第二章 彫金師 ④

「どいつもこいつも、俺のことを忌み子だのなんだのと好き放題に言いやがる。陰口を散々叩かれてきたのも知ってる。嫌われてることだって、気味悪がられてることだって知ってる」


 物心ついた時から、俺を見る周囲の目はずっと肌で感じていた。

 明らかに不吉なものだとされて、避けられて、嫌われて。


「でも、家族は違った。俺のことを受け入れてくれた。髪や眼や、魔力の色なんて気にしなかった」


 昔のレオにぃは優しかった。その背中に憧れた。だから俺は、レオにぃのことが大好きだった。


「俺は、国の連中なんてどうでもいい。俺が護りたいのは、大切にしたいのは、俺の手の届く身近な人だけだ。それ以外がどうなろうと知ったことじゃない。……シャルだってそうです。俺の手の届く範囲にいた、大切な人。だからあの時、俺はレオにぃに逆らったんです」

「…………」

「俺はシャルを守ります。身近な人を守るのが、俺という人間ですから」


 ひとまず俺の意志は伝えた。ここからはもう相手次第だ。


「手の届く範囲……身近な人だけを護る、か。王子としては失格ですな」

「我ながら向いてないと思います」

「違いない。ですが……出来ないことを無責任に約束しないところは、好感が持てますな」


 交渉相手ではなく、シャルの父親として表情を綻ばせるメルセンヌ公爵。

 婚約者としての信用は得られたらしい。あんの息をつく代わりに、紅茶で乾いた喉を潤す。


「ところでアルフレッド様は、うちの娘のどういったところを好いておられるのですか?」

「ぶほっっっ!!! げほっ!」


 む、むせた! 盛大にむせた!


「な、なななな何なんスかいきなり!?」

「親としては気になって当然でしょう」

「き、貴族間の政略結婚に恋愛感情なんざ必要なかろうでしょうが!」

「ほう。アルフレッド様はうちの娘に不満があると? どうやら王家に反旗を翻す時が来てしまったようですな」

「親バカで戦争をしかけんでください!」

「言っておきますがね、アルフレッド様。わいいシャルロットのためなら王家への忠誠心なんぞ鬱陶しい書類と一緒に丸めて捨てますよ」

「メルセンヌ公爵家の忠誠心、結構軽いな!?」

「はははは。冗談ですよ、冗談」

「目が冗談じゃないんですが!?」


 あんたが言うと割とマジでシャレにならないぞオイ。

 それにこんなもんが敵対する貴族の耳にでも入ったらかなり面倒なことになること間違いない。というか……メルセンヌ公爵、思ってたよりも親バカだったんだなぁ……


「アルフレッド様。あなたは自分が思っているよりも分かりやすい方ですよ。それに、娘のどういったところを好いてくださったのか、父親として気になるのは当然でしょう」


 にやり、と笑みを浮かべるメルセンヌ公爵。さては俺が安心したところを狙ってたな?

 どうやらここは観念するしかなさそうだ。


「あなたにとってシャルロットは、どのような存在なんですか? なぜ、助けてくださったのです?」

「…………踊りがね、下手だったんですよ」



 ────あれは幼少の頃。


「レオにぃ、今は社交界で披露する踊りを練習する時間なんじゃ?」

「婚約者の方がつまずいていてな。合わせられるレベルになるまでは個別で練習することになった」

「ふーん……大変そうだな。俺はそーいうのとは無縁だから、気楽でいいけど」

「何を他人ひとごとのように言っている。お前にだって、いつか必要になるかもしれんぞ」


 レオにぃの婚約者。存在は知っていた。顔を合わせたこともあるが、深く話したことはない。興味が湧いてきた俺は少し練習をのぞしてみることにした。

 練習が行われているであろう王宮にある一室へと急ぎ、扉から少し様子をうかがってみると、


「あっ……!」


 そこには派手に躓き、床に転ぶ一人の令嬢の姿があった。


「も、申し訳ありませんっ。あのっ、もう一度お願いしますっ」

「いえ。今日はもうここまでにしておきましょう。続きはまた、今度ということで……」


 やる気だけはある令嬢──シャルロットに対し、講師の方は困惑気味に練習を打ち切った。


(不器用過ぎてどう指導すればいいか分からん……ってツラしてんな)


「で、ではっ、もう少しここで練習だけでもさせてくれませんか?」

「…………分かりました。殿下の方には私から伝えておきますので、ほどほどのところで切り上げてくださいね」

「ありがとうございますっ」


 しばらくして講師も去り、シャルロットは一人で踊りの練習を再開する。

 俺は何となくそれを眺めていたのだが、


(うっわ……信じられねぇぐらい下手だな……どんだけ不器用なんだよ、あいつ)


 シャルロットの踊りは端的に言って、下手だった。リズム感もなければ動きが硬い。足元もおぼつかないし、すぐに転ぶ。あの調子じゃあ、レオにぃとの練習ではさぞかし足を踏みまくったことだろう。

 それだけだった。興味をくした俺はその場を去った。その時はまだ午前中だったし、涼しいうちに外で剣を振っておきたかったからだ。それから昼が過ぎ、日も沈みかけた頃。


「…………ん?」


 たまたま通りかかった部屋の扉から、微かに音が聞こえてきた。

 たとえるならそれは、どこぞの令嬢が転んでいるような音。


(まさか…………)


 そこは午前中、俺がこっそりと覗き見していた部屋。不器用な令嬢が、下手くそな踊りを練習していた部屋。まさかと思った俺は、ゆっくりと扉を開けて、隙間から中を覗き込む。


(………………噓だろ)


 夕暮れに染まる室内にいたのは、一人の令嬢。

 黙々とステップを踏み続ける、不器用な少女の姿がそこにあった。


(朝からずっと踊ってたのか?)


 踊りが心底好きなわけでもないのだろう。目が腫れているところを見るに、もう何度も泣きもしたのだろう。それが悔し涙かどうかは定かではないが。……それでも踊り続けている。


「…………っ……!」


 また転んだ。それでもすぐに立ち上がって、再び一人で拙いステップを踏んでいく。今朝よりはマシにはなっている。でも、それだけだ。多少はマシになっている、という度。社交界でお披露目するにはまだ遠い。効率も悪いし不器用だし、リズム感もない。残念ながらシャルロットに踊りの才能が欠けているというのは誰の目にも明らかだった。

 それでも────。



「それでも、シャルは諦めなかったんです」


 今でもはっきりと思い出せる。夕暮れの部屋で一人踊り続ける、不器用な少女の姿を。


「才能がなくても、苦しくても、不器用でも。愚直に、真っすぐに、一生懸命に」


 泣きじゃくり、悔し涙を流しながら。優雅さとはかけ離れた泥臭さで。


「俺は色々なものを諦めてきた人間でしたから。だからこそ、諦めずあらがい続けるシャルの姿が、とても輝いて見えました。暗闇の中でも懸命に輝く星のように。俺には無い強さをキラキラと輝かせる一人の女の子に、憧れました」


 一人で踊り続ける彼女の姿は、誰よりも輝いていた。

 彼方かなたより。ずっとずっと遠くの場所からでも見えるほどに、その光は輝いていたのだ。

 俺に光はないけれど。シャルの持つ諦めない強さは、その光は、尊いものだと思ったから。


「シャルは俺にとって……星みたいなものなんです。暗い闇の中でも輝く、綺麗な光。その輝きがけがされ、色あせてしまうことが許せなかった。だから、あの時に動いたんです」


 願わくば。

 その愛おしい輝きが、君の強さが、汚れることはないように。


「……そうですか」


 メルセンヌ公爵は笑っていた。

 メルセンヌ公爵家の当主としてではなく……父親としての顔で。


「アルフレッド様。あらためて……娘のこと、よろしくお願いいたします」



 翌朝。


「…………なんか、目ぇ覚めちまったな」


 思いの外、早く目が覚めてしまった。あまりにも手持ち無沙汰さなので、マキナが来るまでもなく身支度も済ませてしまったし。「王族なんですからそういうのは自分一人で済ませちゃわないでくださいよ。こんなにカワイイメイドがいるんですから」とか、マキナなら言いそうだ。

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