第二章 彫金師 ③
「結構上手くやってたんですけどね。でもある日、ちょっとミスっちゃって、店の大人に捕まっちゃったんですよね。それはもう殴られるわ蹴られるわで大変でしたよー。ま、盗みを働いてきたわたしが悪いんで当然っちゃ当然なんですけど。いやー、空腹でよかったですよ。もしお
マキナがその過去を語る時の表情は穏やかだ。
大切な宝物を抱きしめている時のような。そんな、穏やかな表情をしていた。
「そんな時でした。たまたま通りかかったアル様が、いきなり店の人にこう言ったんです……『そのサンドバッグは売り物か? だったら俺に売れ』って」
「さ、サンドバッグですか……」
「あははっ。酷いですよねー。わたしを殴ってた店主も流石に
「ああ……目に浮かびますね」
「でしょー? いやホント、信じられないですよ。どこの誰かも分からない、薄汚れた子供をいきなり買い取ったかと思ったら、いきなり湯浴みをさせて、温かい食事も、着る物も、寝床も、メイドという働き口まで用意してくれて……周りが何か言おうものなら『俺が道具として買い取ったんだ』『王子が使う道具の手入れに文句を言うな』とか言っちゃって、悪ぶって言い負かしちゃうんです。おかげで、王宮内でわたしを見る目は『どこの馬の骨ともしれない薄汚い子供』から『第三王子に道具扱いされる
「それって……」
「はい。シャルロット様と同じです。いやー、むしろアル様がシャルロット様の窮地を救っていた時は、わたしもちょっと懐かしくなりましたよー」
語るマキナの顔は、その壮絶な過去を思わせないほどににこやかだ。
「ふふっ……困った人ですね、アルくんは。昔からあんな方法で人助けしてたなんて」
「ですねー。もうメイドとしては困りまくりです。シャルロット様も苦労しますよー?」
「かもしれませんね」
シャルロットはマキナと向かい合い、互いに笑いあう。
「あの、マキナさん。私のことはシャルとお呼びください」
「いいんですか? こんなメイドに」
「勿論です」
「では……シャル様で」
照れくさそうにするマキナを見て、この時、シャルロットは本当の意味で彼女と打ち解けられたような気がした。
(……………………)
シャルロットは、ふと、自分の胸の内に渦巻いていた違和感に気づく。
(……私だけじゃ、なかったんだ)
みんなも同じように、あの絶望から救い出してもらっている。
何もシャルロットだけが特別ではない。それを知って、なぜか喜びではなく……ちょっとした違和感のような、
「……って、わたしの話はいいんですよ! 次はシャル様です!」
「えっ。わ、私ですか?」
「ですです。ガールズトークの定番といえば、コイバナとかそーいうのですから!」
言いながら、マキナはシャルロットににじり寄る。
「シャル様。ぶっちゃけ、アル様のことどう思ってますか?」
「どう……とは?」
「もちろん、異性としてです。ほら、お二人は婚約者になったわけじゃないですか。こういうのってだいたいお
「それは……色々と、事情があって……」
「確かに色々な事情があったのは理解してますけど、結構アッサリ決まったじゃないですか。それにシャル様って、レオル様の婚約者だった頃もアル様とお二人で楽しそうに話していることがありましたし。もしかすると前々から恋愛感情があったのかなーって」
恋愛感情。恋愛。アルフレッドを異性として意識する。
そういったことは、
「…………あまり、考えたことがありませんでした」
「ほうほう。アル様は脈無しっと……」
「そ、そーいうことではなくて!」
マキナの言葉を慌てて訂正する。なぜ慌てたのかは、シャルロット本人にすら分からなかった。
「えっと……レオル様との婚約は私が物心つく前から決まっていたものですし……それに第一王子の婚約者として相応しくあろうとするのに必死で、恋愛といったものはあまり意識したことがなかったんです。本を読んで、愛し合う二人が一緒になるのはいいなぁとは思ってましたが……自分のこととなると、現実味がなくて……」
「あー……確かに第一王子という肩書だけ見れば、これ以上の婚約者はいませんからね。恋愛どころじゃないですよねー。それでいうとアル様は婚約者という概念とは無縁でしたから、そりゃー恋する余裕があったわけだ」
「……………………………………えっ? アルくん、好きな人がいるんですか?」
「あっ」
マキナが明らかに「やばっ」とでも言いたげな顔をしているが、見なかったことには出来ない。
「ところでシャル様。話は変わりますが────」
「変わらなくていいです」
「そろそろ寝る時間────」
「多少の夜更かしは構いません」
「えーっと…………おやすみなさい!」
「あっ! ダメですよ、まだまだ夜はこれからじゃないですか!」
その日の夜はマキナを問いただしてみたが、ついぞ情報は得られなかった。
シャルロットは思わぬところで、メイド少女の忠誠心を見たような気がした。
☆
「『
「ええ。騎士団が警戒しているA級の賞金首です。王都付近での目撃証言があったことから、騎士団が警戒しておりまして……今はそちらを優先しているため、護衛をつけることは難しそうです」
「いや。元々、騎士団連中を動かせるとは思ってないしな。護衛はうちの部下だけで十分だろう」
「そうですね。あなたの部下は皆、優秀だ。それに伝説の彫金師が隠居しているとされるイトエル山からは離れておりますので、あくまでも念のために、という程度のものですがね」
「分かった。ひとまず警戒しておく」
これで、俺とメルセンヌ公爵の打ち合わせと情報共有もひと段落ついたというところだろうか。
「……娘たちはもう寝た頃合いですかね」
「いや、うちのバカメイドがご迷惑をおかけしてるかもしれません」
「お気になさらず。むしろ感謝しているぐらいですよ。歳も同じですし、あの子にとっても下手な護衛より安心できるはずです。おまけにあなたの右腕になれるほどの実力を有しているのですから」
「そう言っていただけると助かります」
「何より、あの子には歳の近い友人もいませんでしたからね。マキナさんが友人になってくれれば、親としても嬉しいことはありません」
既に夜も更けている。明日のためにも、雑談も程々のところで切り上げて寝た方がいいな。
「……………………ふむ」
「どうかされましたか?」
「いえ。娘を嫁に出す父親の気持ちとは、こういうものかと」
「……………………………………………………………………」
気っっっまず! やべぇ間がもたねぇ。思えばこういう時の空気作りはマキナに頼ってたしなぁ。
とりあえず紅茶で喉でも潤すか。
「あー……ど、どうもすみませんというかなんというか……」
「謝る必要はありません。まあ、気になるところはありますがね」
「? 気になるところ?」
「あなたにとって家族とは大切な存在だったはず。ましてや尊敬するレオル様に逆らってまで、なぜ娘を庇ってくれたのか……そこが今も気になっています」
「………………………………」
メルセンヌ公爵の言葉に、俺は空っぽになったカップをテーブルに置く。
「まあ、ぶっちゃけるとですね……俺はシャルとは違って、この国のことはどうでもいいんですよ」
半端なことは言えない。言ってはならない。この人から、逃げてはいけない。



