第一章 首輪 ⑤
「第三王子ってことは知らないですけどね。アル様はこのあたりでは正体を隠して『アル』と名乗ってるんですよ。……あ、ちなみにわたしは『マナ』という名前で通ってるので、そのつもりで」
首を
「よう、ロルフ。そろそろ不良在庫のベッドは卒業したか?」
「生憎と
「あ────……ちょっとな」
言葉を濁していると、無駄に勘の鋭いロルフは何かしらにピンときたらしい。
「そっちのお嬢さん。さては、アルのガールフレンドかい?」
「婚約者です」
「婚約者ぁ!?」
俺が止める間もなく、シャルはいともあっさりと『婚約者』と口にした。
思わぬ爆弾発言をくらった店主ロルフは仰天し、さしものマキナもこれは予想していなかったのか、ぎょっと目を丸くしている。
「えっ? えっ?」
当のシャル本人だけが何も分かっておらず、慌てるばかりだ。
「婚約者かぁ……まるで貴族みたいな話だなぁ」
「実は若い子たちの間でそういう言い方が
おおっ。ナイスフォローだマキナ。
「へぇー……若者の流行ってのはよく分かんねぇや。……ん? つーことは、マナちゃんも若者の言い方に倣うなら『婚約者』ってことになるのかい?」
「………………………………そうなりますね!」
おいアホメイド。なんだその「その手があったか!」みたいな顔は。
「あ。でもでも、わたしは二番目だったりするんですよね。その辺はわきまえてるっていうか」
「二番目ぇ!? かーっ! なんだてめぇアルこの野郎!
余計な混乱を生んでんじゃねぇ! いや「ついうっかり☆」じゃなくてだな!
「と、ところでロルフ! 最近、商売の方はどうだ!?」
「まあ、上手くいってるよ。カワイイ娘の誕生日プレゼントをちょっと奮発してやれそうだ」
ロルフは既に妻を亡くしており、大切な一人娘を溺愛している。
「そりゃよかった。……最近、特に変わったこともないか? 実はこれからギルドの方に顔を見せようと思っててな。面白い話の一つでも仕入れておきたいんだ」
「面白い話ねぇ……やっぱアレじゃないか? レオル様の婚約破棄」
婚約破棄。その単語を耳にしたシャルが、
「噂には聞いてるけどな」
「なんでも、また例の第三王子が悪さしたらしい。レオル様の婚約者を奪い取るために、嫌がる公爵令嬢を強引に略奪したんだとか。ひでぇことしやがるぜ」
「へぇー。そいつはとんでもない悪党だな」
「まったくだ。こんなのが第三王子なんて、この国は大丈夫なのかねぇ……ま、レオル様をはじめとする他の王族の方々がいれば安泰だろうがな!」
どうやら商売の方が上手くいってるというのは本当らしい。ロルフは機嫌よく言葉を繫げる。
「第一王女のルーチェ様は、宮廷魔法使い顔負けの魔力を持っている! 第二王子のロベルト様の
「確かにな。第三王子なんて卑怯者は居なくなった方がこの国のためだろうよ」
「はははっ! そうだな! ……っと、そうだアル。せっかく
ロルフは
「サンキュー。また来るわ」
「おう! いつでも来い!」
受け取った果実を抱えながら、シャルとマキナを連れて露店を去り、また大通りを歩いていく。
「今のが情報収集……なんですか?」
「たまに馴染みの店に顔を出して色々と話を聞いて回ってるんだ。不審な奴が入り込んでないかとか、レオ
……だからシャルは連れて来たくはなかったんだけどな。マキナのやつは下手くそな口笛を吹いて誤魔化してるが。
「……ですが、」
シャルが言葉を紡ぐより先に、貰った林檎を一つ放り投げてやる。
「わっ」
「せっかく貰ったんだ。シャルも食ってみろ」
「ロルフさんの店は何気に質の良いのを仕入れてますからね。味は保証しますよ」
雑踏の中を歩きつつ貰った林檎にかぶりつく。そんな俺たちを、シャルは不思議そうに眼を丸めて見ていた。
「ん? どうした」
「あっ、す、すみません。歩きながら物を食べるということに慣れてなくて……」
言われて、俺とマキナは互いに顔を見合わせる。
「そういえばシャルロット様って公爵令嬢ですし、元は第一王子の婚約者でしたもんね」
「こんなお行儀の悪いことはしたことがないよなぁ……どっか座れるところでも探すか」
こっちは悪名高い第三王子とそれに仕えるはっちゃけメイドだ。不良のようなものである。対してシャルはというと、学園でも王宮でも優等生だった。
「い、いえっ! 私もお二人に倣いたいと思います! ……えいっ!」
かぷっ、と。シャルロットはその小さな口で林檎をかじる。
「あ…………
「でしょー? ふっふっふっ……これでシャルロット様も悪い子の仲間入りですね!」
「勝手に仲間入りさせてんじゃねぇ。シャルも、無理やり
食べ歩きという行儀の悪いことをしながら、いつもの道を歩いて向かった先は、
「冒険者ギルド?」
「そ。冒険者って連中はあちこち動き回ってるからな。自然と情報が集まるんだ……って、シャルは冒険者ギルドの建物に入ったことないか」
「はい。絵本の中で読んだことがあるだけで……だから、とても楽しみですっ!」
貴族の中には、冒険者は荒くれ者の野蛮な集団という印象を抱いている者もいる。それでいうとシャルは偏見のない方なのだろうが、それにしたってこうまで目を輝かせるというのも珍しい。
そうして目をキラキラとさせているシャルを連れて、ギルドハウスに足を踏み入れる。
「アルさんじゃないですか。こんにちは。……おや? 珍しいですね。お連れの方がいるなんて」
入って早々に出迎えてくれたのは、ギルド受付嬢のメイジーさんだ。鉄壁の営業スマイルで瞬く間に野郎どもの心を落とし、十九歳という若さで瞬く間に看板受付嬢の座まで上り詰めた、中々に
「連れてるというか、勝手についてきたってのが正しいんだけどな。空いてる席はあるか? 見た感じ、結構埋まってるけど」
「空いてる席なら奥に一つだけありますよ。今日はケヴィンさんたちのパーティが迷宮を一つ踏破したんで、その打ち上げで盛り上がってるみたいです」
「へぇー。そりゃめでたい。あとで一声かけとくよ」
ギルドハウス内には酒場スペースが併設されており、打ち上げを行う冒険者たちも珍しくない。
今日も知り合いの冒険者であるケヴィンのパーティが盛大な打ち上げを行っており、笑い声がこの受付まで聞こえてくるほどだ。
「シャル。ここの雰囲気が合わなかったら、無理せず外で……」
「わぁっ。本物の受付嬢さん……! あっ、あそこにあるのはもしかしてクエストボードでしょうか? 物語の中でしか見たことないものがたくさん……! ここはやはりお約束として冒険者登録をしておいた方が……」
「……待つ必要はなさそうだな」



