第一章 首輪 ④
「そんなにも、えっちな書物を買いに行きたいんですか?」
「ついてくるなら勝手にしろ!」
ダメだ。ここで追い払ったら王宮に戻った時の「ああ、いかがわしい本を買ってきたんだなぁ」という視線に耐えられない。マキナのやつ、これを見越して俺の部屋から秘蔵のコレクションを持ち出したな? ……いや。あいつのことだから、単にからかいたかっただけという可能性もあるが。
「どこに行くんですか?」
「別に特別なとこには行かねーよ。ただいつも通りの道を、ぶらぶらするだけだ」
シャルとマキナが身に纏っている外套は、俺と同じ認識阻害効果が組み込まれた高価なものを使っている。これならば、そうそう身元がバレることはないだろう。
追い払うことを諦めた俺は、影のベールに覆い尽くされたような路地裏から、フラリと表の大通りに身を滑りこませる。この大通りには多くの露店が立ち並んでおり、活気と
色々と物珍しいのだろう。シャルはきょろきょろと
「シャルは普段、こっちの大通りは利用しないのか?」
「そうですね。表の方を使うことが
「ま、あそこはこの街の上っ面だからな。体裁を取り繕って綺麗にしてる分、貴族は基本的に向こうを使う。こっちの大通りを知らないってのも珍しいことじゃないか」
「小汚い平民が歩いてると注意されるような場所なんで、普通に移動する分にはあそこを通るのが快適ですよね。少なくとも、こんな風に人ごみに囲まれることはないですし。……あそこは国外からの客人を招く際にも利用されるだけあって『とりあえずあの辺だけは綺麗にしとけ!』って感じなんですかねー。わたしはこっちの方が好きですけど」
「つっても、実際に街を支えているのはこっち側の連中なんだろうけどな」
いくら綺麗に取り繕っても、小奇麗なだけの張りぼてに過ぎない。
こちらの活発な大通りこそ、人々の生きた営みの証なのかもしれない。
「こんだけ人がいるんだ。シャル、迷うなよ……って、あれ?」
いない。さっきまで傍を歩いていたはずのシャルの姿が
「シャル、どこいった!? ってか、マキナも居ねぇ!」
マキナも消えたということはシャルについてるのだろうから、ひとまず安心ではあるが。
「オォーウ、麗しのお嬢さん。ウチの品物に興味があるんですカ?」
人混みの中でも無駄によく通る声は、よくこの辺でインチキ
「フッフッフッ……普通はお見せしないのですガ、あなたには特別ニ! とっておきの魔道具をご紹介いたしましょウ! こちらの商品、見た目は何の変哲もない
バカらしい。そんな魔道具は王都の魔導研究所ですら開発できていない。そもそも飛行魔法からして高度で扱いが難しいというのに、こんな露店で売ってるわけがないのだ。
「えっ!? 飛行用魔道具が既に実現していたんですか!?」
いるもんだなー。こんな
「ハッハッハー! その通りデース!」
「ですが、それだけ高性能な魔道具となると、やはりお高いのでは?」
「確かに普通ならバ、金貨五百枚はくだらない代物デース……ところがなんト! 今なら金貨三枚! たったの金貨三枚で買えちゃうのデース!」
「たったの金貨三枚で!? すごいっ! すごいですっ! アルくんに教えてあげないとっ!」
「……って、シャルかよっ!?」
どうりで聞き覚えのある声だと思ったよ!
ずっこけそうになりながらも人混みをかき分けると、どう見てもただの箒にしか見えないインチキグッズに目をキラキラと輝かせるシャルと、肩を
「アルくんアルくんっ! 見てください! この箒、すごいんですよ! 絵本に出てくる魔法の箒みたいに空を飛べるのに、たった金貨三枚で買えちゃうんですっ!」
「確かにお得だなー。その箒が、本物だったら」
「本物ですよっ! そうですよね、店主さ……あれ?」
シャルが振り返った時には、既にインチキ露店商の姿は消えていた。俺が来た時点で早々に荷物をまとめてずらかりやがったからな。
困惑するシャルに簡単に説明してやると、
「えっ、空飛ぶ箒は噓?
と、本気で残念そうに肩を落としていた。
「お前はもう少し、人を疑うってことを覚えた方がいいぞ」
「……そうかもしれませんね。でも、たぶん次も信じちゃうと思います」
「学習しろよな。優等生なんだから、勉強は得意だろ」
魔法学園の座学でも、シャルの成績は学年トップだったはずだ。
「だって、次は本当かもしれないでしょう?」
そう、綺麗事を吐く目は。一切の濁りも汚れもない。純粋で、透き通った瞳をしていた。
「……バカか。そんなんだから無実の罪をでっちあげられて婚約破棄なんかくらっちまうんだ」
言ってしまった後で、自分で自分が嫌になった。こんなこと言ってもシャルが傷つくだけなのに。
「……そうですね。でも、だからこそ信じたいんです。誰からも信じてもらえないことが、どれほど
あの日。あの夜。婚約破棄を突き付けられ、やってもいない罪を並べられて。シャルを信じようという者は、誰も居なかった。誰からも疑われ、信じてもらえなかった。
「噓みたいな本当のことが起きて、それを誰にも信じてもらえなかったら、とても悲しいと思います。だからせめて、私だけでも信じてあげたいんです」
「何度騙されてもか?」
「何度騙されてもです」
僅かな
「
「そういうアルくんだって、同じことをしてくれたじゃないですか」
「俺が? いつそんなことをしたんだよ」
「私を信じて助けてくれました」
「…………っ……」
つい、言葉が途絶える。不意打ちでデコピンでもくらったみたいだ。
「そ……れは、あのルシルとかいう女の件は、前から調べてたからだ」
「つまり、元々アルくんは、私のことを信じてくれていたということでしょう?」
「……無駄に口が回るな。それを婚約破棄の時に発揮しろよ」
「
星のように眩しく、尊く輝く笑顔を見せる。……とてもじゃないが、直視できない。
「だから私は、今も誰かを信じることが出来るんです」
「………………あっそ。そりゃあよかったな」
つい、シャルから顔を
「ふふっ。一本取られましたねぇ、アル様」
「うるせーな」
「でもまあ…………お二人はお似合い、だと思いますよ」
「どこがだよ。むしろ、これほど不釣り合いな組み合わせもないだろ。親父も余計なことをしてくれたもんだぜ」
「そうですかね? シャル様がただひたすらに人を信じるなら、疑うのはアル様が担当すればいいわけですし。互いの得意・不得意を補い合える、素敵な関係だと思いますよ。私はなんでもできるスーパーメイドさんの自覚はありますけど……きっと、シャル様みたいには出来ませんから」
普段はおちゃらけているくせに、なんか妙に静かだな。こいつのことだからもっとからかってくるもんだと思ってたけど。
「おっ。アルじゃないか」
鮮やかな色の果実が並んだ露店の前を通りかかると、店主である中年の男に呼び止められた。
「アルくんのお知り合いですか?」



