第二章 彫金師 ⑮

「墓……?」


 天然の篝石とは違い明らかに人為的に建てられたソレは、墓だ。

 エリーヌはその土を黙々と掘り、地中から包みにくるまれた何かを取り出した。心なしか大切そうな手つきで包みを解いていく。その間、エリーヌは一切喋らなかった。

 包みの中から現れたのは……神秘的な金色の輝きを宿した、魔法石。


「凄い……! こんなにも純度の高い魔法石は初めてみました……!」

「俺もだ。単純な質だけで言えば、『王衣指輪クロスリング』に使われてもおかしくはないな。こんな魔法石、滅多にお目にかかれるものじゃないぞ」

「……さっきの盗賊共の狙いは、おそらくこいつだろう」


 語るエリーヌは、言葉も表情もどこか固い。しかしなぜこんなものが墓の下に埋められていたのか。それに『彫金師』であるエリーヌがこれを魔指輪リングに加工していないというのも気になる。


「……なんであたしが、これを加工しないのかって顔をしてるね」

「そんな顔をしたつもりはないんだけどな」

「書いてあるさ。ま、当然の疑問さね」


 黄金の輝きを瞳に捉えるエリーヌ。しかし彼女の眼は、目の前の景色を映していないように見えた。それは恐らく遥か彼方。いくら手を伸ばそうとも、二度と届くことのない久遠。


「……アンタらには借りが出来た。盗賊共がこいつを狙って、戦いに巻き込んじまった以上……話さないってわけにはいかないんだろうね。それが筋ってもんだ」


 どこから語るべきなのか考えているのだろう。エリーヌは少しの間だけ無言になった後……。


「そもそも、このちっぽけな魔法石。こいつはね────」


 彼女は息を吐き、その真実を言葉に変える。


「────元は、人間だったのさ」

「人間……? その魔法石が、元は人間だったっていうんですか?」

「そうさ。ただの人間。あんたらと同じようにこの世界に根差し、生きていた人間さ」


 金色の輝きを秘めた魔法石は何も語らない。かつては人間だったらしいそれは、今の俺たちからすれば、魔力を秘めた物言わぬ石。だがエリーヌからすれば、きっと違うのだろう。今でもなお、その石を誰かとして見ているのだろう。


「……今からもう、二百年以上前のことさね」


 エリーヌは見上げる。篝石の明かりで星空のように輝く、洞窟の天井を。



 自分の才能を信じて疑わず、絶対のものだと無垢に信じていた時代があった。


「こんなちっぽけな里の中に何百年もいたんじゃ、あたしの才能が腐っちまう」


 当時のエリーヌは『彫金師』としての腕を磨くべく、多くのおごりと少しの荷物を抱えてエルフの里を飛び出した。剣の腕にも自信があり、自分の手で作り出した魔指輪リングにはもっと自信があった。事実、外の世界で危機に陥ることがあっても剣と魔指輪リングの力で切り抜けられていたし、冒険者として日銭を稼いでいたぐらいだ。

 往く先々で技術と腕を磨き、刺激を受け、エリーヌの『彫金師』としての腕は里にいた頃とは比べ物にならないほどとなった。いつしか自分の名が広く知られるようになったエリーヌは、冒険者を引退して腰を落ち着けて『彫金師』に専念することにした。

 そうして拠点として選んだのが、当時から大陸最大級の国……レイユエール王国であった。

 たちまち王都で一番の工房となり、当時の国王の目に留まったエリーヌはその腕を買われ、新たに立ち上げられた王家専属工房の初代宮廷彫金師に就任した。

 様々な苦労はあったものの、こと『彫金師』としての才能と実力に関して挫折することはなかった。世界で一番の『彫金師』だという根拠のない自信もあり、特に王家専属工房の初代宮廷彫金師に就任したことでその自信を更に肥大化させ、作品作りに没頭していった。

 ────だがある時。彼女は長い人生で初めての挫折を知る。

 それは休暇をとり、素材探索を兼ねつつ新たな刺激を求めてイトエル山を訪れた時。当時からあまり人けのないこの山を気ままに探索していたエリーヌは、そこで遭遇した魔物に不覚を取った。

 イトエル山の主である魔猪イノシシ

 ただの魔物と高を括ったところを突かれた、完全な油断。冒険者を経験していたという驕りが生んだ、ある意味で必然でもあった。魔猪との戦闘で崖から足を滑らせて転落してしまったエリーヌは、山で一人身動きが取れなくなってしまっていた。


「……っ……情けない……崖から足を滑らせたなんて聞いたら……里の連中にバカにされちまうよ」


 山の中には他にも魔物がいる。いずってでも移動しなければ、やがては喰われてしまうだろう。

 だが、身体はピクリとも動いてはくれなかった。指一本、足一つ、動いてはくれない。

 こんな時に回復系の魔指輪リングが使えればよかったのだろうが、回復魔法は属性とは別に、素質がなければ使うことは出来ない。残念ながらエリーヌは、回復魔法を使うことが出来なかった。

 出来ることはせいぜい神様に祈ることぐらいだが、無慈悲にもそれは現れた。エリーヌを突き飛ばした魔猪。イトエル山の主。


「……へっ。神様ってのは、信仰心のないやつには厳しいねぇ」


 自分の命はここまでだと悟った。しかし、死にたくはない。死にたくなかった。やり残したことはまだまだある。まだ魔指輪リングを作っていたかった。だからこそ、エリーヌは傷で痛む身体を無理やり動かして刀を握った。抗う意志を示した。

 それを、神が見ていたのかもしれない。


「グオオオオオオオッ!!」


 だまする悲鳴。エリーヌではなく、魔猪の。

 一瞬何が起きたのか分からなかった。少し遅れて理解したのは、どこからか現れた何者かが、魔猪を思い切り蹴飛ばしてしまったということだけ。


「なっ……!?」


 あの魔猪と戦ったエリーヌは、アレが防御力と耐久性に優れた魔物であることを知っていた。だからこそ、魔猪を蹴飛ばしてしまえるだけの力に驚愕した。


「ねぇ、あなた」


 乱入者は少女だった。快活な雰囲気を感じさせる、十代の半ばぐらいの少女。

 手には魔指輪リングをつけている。やはり今のは『強化付与フォース』による肉体強化。しかし、それで今の威力を実現させるには使い手がよほどの強者であるか、或いは魔指輪リングそのものの性能が良いか。エリーヌの見たところ、今回は後者だ。

 魔猪を蹴っ飛ばした少女は、エリーヌを見て可愛らしく首を傾げる。


「そこで何してるの? 日向ひなたぼっこ?」

「……んなわけないだろ」

「あははっ。だよねー」


 感じた雰囲気そのままに、少女は明るく元気に笑ってみせる。

 一点の曇りも感じさせない温かな光のような少女だった。


「グルルルッ……グオオオオオオオッ!!」


 魔猪はすぐに体勢を立て直したらしい。

 血走った眼で少女を睨みつけている。既にエリーヌではなくこの少女を得物として認識していた。


「流石は山の主。元気いっぱいだね」


 涼し気に言うと、少女は魔指輪リングに更なる魔力を込めた。


「『水流魔法球シュート』」


 球体状に形成された水の魔力の塊が、こともなげに放たれる。

 着弾した魔法球は、魔猪を更に山奥へと吹き飛ばしていった。エリーヌが戦った時は、威力に秀でた火属性の魔法球の直撃にも構わず突進してくるような魔猪を、たった一発で。


「なっ……噓だろ……!?」


 一目見れば分かる。今、少女が放った一発の『水流魔法球シュート』を見ればもう十分だった。

 彼女が身に着けている魔指輪リングは、エリーヌが制作した物よりも優れていると。


「あんた……何者だい……?」


 その質問は、無意識の内に口から零れ落ちていた。


「何者、か……あははっ。何なんだろーね。わたしにも分かんないや」


 快活な雰囲気から一転して。少女の顔の陽光のごとき笑顔に陰りが見えた。

 しかし、それをすぐに振り払って変わらぬ表情を取り繕う。


「わたしはネトス。ただのネトス。……てゆーかさ。こんなところで倒れているエルフの方が『何者』って感じするけど……ま、誰でもいいし、なんでもいいや。このままにしとくのも後味悪いし」


 言うと、ネトスは魔指輪リングに魔力を込めた。


「『回復付与リカバリー』」


 輝く魔力。神秘の光輝。温かな光はエリーヌを包み込み、その傷だらけの身体をいやしていく。

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