第二章 彫金師 ⑯

「回復……魔法……?」


 回復魔法を使えるというだけでも驚きだが、それ以上に驚いたのは、その効果にだ。

 這いずりまわることも出来なかった身体がしっかりと大地を踏みしめて立ち上がることが出来るようになった。それも、たった数秒ほどでだ。


「よしよし。これでもう大丈夫だね!」


 まさに瞬間回復。あれほどの傷を癒そうとするならば、本来はもう少し時間がかかる。数秒で回復させるなど聞いたことがない。


(使い手の魔力量の差? いや……それもあるが、それだけじゃあない。やはり……)


 ……魔指輪リングの差。それはもはや明白にして明らかだ。


「あれ? どうしたの、そんなこわーい顔しちゃってさ」

「あんた……その魔指輪リング、どこで手に入れた?」

「ん。ああ、これが気になってたの。どこっていうか……自分で作ったんだよ」

「…………ッ……!?」


 少女の口から何気ない口調で飛び出してきた事実に、エリーヌは啞然とするしかなかった。これほどの魔指輪リングを、目の前の少女が作り出してみせたというのかと。


「じゃあ、あんたも……『彫金師』だってのかい」

「『あんたも』……? え? じゃあ、あなたも!?」


 返事をする前に、ネトスはエリーヌの手を興奮気味に握ると、キラキラと目を輝かせて顔を近づけてくる。そのあまりの勢いにたじろいでしまったほどだ。


「わー! わー! すごーい! わたし、他の『彫金師』を見たのすっっっごく久々!」

「は、はあ? だからなんだってのさ」

「ねぇ、お話ししようよ、小屋まで案内したげる! ……あ、わたしこの山に住んでるんだけどね? お客さんを招くのも初めてかもっ! でもちょっと散らかってるから、すぐに片づけないと……!」


 エリーヌを置いて話が進んでいくが、エリーヌ自身もネトスという少女には興味があった。

 案内されるがままに山道を進んでいく。その道中、ネトスは一方的に口を開き、聞いてもないのに色々なことを話してくる。

 彼女は幼い頃からこの山に住んでいるらしい。両親とは死別しており、長い間ずっと一人だったそうだ。たまに会う人間といえば山に魔物を狩りに来た冒険者か、よからぬことを企む悪人ぐらい。

 普段は魔指輪リングを作るか魔物を狩るかをして過ごしているそうで、麓の山まで狩りとった魔物の素材を売りに出て、生活費を稼いでいるらしい。


「はい、到着しました! 我が家です!」


 案内された先に在ったのは、ひっそりと佇む木組みの小屋。

 不思議と温かみがあり、それでいてどこか寂しい。さりとて山の景観を損ねているかといえばそうではなく、ここにあるのが自然なように感じられるほどだ。

 そして実際に中に入ってみると、エリーヌは思わず顔をしかめた。


「……あたしが案内されたのは、ゴミ捨て場だったのかい?」


 思わずそんな言葉が出てしまうほどに、中は散らかっていた。

 物が散乱していて、とても人をお招きするような空間ではない。


「だ、だから言ったじゃん! ちょっと散らかってるって……!」

「ほぉ。これが『ちょっと』……ねぇ」

「すぐに片づけますぅー!」

「あっそ。なら、『ちょっと』だけ待ってやろうじゃないか」


 むくれながらもネトスは部屋の片づけを始めていく。

 ……物を片っ端から部屋の隅に追いやっていくことを『片づけ』と呼ぶのであれば、だが。

 その光景に思わずエリーヌは頭を痛めたが、見なかったことにして事なきを得た。


「そーいえばさ。あなたの名前、まだ聞いてなかったよね」

「……エリーヌだ」

「エリーヌはさ、王都で『彫金師』をしてるんだよね? じゃあさ、自分の工房とか持ってるの?」

「一応ね」

「へぇー。じゃあさ、弟子もいるの?」

「面倒見てるやつならいる。……そんなもん柄じゃないし、取りたくもなかったんだけどね。そいつは同じ里の出身で……あたしを追いかけてきたとか言うから、責任をとって仕方がなくさ」

「すごーい! じゃあ、宮廷彫金師ってわけだ! わたし、ずっと一人だからそーいうの憧れちゃうなー」

「そんなにいいもんかねぇ……」


 レイユエール王国王家専属工房の初代宮廷彫金師。

 その座を手にした時、ある種の達成感のようなものを抱いた。里を飛び出して手に入れた地位。自分の腕が世に認められたような気がして誇らしくもあった。

 だがその瞬間────それまで自由に打ち込んでいた『創作』は、『仕事』となった。

 先方からの注文に応じて魔指輪リングを作り、注文を受ければ納期も決まる。それはまだしも、時には自分の納得していないものまで世に出すこともある。最低限ほしい性能さえあればいい。たとえエリーヌが納得していようといまいと、その最低限さえあれば良しとされてしまう。

 個人で工房を開いていた時とは違い、予算が王国側から出ている以上はある程度従わなければならない。その分恩恵も大きくやりがいもあるが、多少の息苦しさを感じていたのも事実であった。


「……あたしの話はもういいだろ。それより、あんただ」

「へ? わたし?」

「そうさ。あんたの作った魔指輪リングを見せておくれよ」

「えへへ……緊張するなぁ。王都の『彫金師』さんに自分の作品を見せるなんて、初めてだから」


 この部屋で唯一、物に埋もれていない作業台から、ネトスは魔指輪リングの入った小箱を取り出してエリーヌに差し出した。一つ取り出して眺めてみる。見た目はただのコモンリングだが……異常なまでの完成度。この小さな指輪一つに執念とも呼ぶべき凄まじい威圧感が込められている。実際に使えば、レアリティが一段階跳ね上がったかのような威力を叩き出すだろう。

 思わず唇をめる。今のエリーヌに、これだけの魔指輪リングは作れない。


(あたしの魔指輪リングと、こいつの作った魔指輪リングは違う……けど……一体何が違う……?)


 それが分からない。何度考えても、どう考えても、分からなかった。


「どうかな?」

「…………ああ。凄い出来だよ。悔しいけど、あんたの方が腕は良い」

「えへへ。そう言われちゃうと、照れちゃうな……」


 こうまで素直に敗北を認められる自分にはエリーヌ自身驚いた。それほどまでに、彼女の作る魔指輪リングは圧倒的だった。しかし、ネトスの存在は同時に刺激的でもあった。

 エリーヌは『彫金師』としては圧倒的な実力で、今の地位まで上り詰めた。

 ライバルになるような相手とは無縁で、常にただ独り、頂点に君臨してきたのだ。


(まさか自分が、追われる側から追いかける側になるとはね)


 もしかすると心のどこかでは退屈を感じていたのかもしれない。

 だけど今、これ以上ない刺激を得た。エルフの里を飛び出した直後のような高揚感に満ちている。


「エリーヌは、いつ王都に戻るの?」

「本当はてきとうにフラついたら戻ろうかと思ってたんだが……気が変わった。いや、やられっぱなしは性に合わないっていうのかね」


 そう。このままなど、ありえない。


「しばらくは麓の宿に泊ることにするよ。あんたに負けっぱなしじゃ悔しいからね」

「ホント!? じゃあ、ウチに泊っていきなよ! 余ってる部屋ならあるからさ!」

「はっ。人が暮らせるような部屋があるとは驚きだね」

「それぐらいあるよ! …………今は物置きになってるけど、でもがんばって片付けるから!」


 ネトスはすぐに幸せそうに、ふにゃりと顔を綻ばせた。


「えへへ。わたし、友達と一緒にお泊りなんて初めてだなー。楽しみっ!」


 その無邪気な笑顔に思わず肩の力が抜けていく。

 友達。普段なられしいと一蹴するところだが、なぜか抵抗もなく受け入れてしまう。

 ────こうして、エリーヌとネトスの共同生活が始まった。

 二人は毎日を、日々を、共に過ごした。

 魔指輪リングを作り、創作論を語り合い、魔物を狩り、そしてまた魔指輪リングを作る。没頭し、二人の間には言葉にはしなくとも、絆という繫がりが確かにあった。

 ネトスと過ごす日々はエリーヌにとって刺激的で、その全てが血肉となり、毎日が宝物のように輝いていて……エリーヌはその後、何百年生きたとしても、きっとこの日々のことは忘れないだろうと確信したほど。


「あんたは、王都にいって工房を持ったりはしないのかい?」

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