第二章 彫金師 ⑰
「別に興味ないかな。そりゃー、凄いとは思うけどさ。わたしはただ、自分の納得のいく最高傑作を作りたいだけだもん」
思わずエリーヌは苦笑する。かつては自分にもそんな時代があった。しかし今はどうだ。
こうして純粋に
(まったく……百年以上の時を生きたエルフが、こんな小娘から学ぶことがあるとはね……)
ネトスは、エリーヌにとってかけがえのない友人になったと同時に、やはり超えたいと願うライバルになった。いつしかこのネトスをあっと驚かせる
だがそれでも、ネトスを超えることは出来なかった。
(それでもいつか……いつか必ず……)
思いを抱えながら、時間は過ぎ去っていく。
時は一つ、また一つと刻み、永遠は幻と化して────遂に、その時が訪れた。
その日は、雨が降っていた。
工房の仕事をほったらかしにするわけにもいかず、エリーヌは定期的に王都に戻る必要があった。工房での仕事を終えて再びイトエル山にある小屋へと戻り、エリーヌは声をかける。
「ネトス。帰ったよ」
声をかけても、扉が開く様子はない。
いつもなら「おかえり! 待ってたよ!」と言ってうるさいぐらいに出迎えてくれるはずなのに。
「ネトス……?」
首を傾げるエリーヌ。ためしに小屋の中に入ってみるが、無人の状態だ。
「洞窟にでも行ってるのか……?」
篝石が採れる近くの洞窟はネトスのお気に入りであり、よく二人で入り浸っては創作論をぶつけ合うのが日常だ。
降りしきる雨の中を突っ切って、エリーヌは洞窟の中へと駆け込む。
そして、篝石に淡く照らされた空間の中に倒れている人影を見た。
「────ネトスッ!」
すぐさま駆け寄り、地面に倒れ伏しているネトスを抱き起す。
「…………っ!?」
浅く呼吸する彼女を見て、思わず息をのんだ。
頰も、首元も、腕も。僅かにではあるが、確かに────彼女の身体が、石になり始めていた。
「なに……が……」
抱き起したネトスの白く温かい柔肌が、冷たい石に侵食されはじめている。触れてみるとそこだけが体温を全くと言っていいほど感じられない。そこだけが────命というものがごっそりと抜け落ちてしまったかのような。
「…………っ」
石の部分に触れているだけで背筋に嫌な汗が流れ、悪寒が走る。
明らかにこの少女の身体に、何か異常が起きていることは明らかだった。
「ん……あれ……? 寝ちゃってた……かな……」
「ネトス……!」
「あ……エリーヌ……帰ってたんだ。おかえり」
ネトスは弱々しく微笑みつつ、自分の状況をゆっくりと理解したらしい。
「そっか……バレちゃったんだ……」
いつもの快活な笑みは影を潜め、今のネトスはあまりにも……あまりにも、弱々しかった。思わず目を背けてしまいたくなるほどに。
「一体何が……何が起きてるのさ。あんたの身体は……!」
「あー……これね……簡単に言えば……病気、かな……」
「病気……?」
「『石華病』って言ってね……身体が少しずつ石になっちゃうんだ……まいったよ、ホント……」
「『石華病』? 身体が……石に……? 何を、言って……」
そんな病、聞いたことがない。ただの一度も耳にしたことがない。
夢であってほしかった。幻であってほしかった。勘違いであってほしかった。
しかし現に、彼女の身体は石と化しつつある。
「でも……思ってたより早かったな……進行には個人差があるって聞いてたけど……ママの時より、ずっと早い……」
「治す……治療の方法は……!? そうだ、里に戻れば、何か薬を作ってくれるかもしれない……!」
「……ないんだよね。どんな薬も効果がないんだってさ……いったん発症すれば……あとはもう、石になるのを待つだけ……みんな、そうだったらしいよ……」
「みんなって……」
「……わたしのお母さんも、おばあちゃんも……みんなみんな、そうだったんだって。だから遺伝だね……これも……」
その悟ったような表情を見るに、ネトスはずっと前から……それこそエリーヌに出会うよりもずっと前から、こうなることを分かっていたのだろう。
「なんで……なんで、こんな病気に……」
「さあ……わかんない。でも、ママが言ってた……わたしたちの血は……精霊に祝福されてるって……だから……最後は精霊と同じように……石になるんだって……」
魔法石とは魔法が宿ったもの。
しかし中には精霊そのものが宿った魔法石も存在し、高い純度を誇るそれは『
「ママもそうだった……身体が石になって、最後には砕けて……中から、綺麗な魔法石が出てきた」
言いながら、ネトスは自分の胸に手を当てる。
「今なら分かる……あれは……ママの心臓だったんだ」
「……なんで、そんなことが分かって……」
「わたしの心臓もきっと……最後には……魔法石になる……あはっ。綺麗だといいな……ママみたいに……金色に輝いてさ……」
「笑えないよ……! なんで笑ってんのさ……!」
その笑顔は。もはやいつもの快活さもなければ、太陽のような明るさもない。
「何か治療法があるはずだ……必ず……そうだ。エルフの里……いや、王都に行って探そう……! 王様にも頼んでみるから」
エリーヌの言葉に、ネトスは力なく首を横に振った。
「……エリーヌ。わたしは大丈夫。そんなこと、しなくていい」
「なんで……!」
「こうなることは分かってた……ママが死んで、わたしが一人ぼっちになった日から……だから、その時に決めたんだ……わたしが生きた証を残すって……納得のいく最高傑作を、作るって……」
「…………っ!」
────別に興味ないかな。そりゃー、凄いとは思うけどさ。わたしはただ、自分の納得のいく最高傑作を作りたいだけだもん。
あの言葉を聞いた時、思わず苦笑した。自分にもそんな時代があったと。純粋に
「……エリーヌ。ごめん。肩かして……小屋まで、戻りたいんだ……」
「えっ……?」
「分かるんだ……わたしはもう、長くない……そのうち、死ぬ。だから────」
ネトスの眼は燃えていた。燃え尽きようとしている
「────作らなきゃ」
いつものネトスからは考えられないほどの鬼気迫った表情。
殺気立ってすらいるほどの威圧感に思わず圧倒され、エリーヌは彼女に肩を貸した。
土砂降りの雨の中、全身が濡れることも
「…………っ……」
その様子をエリーヌはただ見ていることしか出来なかった。小さな少女の背中はまさに執念の塊と化しており、肌を突き刺すような気配が室内に暴風の如く吹き荒れている。
(ああ……そうか……)
ネトスは文字通り魂を込めて指輪を作っている。冗談でも何でもなく、命がけで。それは今日に始まったことじゃない。きっと、ずっと前からそうだったのだ。
(そりゃあ……勝てないわけだ……)
(あたしは……ネトスには勝てない……勝てるわけもなかった……)
きっと自分は、長い寿命を持つエルフ族という生まれに驕っていたのだ。
────それでもいつか……いつか必ず……。
違う。『いつか』など、長命の驕りだ。
そんなザマでは、一瞬に、全てに命をかけている者に勝てるわけもない。
(ああ……そうか……なんで今更になって……気づくんだよ……)
時間は限られている。短く儚く。瞬間刹那。



