第二章 彫金師 ⑲

「それを……あたしが? あたしが背負えって? ただうぬれが過ぎただけのどうしようもない半端者に? ははっ……冗談だろ。出来ないよそんなの。出来るわけがない。あたしは弱い……どうしようもなく、弱いだけの生命いのちなんだ……」


 いや。手だけじゃない。その全身が震えている。手の中の重みに、恐れているかのように。


「こんな重いもんを……あたしみたいな弱いだけの紛いものが背負えるわけないだろ!」

「背負ってきたじゃないですか」


 ここだけは否定させてはいけないと思った。

 ────こうなることは分かってた……ママが死んで、わたしが一人ぼっちになった日から……だから、その時に決めたんだ……わたしが生きた証を残すって……納得のいく最高傑作を、作るって……。

 少女の願いを、知ってしまったから。


「あなたはずっと悩んでいたのでしょう? この二百年間ずっと悩んで、ずっと苦しんで……ネトスさんという命のことを考えて。十分に背負ってきたじゃないですか。たとえ魔指輪リング作りに失敗したとしても、その時間が無駄になることはありません」

「それこそ……綺麗事じゃないか」

「……どうしてネトスさんは、あなたに魔法石を託したんだと思いますか?」

「どうして、って……」

「あなたの傍に居たかったからでしょう?」

「あたしの、傍に……?」

「自分の命が短いことを知っていたネトスさんが、悠久を生きるエリーヌさんの傍に居続けるためには、きっと……こうすることしか出来なかったんですよ」


 エルフ族の寿命は人間とは比べ物にならない。ましてや『石華病』を患っていたネトスはより短く、儚い。それは本人が一番よく分かっていたはずだ。


「たとえ命が尽きてしまっても……『願い』という形でなら、一緒に生き続けられるから」

「────っ……!」


 エリーヌはまるで引っ叩かれたような顔をして。震える手の中にある重みを、改めて抱きしめた。


「彼女が望んだのは、石を墓の下に眠らせて、後生大事に抱えることじゃない。ましてやあなたが立ち止まることでも、諦めることじゃないはずです。だけどエリーヌさんがしていることは、ただ願いを裏切っているだけだと思います。そんなのは───彼女の命を殺しているのと同じです!」


 裏切られる痛みも、怖さも、よく知っている。十分すぎるほど知っている。

 だから目の前にいるエリーヌという女性に、と同じことをしてほしくないと思った。


「怖がっているのは、歩もうとしているからでしょう? 前に進もうとしているからでしょう? 本当に諦めていたら、怖がるはずないじゃないですか」

「…………」

「進みましょう。……いいえ。あなたは、進むべきなんです。怖くても、恐ろしくても、その願いという名の命は、あなたが背負うべきものなんです。ネトスさんが生きた証を未来に連れて行くことが出来るのは、エリーヌさんだけなんですから」


 その石の重みをエリーヌは恐れている。前に進めないでいる。

 当然だ。誰だって怖い。命は、荷としてはあまりにも重すぎるのだから。

 それでも、進まなくてはならないのだ。恐怖に絡みつかれながら、一歩ずつでも、先へ。先へと。

 ────失った人を、おもうのなら。


「…………あたしは。やっぱり、怖い」


 体の震えは止まらない。

 エリーヌは震える手で、託された願いを抱きしめる。


「……あっという間にあの子は死んだ。わけもわからないうちに死んだ。胸の中に穴が空いたみたいで。自分がいかに無力な生命いのちかを思い知って、無力を呪った。目の前が真っ暗になっちまったような、そんな気分だった。……でも、あの子はずっとあたしの傍にいたんだ。『願い』という形になって、一緒に生きていた」


 頰を涙が伝う。


「あたしは……そのことに気づいていた。気づいていたのに、気づいていないフリをしてた。あの子の命を背負うのが怖かったから。この石を殺しちまったら、あの子が本当に消えてしまうと……そう思うと、怖かった。だから……目を背けて、逃げ続けてた」


 優しいしずくが石に滴る。


「じゃあ、逃げるのはもう終わりにしましょう」


 シャルロットは手を差し伸べる。それは立ち上がるための手。立ち上がった後、独りで託された『願い』と向き合うための手だ。


「立ち上がるのに理由が必要なら、私がその理由になります。そこから先……実際に向き合うのは、あなたの役目です」

「……優しいようで厳しいね。あんたは」

「私にはそれぐらいのことしか出来ません。今の私は、無力なんです」


 魔力を封じる首輪が鈍く光る。今のシャルロットは救われることしか出来ない無力な存在。

 しかし、だからこそ。無力な者の痛みが分かる。


「でも……エリーヌさんは違うでしょう?」


 震える手が伸びる。

 ゆっくりと。それでも確かに────二つの手は、重なった。



 シャルが気づかせたもの。託されたもの。儚い一瞬の命が遺した願い。

 諦めの奈落にいたエリーヌは、きっとここから歩き出していくのだろう。

 一歩ずつ、ほんの一歩ずつ、前へと。


「…………す、すみません。出しゃばったことを」


 イトエル山の麓にある宿の一室で、シャルは一人落ち込んでいた。

 ちなみに捕らえた盗賊たちは厳重に縛った上で、ほろしゃの荷台に転がしている。


「何で謝ってんだ」

「だって、その……考えがあったわけじゃなくて、反射的に、つい口を挟んでしまっただけで……それに、エリーヌさんと交渉も出来ずじまいでしたし……」

「返事は明日するって言ってたし、今更言ったって仕方がないだろ。口を挟んだ件にしたって、別にいいんじゃないか? 少なくともあの場面で反射的にくなんてこと、俺には出来ない」

「嚙み付っ……!?」

「確かにあれは見事な嚙み付きっぷりでしたね。わんわん」


 くすくすと笑うマキナだが、称賛が滲んでいることは俺には分かる。

 俺にもマキナにも、ああは出来ない。あの場にシャルがいなかったらきっと、エリーヌは今も立ち止まっていたままだっただろう。一人の少女が託した願いにも気づかぬまま。


「うぅ~……恥ずかしいです。後悔はしてませんけど」

「あはは。そーいうシャル様、わたしは好きですよ。それに婚約者としては良いバランスじゃないですか? 心で感じたことを正面からぶつけることが出来るシャル様と、なかなか素直になれない捻くれたアル様。お似合いです」

「おい。ご主人様に対する評価が捻くれてるぞ」

「わたし的には褒めたつもりなんですけど?」

「褒めの定義を見直してこい」

「じゃあ、今回の功労者をもう少し素直に褒めてあげてもいいんじゃないですか?」

「素直にって……」

「大事ですよー。褒めることって。上に立つ者ならなおさら」


 なまじ正論なだけに何も言い返せない。しゃくなメイドめ。


「あー……シャル」

「は、はいっ」

「えっと……ありがとな。よくやった…あ、いや。ちょっと偉そうか。よくやってくれた? じゃなくてだな……」


 改めて素直に褒めるって案外難しいな……上手い言い回しが思いつかない。

 自分の中から出てくるものはやっぱり限界がある。誰か良いお手本がいないかな……。

 ────よくやったな。アル。

 ふと、思い浮かんだのは、昔のこと。俺がもっと小さかった時のこと。

 優しいレオにぃの顔と、頭に乗せられた手のぬくもり。


「…………」


 気づけば俺は、シャルの頭に手を乗せていた。


「助かった。ありがとう、シャル」

「あ…………」


 過去に想いをせながら、優しく頭を撫でてやり────そしてすぐに、我に返った。


「………………………………悪い」


 なんてことしてんだ俺は!?


「軽率だった。すまん。なんか……勝手に頭とか触って、悪かった」

「い、いえっ! 悪くなんてありません! むしろ、その…………もっと触っても、大丈夫です!」


 モットサワッテモダイジョウブデス?

 どうした俺の脳よ。耳に入ってきたセリフを正しく認識できていないぞ!


「シャル様。清楚な見た目の割にセリフが結構エロエロですねぇ……」

「そ、そそそそそそんなつもりは……!?」

「アル様的にはどうです? 婚約者が清楚でエロエロな件について」

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