動パターンの分析が終了したからね』
「本当か? アルファは本当に凄いんだな」
『言ったでしょう? 私は高性能だって。ただ、相手にかなり近付く必要があるから、その覚悟はしておいてね』
「分かった。大丈夫だ。覚悟は済ませた」
次も最善を尽くす。そう決意して顔を引き締める。被弾の痛みなど、もう感じていなかった。
◆
ハッヒャは沸き立つ怒りでアルファにも気を取られずに、アキラを警戒しながらビル内を進んでいた。だがしばらくするとその警戒も再びおろそかになっていた。
何も起こらなければ激情も持続しない。加えてアルファの案内で進んでいる以上、どうしてもアルファの姿を見てしまう。その魅惑の後ろ姿に釣られて思わず視線を向けてしまい、それでは駄目だと視線を逸らして、余計に気になってしまう。
結果的に周囲の警戒が再びおろそかになる。特にアルファから意図的に目を逸らそうとしてしまった分だけ、前方の注意は更におろそかになってしまっていた。
ハッヒャも流石にこれでは不味いと思い、注意散漫ながらも周囲の警戒に意識を割く。その分だけアルファから意識を逸らした。そして周囲の確認を終えて再び視線を前に戻すと、アルファは通路の少し先、丁路地の分岐の辺りで立ち止まっており、通路の一方を指差していた。
(……ガキはそこか!)
ハッヒャはアルファが指差す方向からアキラの位置に当たりを付けると、その距離なら安全だと判断して分岐の手前まで一気に走った。そして通路から片腕だけ出して乱射する。大体の位置しか分からなくともアキラに確実に命中するように撃ち続けた。
発砲音が通路を反響してビル内に響き渡る。高速で撃ち出された大量の銃弾が通路の床、壁、天井に着弾し、無数の跳弾が通路を縦横無尽に駆け巡り、空間から死角を消し去った。
ハッヒャが撃ち尽くして空になった弾倉を交換しようとする。ちょうどその時、アルファが通路の先を指差すのを止めた。ハッヒャはそれに気付くと、対象が死んだので指差すのを止めたと解釈した。
「よし。死んだか」
安心したハッヒャは弾倉交換の手を止めて通路に出ると、アキラの死体を確認しようとした。だがそこには銃撃で傷付いた通路の光景が有るだけだった。勝利を確信して緩んでいた顔が途端に険しくなる。
「おい、ガキがここにいたんじゃないのか!?」
ハッヒャがアルファに詰め寄って怒鳴り付けたが、アルファは微笑みながら口を動かすだけだった。聞いても無駄だと思い、いらだちながら再度怒鳴る。
「ガキだ! あのガキを指差せ!」
アルファがハッヒャの背後を指差す。ハッヒャが思わず振り返る。だがそこには誰もいなかった。
銃声が響く。ハッヒャが腹部の痛みで被弾を知る。驚愕で動きを止めてしまった隙を衝かれ、更に数発撃ち込まれる。安値とはいえ防御服を着用していたおかげで致命傷ではない。銃弾は貫通せずに表面で止まっていた。だがハッヒャから立ち続ける力を奪うには十分だった。苦悶の声を上げながら床に崩れ落ちる。
ハッヒャが激痛で床に横たわりながら、混乱した意識で状況を把握しようとする。
(……撃たれた!? どこからだ!? 敵なんかどこにもいなかった! いるのは女だけ……、女が撃った!? 馬鹿な! あれは映像だけのはずだ! 撃てる訳が……)
有り得ない事態がハッヒャの混乱に拍車を掛けていた。だがその混乱も、事態の答えが現れたことで更なる驚愕に押し流された。アルファの中からアキラが出てきたのだ。
(重なって、見えなかった、だと!?)
アキラがハッヒャに近付いて銃を構える。両手でしっかりと握り、照準をハッヒャの額に狂い無く合わせる。
ハッヒャは被弾の激痛に耐えながら、先に銃をアキラに向けて引き金を引いた。だが弾丸は出ない。弾倉が既に空だからだ。



