第二章 彫金師 ⑱

 それをネトスは誰よりもよく知っていた。知っていたからこそ、全力で自分の全てを捧げて指輪を作っていた。比べて自分の、なんと呑気なことか。あんなにも必死に生きていた人間の前で、欠伸あくびをしていたようなものだ。


(あたしには……)


 これほどまでに魂を込めることが出来るだろうか。命をかけることが出来るだろうか。

 鬼気迫る表情で、命を燃やして、一瞬に全てを注ぎ込むことが出来るだろうか。

 ────出来ない。

 無理だと、心が認めてしまった。

 出来ないと、心が認めてしまった。

 この少女に気づかされた。

 ただ自分は才能を証明したかっただけだ。才能を振りかざしたかっただけだ。自分の自己満足のために、遊んでいただけだ。

 何が『彫金師』だ。それは───覚悟もないが名乗っていいものじゃない。


(あたしには作れない……あたしみたいな半端者には……こいつ以上の魔指輪ものは、作れっこなかったんだ……)


 目の前の一瞬の命に打ちのめされた。自分の底と限界を思い知らされた。

 同時に、こんな時に自分のことばかり考えている自分に対しても嫌気がさす。

 ……それから、どれだけの時間がっただろう。何度日が昇り、何度日が沈んだことだろう。


「────うん。出来た」


 ネトスは満足げに呟くと、一つの魔指輪リングを朝日にかざした。

 魔指輪リングは照らされて神秘的な輝きを放っている。


「……この魔指輪リングに使った魔法石は、わたしのママなんだ。だからせめて、作ってあげたかったの……わたしの手で……最高の魔指輪リングを……」


 ネトスはその魔指輪リングをエリーヌに手渡した。


「これ……エリーヌに貰ってほしいの。誰にも使われないままなんて、寂しいもん」

「なんで……あたしに……」


 こんな半端者なんかに。


「だってエリーヌは、わたしの親友だもん」


 違う。その親友になる資格すらきっと、自分にはないのだ。

 それでもエリーヌは唇を嚙み締めて頷いた。もうネトスの身体は殆どが石と化していた。作業台の椅子から立ち上がることも、歩くことも出来はしない。脚は完全に石となって立ち上がり、歩くことすら出来なくなっていた。腕が動くのが不思議なぐらいで、それはまさにネトスの執念がしたものなのだろう。

 しかしその腕や手すらも、作業が終わった時点で急速に石化が進み始めた。もう彼女の手は、二度と魔指輪リングを作ることは出来ない。


「あとね……もう一つだけ……エリーヌに、お願いがあるんだ……」


 身体が石になっていく。もう止められない。止まらない。


「……わたしの心臓を……魔法石を使って……魔指輪リングを……作ってほしいの……」


 どうしようも出来ず────命の火が、消えていく。


「…………ああ。分かった」

「うん……お願いね……エリーヌ……」


 それが、ネトスという少女の最期の言葉だった。

 彼女の身体は完全に石と化した後、粉々に砕け散った。それはまるで風に乗って舞い散る花びらのようで、その中から黄金に輝く美しい魔法石が床に転げ落ちた。

 朝日を受けて美しくも優しい輝きを放つ魔法石を、エリーヌは震える手で抱きしめる。


「無理だよ……あたしには…………」


 どうしようもない無力感と挫折だけが、緩やかにエリーヌを締め付ける。

 ────それから約二百年。

 金色の魔法石は、いまだ魔指輪リングになることはなかった。



「あたしは人間が好きだ。いや……ネトスを見て、人間って生き物に惚れちまったのかもしれないね。たった一瞬と刹那しかない人生を燃やし尽くして生きる、そんな命を……」


 エリーヌは魔法石をじっと見つめるが、金色に輝く石は何も語りかけてはくれない。

 それはもう彼女の親友ではない。物言わぬ石だ。


「エルフ族ってのは寿命が長いからね。人間のように毎日を必死に、懸命に生きてたら疲れちまう。そんな連中エルフに囲まれて一生を過ごすのが嫌で……あたしは里を出てきたはずなのに。あたしは結局、どこまでいっても同類エルフだった」


 自嘲するような。かつての己をあざわらうかのような言葉。


「あたしには、あんな風に魂を込めて物を造れない。あたしがエルフである限りずっと、一生、永遠に……だから……」

「……だから、諦めたのか?」


 俺の問いに、エリーヌは苦笑しながら頷いた。


「……そうさ。あたしは諦めちまったのさ。をこの目で見たその時に、全てを諦めた」


 悲哀。挫折。哀切。諦念。

 色々な感情ものが混ざったそれを、エリーヌは二百年もの間抱えてきたのだろうか。


「命を燃やしたあの一瞬に、あたしじゃ永遠に敵わない」


 全てを悟ったようなその一言は、やっとの思いで絞り出したようでもあって。


「こんな半端な奴が親友から託された魔法石に手をつけていいわけがない────あの子のような魔指輪リングを造れるわけがない。自分の身の程を知ったあたしは、工房を当時の弟子に譲って引退した。あとは墓守のごとをしながら無駄に永い余生を過ごしているところさ」


 エリーヌは魔法石から視線を外して、俺たちを見渡した。


「これで分かっただろ。あたしは『彫金師』なんかじゃない。半端者のまがいもの。ただの無力なだけの生命いのちだ。あんたらのお役には立てないよ」


 エリーヌが俺たちを拒んでいたのは、自分自身に見切りをつけていたからだ。

 彼女にとっては何の意味もなさない過去の栄光に俺たちがすがってきたからだ。


「もう、帰ってくれ」


 背中が遠ざかる。離れていく。影の中に沈んでいく。


(…………ま、ここまでか)


 諦めて、膝を折り、歩みを止めた者の気持ちは俺にもよく分かる。

 彼女には彼女なりの理由があり、諦めるまでに自分の心を涙と共に引き裂き、嗚咽と共に押しつぶしてきたはずだ。夢も希望も、光すら届かぬ奈落に沈む、堅く冷たい箱の中に閉じ込めたはずだ。

 ならばもう、そこに言葉は届かない。

 俺が何を言ったところで、言葉を尽くしたところで、きっとエリーヌには届かない。

 諦める辛さと痛みに屈した俺では、何を言っても白々しくなるだけ。


「帰りません!」


 そう────俺では。



 シャルロットにとってそれは反射的なものだった。何か深い考えがあるわけではない。ただ、自分の心が叫んでいたのだ。

 ここで帰ってはいけない。ここで摑めなければきっとこの人は────ずっと諦め続けてしまう。理屈ではなく、直感でそれを理解していた。だから叫んだ。去り行く背中を引き留めるために。


「……シャル」

「あ…………」


 アルフレッドは笑うだろうか。特に考えもなく、ただ反射的に叫んでしまった自分を。


「……言いたいことがあるんだろ?」


 だけどその不安は、ゆうに終わる。


「だったら遠慮せず、言いたいこと全部言ってこい」


 王子様は前に進むための背中を押してくれた。途端に体が軽くなり、胸に温かいものが広がる。


「……はい」


 今なら何でも、出来る気がした。


「────っ……」


 息を吸って。震える心を引き締めて。


「エリーヌさん。あなたは作るべきです。ネトスさんのことを大切に思っているのなら」

「言ったろ。あたしはあの子には敵わない。もう諦めたんだ。何もかも」

「だとしても作るべきです。あなたがするべきことは、その魔法石を土の下に眠らせておくことではありません。たとえ苦しくても、痛みを抱えても、前に進むことです」

「知ったような口をきくな!!」


 洞窟の中に響く彼女の叫び声。


「そんなこと分かってる! 何度だって考えた! 実にご立派な正論の綺麗事さ! けどね、そんなこと口に出すだけなら簡単なんだ!」


 それはどこか、泣き声のようにも聞こえた。


「魔法石を使った魔指輪リングの製作ってのは、やり直しがきかない。失敗したらそこで終わり。その瞬間に石は死ぬ。一度きりの一発勝負。そこらの石ならまだしも……これは、あの子の心臓なんだ! あの子の命なんだ!」


 石を持つエリーヌの手が微かに震えている。

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