第一章 首輪 ⑥
良くも悪くも箱入りで育てられてきただけあって、シャルには街のことがどれもこれも新鮮に映るらしい。……まあ、王妃になるための厳しい教育を受けてきたんだ。無駄な寄り道をしている暇なんてなかったんだろう。
ひとまず空いているという席に座る。シャルはメニューを感激したように見つめて夢中になっており、その様子は
「マキナ。お前、このために連れてきたのか?」
「なんのことですか?」
「とぼけんな。シャルを気分転換させてやろうとしたんだろ」
「……アル様のことを知りたい、って言われたので、それもなくはなかったんですけど。ただ、まだ婚約破棄から日が浅いせいか、お顔がどこか沈んでらっしゃったんですよ」
冒険者ギルドに夢中になっている本人には聞こえない程度のボリュームで言葉を交わす。
周囲が賑わっているせいもあってか、シャルには聞こえていないようだ。
「にっぶーいアル様じゃ繊細な女の子のフォローは難しいですからねー。気の利くメイドのマキナちゃんが動いてあげよーかと思った次第なわけですよ。泣いて喜んで感謝して、ついでに褒めてくれちゃってもいいんですよ?」
「そうだな。お前には感謝してる」
「なーんて……ふぇっ?」
ペラペラといつも通り騒がしくお
「ど、どーしたんですか急に」
「いつも俺のために色々と動いてくれてるし、こうして俺の手の届かない範囲からフォローしてくれるしな。ありがとう。いつも感謝してるよ、マキナ」
「………………」
素直に褒めたというのに、マキナの反応はそっけない。というより、そっぽを向かれてしまった。
「………………ずるいですよ。そう素直に褒められたら、嬉しくなっちゃうじゃないですか」
何がずるいというのか。泣いて喜んで感謝して褒めてもいいと言ったのはお前だろうがよ。
「おぉ、アルじゃねぇか! 久しぶりだなぁ!」
ガタイの良い、一人の若き冒険者の男が、
「よぉケヴィン。受付で聞いたぞ、迷宮を一つ
「おぉよ! 今日はみんなで打ち上げやってんだ! お前も飲むか、
「気持ちだけ受け取っとくよ」
昼間から酒とは随分とご機嫌だな。
「アルくん。こちらの方は?」
「知り合いの冒険者のケヴィンだ。こんなんでも、若手の中じゃトップクラスの実力者なんだぜ」
「こんなんでもとはなんだ、こんなんでもとは。……っとぉ? おいおいなんだよアルぅ。やるじゃねぇか、両手に花とはよ。オレにも紹介してくれよぅ」
「申し遅れました。アルくんの婚約者で、シャル…………」
「『シャル』! 『シャル』って言うんだよ!」
「……あっ。そ、そうですっ! シャルと申します!」
シャルの方もうっかりしていたのあろう。危うく本名を口にしそうになっていたので、慌てて強引に誤魔化しを入れた。
「決して、シャルロットという名前ではありません!」
おバカ!
「シャルちゃんって言うのか、よろしくな! ……ありゃ? そーいや、最近似たような公爵令嬢の話を聞いたことがあるような……しかも婚約者って……」
「あわわわっ……き、気のせいです!」
馬鹿正直で騙されやすいだけあって、シャルは噓をつくことが苦手らしい。シャルを嵌めた相手はさぞかし簡単に事が進んだことだろうよ。
「ああ、そうだ! 平民
くっ……そこに行きついてしまったか。どうやって誤魔化したものか……。
「こんな偶然もあるんだなぁ」
こいつが単純で助かった。
「シャルちゃんも迷惑してるだろ。平民虐めをした公爵令嬢と似た名前なんてさ」
「いえ……その……」
苦笑いで誤魔化すシャル。そもそも平民虐めなんてしていないのだから、この反応も無理はない。
しかし、ケヴィンはそんなシャルの反応にも気づかず続ける。
「まったく、許せねぇよなぁ。そりゃ貴族様にとっちゃ、オレらみたいな平民は虫けらみたいなもんだろうけどよ。だからってわざわざ虐めてストレス解消するなんて性根が腐ってるだろ」
機嫌の良かったケヴィンが徐々に愚痴モードに入っていく。
にしても、ストレス解消か……そんな風に伝わってるのか。ロルフのところと話が違うってことは、まだ噂の形が曖昧になってるってことか。
「公爵家がどれほど偉いもんか知らねぇが、最低な奴だよ。レオル様が婚約破棄されるのも当然の性悪女だぜ。あんな女を欲しがるなんざ、噂の第三王子も腐った野郎なんだろうな」
「…………っ……」
シャルの苦笑いが徐々に強張っていくことにも気づかず、ケヴィンは続ける。
「あー、
「それ以上つまんねぇことほざくな。酒が
伝わるのかは分からない。けれど俺は、自然とテーブルの下でシャルの手を握っていた。
「……アル? どうした、怖い顔して」
「悪い悪い。俺の聞いた話と随分と違ったもんでな」
表情に出てしまったか。こういう時、出来るだけ崩したくはないんだけど。
ダメだな。やっぱり。俺個人のことだけなら、こんな気持ちにはならなかったのに。
「婚約破棄の噂な、例の公爵令嬢は被害者だ」
情報は正しく修正しておく必要がある。この調子で酒が入る度に吹聴されてはたまらない。
「例の公爵令嬢が平民虐めをしていたなんてデタラメだ」
「そうなのか? だったら、なんでそんな噂が流れてるんだよ」
「全てを仕組んだのは第三王子だ」
テーブルの下で繫がっている手が微かに跳ねる。
「ち、ちがっ…………!」
立ち上がろうとしたシャルを制止させるように、少しばかり強く手を握る。
「あの公爵令嬢を手に入れるために色々と画策してたらしいんだよ。その結果、あいつは汚い手を使ってまんまと狙いの令嬢を手に入れたってわけだ」
「つまり?」
「『悪いのは』『全部』『第三王子』」
「なるほど!」
こいつが単純で本当に助かった。
「情報通のアルが言うならそうなんだろうな……だとしたらなんか、その公爵令嬢には悪いことしちまったなぁ。勘違いとはいえ、好き放題言っちまった」
「酒の席の話だ。たまにはこんなこともあるだろ。……それに、悪いと思ってるんなら、その噂が耳に入った時に訂正してやってくれ」
「そうだな。うん。そうしとくよ」
ケヴィンはアホで単純だが、同時に素直でもある。それがこいつの良いところだ。そういう裏表のない人柄のおかげか、冒険者を中心に色んな人に慕われ、幅広い人脈を持っている。
色々な連中にいちいち噂を訂正して回るより、ケヴィンという根っこを抑えた方が修正しやすい。
「……少し用事を思い出した。俺たちはそろそろいくよ」
「おう! またな!」
そうして俺たちはケヴィンと別れ、冒険者ギルドを後にする。
「今日の外回りはこんなもんか。あとは王宮に戻って……」
「……………………」
「……シャル?」
「あ…………いえ」
シャルの足取りは重い。言いたいことは、分かるんだけどな。
「気にするな。俺が言えるのは、それだけだ」
「…………ごめんなさい」
シャルは
「それだけは、出来そうにありません」
☆
街から王宮に戻った俺は、お忍び用の装いから着替えを済ませ、兵たちの訓練場に向かった。
中に入ると、既に鍛錬が行われていた。兵たちはまだ見ぬ脅威に備えて王国の守護を担うべく汗を流している。
「アルくん」
兵たちの鍛錬を見学していると、そこにもシャルが現れた。当然、マキナも傍についている。
「ここまでついてくるのかよ。暇してんのか?」
「あはは……暇といえば暇、ですね。王妃になるための勉強やレッスンが必要なくなりましたので」
……地雷を踏みぬいてしまった。マキナも「デリカシーないですね」とでも言いたげな顔をしている。ちくしょう。今回ばかりは言い訳のしようもない。
「ところでアルくんは……どうして



