第二章 彫金師 ②

 傍に居たマキナが感心したような目でシャルを見つめている。俺も同じだ。よくもまあ、これだけの圧を前にして言い切ったものだ。


「……アルフレッド様。あなたは王家の人間として、私の娘の信頼に、どう応えてくれるのです?」


 メルセンヌ公爵の圧は衰えない。シャルに向けていた分の威圧感を、今度は俺に浴びせる。


「今ここで、どれだけ言葉を尽くしたところで、信用なんてできないでしょう。ましてや、俺はシャルと違って善人でもなんでもない。ただの悪役ロクデナシですから。こんな悪役の言葉に、あなたを説得できるだけの力はない」

「つまり、降参だと?」

「まさか」


 俺は一つの指輪を取り外しつつ、メルセンヌ公爵の前にそれを置いてみせる。


「それはアルフレッド様の『王衣指輪クロスリング』……王族のみが持つ至宝。どういうおつもりですか?」

「担保の代わりです」

「ちょっ、アル様!?」


 仰天しているマキナを制しつつ、俺は目の前にいる父親から視線を逸らさず向き直る。


「もし俺がシャルの信頼を裏切っていると判断したなら、その魔指輪リングを好きにして構いません。精霊が宿った最高ランクの魔法石から造られた魔指輪リングです。使い道は色々とあることでしょう」

「信頼を裏切っているかどうかの判断は、私に委ねると?」

「そうです」

「……『王衣指輪クロスリング』欲しさに、虚偽の判断を下すかもしれませんよ?」

「あなたはそんなことしませんよ」

「ほう……なぜそう言い切れるのです?」

「シャルの父親であるあなたを、信頼しているからです」


 俺の返した言葉にメルセンヌ公爵は口を閉ざす。一瞬の静寂を先に破ったのは、公爵の方だった。


「ここで私が虚偽の判断を下し、『王衣指輪クロスリング』を手中に収めれば……それこそシャルロットに対する裏切りとなりますね。王家と変わらない、娘にとって信用できない存在となってしまう」


 メルセンヌ公爵は、俺がテーブルの上に置いた『王衣指輪クロスリング』をしっかりと摑む。


「だが逆に言えば、公正に判断さえすれば、これは私の物となってしまう。……なるほど。確かに、言葉を尽くされるよりもはるかに分かりやすく、力の籠った決意です」

「伝わったようで何よりです」

「……が、しかし。この『王衣指輪クロスリング』が無ければあなたは王族としての使命を成し遂げられないのでは? まさか、シャルロットを言い訳にするつもりではありませんよね?」

「ご心配なく。俺は『王衣指輪クロスリング』を二つ持っていますから。そっちはそのうちの一つです」

「ふっ……その辺りも考えていたわけだ」


 メルセンヌ公爵から威圧感がせ、笑みが零れる。

 しっかりと穴を突いてくるのは流石だ。気が抜けないぜまったく。


「……いいでしょう。……アルフレッド様、メルセンヌ公爵家に代わり、伝説の彫金師様との交渉役に就いていただいてもよろしいでしょうか?」

「分かった。国王陛下より全権を一任されているメルセンヌ公爵家の要請に応じ、第三王子アルフレッド・バーグ・レイユエールが交渉役を務めさせていただこう」


 互いに面倒な建前に苦笑いしつつ。


「……シャルロットのこと、どうかよろしくお願いします」


 言うと、メルセンヌ公爵は静かに首を垂れた。


「そして……申し訳ありません、アルフレッド様。あなたを試しておりました。娘を任せるに足る相手かと」

「……ま、そんな気はしてましたよ」


 だからこそ噓偽りのない俺自身の意志を伝えたわけなのだが。


「あなた様を疑い、試した罰を受ける覚悟はございます。何なりと」

「罰など必要はありません。王家に裏切られたことは事実ですし、疑うのは当然でしょう」


 メルセンヌ公爵はにやりとした顔を向けて、


「アルフレッド様なら、そう仰るかと思いました」


 婚約者の両親ながら、くえない人だ。親父とはさぞかし気が合ったことだろう。


「交渉にはいつ向かわれるので?」

「今すぐに……と、言いたいところですが、情報のすり合わせや整理などもありますし、出発は明日になるでしょう」

「でしたら、今日のところは我がしきにお泊まりください。その方がレオル様と顔を合わせるリスクも減らせますし、色々な手間も省けましょう」

「感謝します、メルセンヌ公爵。その言葉に甘えさせてもらいます……俺は客人用の寝室に泊る。シャルは……」

「私は自分の部屋がありますから」

「まあ、実家だしな。……けど、今のシャルは魔力が封じられて無防備だ。メルセンヌ公爵家の屋敷で何か起きるとは考えにくいけど、用心のためにマキナを護衛につける」

「やったー! ガールズトークできますね、シャルロット様っ! これは夜更かしコースですよ!」

「……多少うるさいと思うけど、我慢してくれ」

「ふふっ。私は嬉しいですよ。マキナさんと居ると賑やかで楽しいので」

「いいぞーシャル様ー。もっと言っちゃってくださーい」

「屋敷から叩き出すぞコラ」


 とはいえ、マキナの実力は確かだ。俺の右腕であり、もっとも信頼のおける部下。

 シャルの傍に置くとしたらこいつがベストではある。騒がしいというのが難点だが。


「まあいい。明日は朝から動くんだ。二人とも、しっかり体を休めとけよ」



「シャルロット様。ガールズトークのお時間ですよ!」


 アルフレッドと別れ、就寝の段階になって早々に、マキナは切り出してきた。


「何だかんだ、こうしてゆっくり話す機会ってなかったですし」


 明日の為に早めに寝て睡眠に専念した方がよい、とは理屈では分かっていたものの、正直なところ、ガールズトークそのものには興味があった。

 シャルロット自身、友人と呼べるものが殆どいない。第一王子の婚約者として相応しい人間になるための努力に余念がなく、それが周囲から距離を置かれる原因にもなっていたが故だ。だからこそ、他の子供のようにガールズトークに花を咲かせることには密かな憧れのようなものがあった。


「……分かりました。でも、夜更かしはダメですよ。短めに切り上げて、早く寝ましょう」

「りょーかいでーす」


 たぶん分かっていない。そう思ったが、シャルロットは一応その言葉を信じてみることにした。


「ま、ここは婚約者ファーストということで、シャルロット様からどーぞ!」


 どーぞ! と言われても。

 シャルロットはガールズトークをしたことがないので、そのお作法を知らない。

 何となく憧れはあっても詳細を知る機会はなかった。


(………………あ)


 悩んだ末に、シャルロットは以前から気になっていたことを質問してみることにした。


「見たところマキナさんは、アルくんとの付き合いは長いようですが……お二人はいったい、どのようにして出会ったのでしょう?」

「あー……そういえば言ってなかったですね。まあ、そんなに愉快な話でもないんですけど」


 明るいマキナにしては珍しく、どこか影が差したような表情が浮かぶ。


「す、すみませんっ! 少し気になったというだけですので、無理に話していただく必要は……!」

「あははっ。すみません、ちょっと紛らわしかったですね。愉快な話じゃあないんですが、嫌な思い出ってわけでもないんで。んー……なんて言いますかね。まあ、端的に言えば……」


 マキナは適切な言葉を探すように、唇に指を当てて考え込む。


「……わたしは、アル様に拾われたんです」


 ポツリ、と。マキナは言葉を滴らせる。


「拾われた……?」

「わたしは自分がどこで生まれたのか、自分が何者なのかを知りません。気づいた時には自分の名前以外の過去の記憶を全て失って、独りぼっちで倒れていました。行くアテもなくて、生きる希望もなくて。でも死ぬのは怖くて……とりあえずその日を生きるために食べ物やお金を盗むなんてことはしょっちゅうでした」


 その痛みはシャルロットには想像もつかない。

 生まれた時から公爵家という恵まれた環境に身を置く彼女にとって、マキナの置かれた環境は想像を絶するものだ。辛かったですね、などと生半可な気持ちで声をかけることなど出来なかった。

刊行シリーズ

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