第三章 黄昏の約束 ①

 ────夜の魔女。

 それは、かつてこの世界を闇に覆い尽くした厄災。


第五属性エーテル』を身に宿した英雄たちの手によって葬られたかの存在は、死の間際に呪いを遺した。

 世界中にまき散らされた幾つもの呪いは、現在においてもこの世界に蔓延はびこっている。

 漆黒の魔力たる『第六属性エレヴォス』や『禁呪魔指輪カースリング』もまた、夜の魔女が遺した呪いに過ぎない。

 それらと同じく呪いとして世界に巣食う存在こそが────『ラグメント』。

 魔物とは異なる変異種であり、世界から発生する呪いの怪物だ。

 火、水、土、風の四大属性に異常なまでの耐性を持ち、通常の魔法攻撃では殆ど効果がない。対抗できるのは英雄の血を継ぎし王家が持つ『第五属性エーテル』による攻撃。或いは、『ラグメント』と同じ『第六属性エレヴォス』による攻撃のみ。

 故に王家は、自然発生する『ラグメント』を討伐するという使命を背負っている。



「王宮には戻ってやる。けど、こっちにも準備ってもんがあるからね」


 というエリーヌの事情もあり、先に俺たちだけで王都へと帰ることになった。

 そんなイトエル山からの帰路。順調に道を進んでいた馬車が、森の中でその足を止める。


「どうした」

「んー。なんかあったみたいですね。ちょっと見てきます」


 マキナが様子を見に外へと出て、直後に気づく。気づいてしまった。


「…………」

「…………」


 室内。密室。そこで、シャルと二人きり。

 ……思えばこうして、婚約者になってからここまで近い距離でシャルと二人きりになんてことは、初めてかもしれない。それを意識してしまうと、どうにも……。

 ────いやぁ、それにしてもよかったですねぇ、アル様。マジめでたいじゃないですか。

 ────何がだよ。

 ────初恋の人をカッコよく助け出せて。

 あのメイドめ。お前があんなことを言い出すもんだから、余計なことを思い出してしまったじゃないか。いくら婚約者になったとはいえ、シャルだって好きでこうなったわけじゃないし。


「…………」

「…………」


 俺が勝手に気まずくなっている間も、目の前の席に座っているシャルは無言を貫いていた。

 まともに顔が見れないのでどんな表情をしているのかは分からないが。

 ……ダメだ。ひたすら俺だけが気まずい。会話。何か気の利いた会話をしなければ。


「……良い天気だな」

「そ、そうですね。良い天気です」

「…………」

「…………」


 会話終了。

 無理だ! 戦闘経験なら積んでるけど、女性との接し方なんて経験積んでねぇし!

 思い返せば俺の周りの女性といえば、マキナをはじめとする部下……あとはルチねぇ、妹のソフィに、おふくろといった家族ぐらい。パーティーに出ても壁の花ならぬ壁の染みになっている状態なのでマトモに令嬢たちと談笑を交わしたことがない。

 ……そういえば、いつだったか。ルチねぇに忠告されたことがあったっけ。

 ────あんたねー。もうちょっと女の子を楽しませるだけの会話スキルは磨いときなさいよ。その時になって焦っても遅いんだからね。尊敬できるお姉さまからの忠告よ。ありがたーく受け取っときなさい。

 とかなんとか……ああ、くそっ。なぜ俺はあの時もっとルチねぇの言葉に耳を傾けなかったんだ。どうせ俺には関係ないとばかりの態度をとっていた、怠惰な自分が恨めしい。


「アルくん? どうかしましたか?」

「いや……なんでもない。ただ尊敬できる姉の言葉に耳を傾けなかった自分を恥じていただけだ」

「アルくんのお姉さんというと……第一王女のルーチェ様が何か?」

「本当になんでもないんだ。うん……」


 第二王子のロベルト兄さん……ロベにぃも、何だかんだ言いながら女の子の扱いもこなせそうだし……いざという時に焦っても遅いということを今まさに身に染みて学んでいるところだ。


「……アルくん」

「ん?」

「私、何か気に障るようなことをしてしまいましたか……?」


 ……なぜそうなる。


「別に何もしてないけど……」

「そんなの噓です。せめて正直に言ってください」

「噓もなにも正直に言ってるんだけど……むしろなぜそう思った」

「だって……さっきから、私と目を合わせてくれないじゃないですか」


 おいバカやめろ。そこを突くな。傷つくだろ。


「………………ソンナコトナイヨ」

「せめて窓の外の景色を見ずに言ってください」


 面目次第もございません。


「もう……」


 するとシャルはごそごそと動いたかと思うと……。


「ここなら逃げ場はありませんよ」


 正面から移動して、俺の隣に座ってきた。


「…………っ……」


 近い。顔も。まつ毛の長さもハッキリと見える。

 何やら良い香りも漂ってくるし……仄かに温もりも感じるぐらいに、近い。


「アルくん。これでも無視するんですか」

「いや、別に無視してるわけじゃ……!」

「じゃあ、何なんですか」


 言わせるのか。言うしかないのか。言うしかないんだろうなぁ……。

 せめてここにマキナがいないことが救いだろうか。あいつが居たら確実に最高に面白い娯楽をたんのうしてますと言わんばかりに見物していただろうから。


「…………緊張してたんだよ」

「えっ? 緊張って……」

「いや、だから……思えばシャルとこんな狭い場所で二人きりとか、そういうの今までなかったし……だから、緊張してたんだよ。俺は婚約者が出来たのも初めてで、女性の扱いにも慣れてないし」


 なんだこのとてつもない恥を晒している感覚は。言うたびにダメージが入ってくるんだけど。


「俺は兄さんや姉さんたちみたいに、気の利いた会話も出来ないしな。だから俺が……勝手に気まずくなってただけだ」


 これ以上ないぐらいの恥を晒したら、しばらくシャルはぽかんとしていて。


「…………ふふっ」


 笑った。というか、笑われた。

 やめろ! 地味に傷つくぞ!!


「……笑うなよ」

「すみません。別にバカにしているわけじゃなくて……」


 シャルは見ているこちらが華やぐような笑顔を見せ、


「……アルくんがちょっと、可愛くて」

「……それはバカにしてると言わないか?」

「だから違いますって。ふふっ……私、アルくんの婚約者になってから色々と驚かされてきましたけど……こういうカワイイところがあると、安心しますね」

「ああ、そうかい。そりゃー、シャルは? レオにぃとの婚約者歴も長いから、さぞ男の扱いには慣れてるんだろうけどな」

ねないでくださいよ。それに、私たちは名前こそ『婚約者』ではありましたが、婚約者らしいことは何一つしてきませんでしたから……今思えばそれが、私の過ちだったのかもしれませんけど」

「そうなのか?」

「はい。馬車の中で二人きりになっても、特に話すことがない場合、レオル様はこちらに構わず黙り込んでいましたから。静かなものですよ」


 シャルは楽しそうに、くすくすと笑う。


「こんな風に楽しい雰囲気になるなんてこと、ありませんでした」


 そりゃ初耳だ。まあ、こっちもわざわざシャルとどんな雰囲気だったとかは聞かなかったし聞こうともしなかったから当然といえば当然なんだけど。


「でも……そうですね。反省して、多少は婚約者らしいことをしておくのもいいかもしれませんね。でないと、今度はアルくんにまで捨てられちゃいます」

「別に捨てやしないし、捨てるようなお偉い立場でもないけどな」

「それでも、です。私もアルくんとする婚約者らしいことに……興味は、あります」


 …………つまり? それはどういうことですかシャルさん?


「アルくん。疲れはありませんか?」

「えっ? いや……もう休んだし、大丈夫だけど」

「疲れてますよね?」


 なんだこの圧は。頷けということか。頷いとくか。


「そう……だな。なんか、疲れてる気がしてきた」

「だったら……えっと。少し横になって休みませんか?」


 言いながら、シャルはその白くて柔らかそうな太ももに、ぽんと手を置いた。

 それって。つまり。ようは。


「ひ、膝枕ということですか」

「膝枕ということです」


 マジですか。いいんですか。いやそもそも、なんでシャルがそんなことを……。


「……婚約者らしいこと、してみませんか?」

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