第二章 彫金師 ①

「いやー、婚約者っぽくなってきましたよねぇ」


 客室で呑気に呟くマキナ。俺たちは今、メルセンヌ公爵領にあるシャルの実家を訪れていた。

 既に婚約者の件に関しては、親父とシャルの両親との間で話はつけてくれているものの、正式に話が進んだからには俺も顔を出しに行った方がいいだろうという判断でもある。

 あのめちゃくちゃな決闘の件も、噂で耳に入る前に自分の口から伝えておいた方がいいだろうし。

 ……まあ。今回は他に、一番の目的があるんだけど。


「アルくんは、父とは面識がありましたよね?」

「面識があるっていうか……」


 話していると客室の扉が開き、大柄な男が入ってきた。

 服の下には、厳しく自分を追い込んで鍛え上げられたであろう筋肉を宿していることがうかがえる。体格も相まってか、鋭い爪を持った熊をほう彿ふつとさせた。

 彼こそマルベル・メルセンヌ公爵。このメルセンヌ公爵家の現当主であり、シャルの父親だ。


「出迎えることも出来ず、更にはお待たせしてしまい申し訳ありません、アルフレッド様」

「いや、アポもなく急に押し掛けたのはこちらです。詫びるなら俺の方でしょう。顔を上げてください……いお願いします」


 形式的なやり取りを済ませるとメルセンヌ公爵は、くしゃりと笑った。


「はっはっはっ! そうですか! ご配慮、痛み入ります」


 気持ちのいい笑い声を上げながら、メルセンヌ公爵は椅子に腰を下ろした。


「俺も堅苦しいのは苦手ですから」

「そうでしたな。相も変わらず、お互いに今の立場に向いていないらしい」

「全くです」


 そんな俺とメルセンヌ公爵のやり取りを、シャルは目を丸くしながら見ていた。


「あの……お父様。アルくんと随分、親しいようですが……」

「王宮内ではよくかくまってもらっていてなぁ」

「か、匿う?」

「堅苦しい空気に耐え切れなくなった時の避難所を提供してただけだ」

「ついでに、話し相手にもなってもらいましたな! はっはっはっ!」


 またもメルセンヌ公爵は気持ちよく笑って見せる。

 堅苦しくしていると殺伐とした雰囲気を醸し出す大男だが、素の方は気さくで快活な方だ。


「し、知りませんでした……」

「レオル様に遠慮してか、アルフレッド様に口止めされていたからなぁ……まあ、今後はその必要もなさそうだが」


 メルセンヌ公爵は改めて俺たちを見渡す。その眼差しに俺は改めて姿勢を正した。


「今回は、シャルロットの婚約者として挨拶に伺わせていただきました。……それと、謝罪を」

「それだけではないでしょう? 決闘のことは既に聞き及んでおります」


 耳が速いな。つい昨日のことだというのに。

 一瞬の間に息を整え、今回この家を訪れた一番の目的を切り出す。


「今回訪れたのは、お察しの通りシャルの婚約者としての挨拶と、謝罪だけではありません。レイユエール王国史上最高とうたわれた、伝説の彫金師に関することで、お願いをしにきました」


 俺が切り出したに、隣に座っていたシャルが驚いたように目を見開いている。


「『彫金師』? それって……魔指輪リングを作る職人の?」

「そう。その『彫金師』だ」


 魔指輪リングとは、魔法を秘めた指輪のことだ。

 俺たちはこの魔指輪リングを使うことで、初めて『魔法』を行使することが出来る。

 故に『彫金師』とはこの世界において必要不可欠な存在といっても過言ではない。

 彼らが魔法石を加工し、『魔指輪リング』にしてくれているからこそ、俺たちは魔法という大きな力を扱えている。……逆に言えば、『魔指輪リング』がなければ俺たちは魔法を使うことが出来なくなるのだ。


「伝説の彫金師とは、王家工房の先代宮廷彫金師のこと。その方はある日突如として弟子に後を譲り、失踪したと聞いています。そしてメルセンヌ公爵家が、つい最近その方の居所を摑んだことも、再び工房に戻っていただけるよう交渉しようとしていることも、存じております」

「ほう。まだ陛下を含むごく一部の者にしか明かしていないことなのですがね。ずいぶんと優秀な部下をお持ちのようだ。……それで? アルフレッド様は、何を望まれているのです?」

「率直に申し上げます。その交渉、俺にやらせてくれませんか」

「……理由をお伺いしても?」

「レオにぃとの決闘に備えるためです。同じ魔法を宿した魔指輪リングでも、彫金師の腕一つで明確に差は現れます。伝説の彫金師なんていうお宝を見逃す手はありませんし、宝の地図を握ってる船があるのなら、それを乗っ取った方が手っ取り早いでしょう?」


 マキナから「海賊じゃあないんですから」とでも言いたそうな視線を感じる。無視だ。無視。


「あなたらしいお考えですな。確かに、この件はメルセンヌ公爵家に一任されております。まだ伝説の彫金師様との接触が行われていない以上、今から交渉役を変えることも出来ましょう」


 場の空気が僅かにかんしかけるが、


「……ですが正直なところを申し上げますと、私はあなたを信用できない」


 弛緩しかけていた空気を引き締めるような声が、メルセンヌ公爵の口から放たれる。


「お父様……!?」


 きょうがくあらわにするシャルを、俺は手で落ち着くように促した。


「この子には才能があります。生まれた時から王を支える定めを背負わされたほどに。……我らにとっては大切な娘。何物にも代えがたい宝も同然。義務だったとはいえ、信頼できる王家だからこそ娘を預けたのです」


 メルセンヌ公爵の眼が鋭く研ぎ澄まされる。


「だが、我らの信頼は裏切られた」


 若き日の国王と背を合わせ、一騎当千の活躍を見せた強者としての瞳。漏れ出るは鬼神がごとき圧。


「その上、再び娘を王家の人間の婚約者にせよという。それが王のご命令とあらば従うのは当然のこと。ですが、我が心は疑念を抱かざるを得ません。この王家に、忠義をささげる価値はあるのかと」


 言っていることは一理ある。というか、いくら取り繕おうとも公爵家は王家に裏切られた形となる。当然だ。無実の娘を晒し上げにされたようなもの。それも、向こうから持ちかけておきながら一方的に婚約破棄だ。ましてや罪人用の首輪までつけられて。怒りは正当なものと言える。

 罰を恐れず、「あなたの振る舞いで信頼を失っていますよ」と警告してくれているだけ優しい。


「……メルセンヌ公爵────」

「────お父様」


 俺が口を開きかけたその時、隣でシャルが立ち上がった。


「私は望んで、アルくんの婚約者になりました。私自身の望みなのです。これは」


 立ち上がった娘を、メルセンヌ公爵は容赦のない視線を向ける。


「シャルロット。お前は王家に裏切られたのだぞ。首を絞める不快なくろがねを何とも思わんのか」

「ですが、王家に救われたのもまた事実です」


 いっそ殺気すら感じるほどの威圧感。それでもシャルはおじづくことなく、にらみ返す。


「私には夢があります。『皆が仲良く手を取り合える国』という夢が。それを叶えるためにも、王家を支えたいと思うのです」

「綺麗事だな」

「ご存知ないのですか、お父様。世界をより良くしてきたのは、いつだって綺麗事を並べた挑戦者たちです」


 その言葉には覚えがあった。あの日……俺がシャルに贈った言葉だ。


「今度はアルフレッド様に裏切られたらどうする」

「私はアルくんを信じています」

「信じていた相手に裏切られたばかりだろう? 彼も同じ王家の人間ではないか。内心では、お前を裏切る算段を立てているのかもしれんぞ?」

「それでも信じます。信じたいんです」

「なぜだ? アルフレッド様とて人間だ。今は味方でも、いざという時にお前を切り捨てるのではないか? それが人間の弱さというものだ」

「信じること。それが私の綺麗事りゆうだからです。救ってくれた人を信じず疑い続けるなど……そのような弱さ、私が私を許せません」


 シャルは一息おいて、


「それに、お父様が思っているほどアルくんは弱くありません。自分を削りながら誰かを救うような人が、弱いわけないじゃないですか」

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