第三章 黄昏の約束 ②

 残念ながら俺にはその提案に抗えるだけの鋼の精神力は持ち合わせておらず、無言でぎこちなく頷くことしか出来なかった。


「では……失礼して」

「はい……どうぞ」


 当のシャル本人も恥ずかしいことには恥ずかしいらしい。俺はそれを見ないふりをしつつ、狭い室内で横になり、頭をシャルの太ももに置いた。スカートの布地や伝わってくる感触。仄かな温もりにドキドキと心臓の鼓動が激しく躍動し、休むどころではなかった。


「どう……ですか……?」

「……とても、いいと思います」

「それは、よかったです……」


 さっきから言葉が変だ。敬語になる。いやなんか背徳感が凄くて。

 更には下手にシャルの顔を見ようとしてしまい、視界を遮る豊かな胸の膨らみが目に入る。

 いや、でっ……じゃなくて申し訳ないと思った俺はそのまま首をじった。我ながらなんて紳士的なんだろう。欲望という名の獣にったのだから。


「あの……シャルさん?」

「は、はい?」

「ここから俺は一体どうすれば……」

「えっ……そ、そういえば考えてませんでした。あのっ。実は私もいっぱいいっぱいで……言われた通りにしてみたんですけど……」


 言われた通り? おいまさか……。


「……これ、マキナの入れ知恵?」

「あ、はい。一緒の部屋に泊まってお喋りした時に、マキナさんからアルくんにはこうしてあげるといいですよと教わって……」


 何変な入れ知恵してんだバカメイド!! いや感謝はしてるよ? 正直な感想を申し上げると、ありがとうだけどな!?


「アルくんの髪……」


 くしゃり、と。シャルの手が俺の髪を撫でる。


「……綺麗ですね」

「そうか? 俺としては、あんまり好きじゃないけど」

「でも、綺麗です」


 シャルは俺の頭を撫でながら、髪を繊細な手つきでいじっていく。どこかこそばゆく、むずがゆい。


「…………」

「…………」


 室内がまた無言になる。だけどさっきまでとは違って……少なくとも俺は、気まずくない。どこか心地良く穏やかな時間。このままずっと時が止まってほしいと思えるような、そんな────、


「────アル様! 緊急事態で……」

「「────っ……!」」

「…………す」


 止まった。時間がというより、この場にいた全員の動きがだ。

 マキナは俺とシャルを眺めて呆気に取られていた。対して俺とシャルも、いきなりのことで硬直してしまい、三人とも数秒ほど固まってしまったかのように動けなかった。


「…………えーっと……もしかしなくても、お邪魔でした?」

「「お邪魔じゃない(です)!!」」

「あ、そうなんですか? 健気で出来るスーパーメイドのマキナちゃんからすれば、このままご主人様たちでランデヴー&逃避行をキメちゃっても全力でサポートする所存なんですが」

「それよりどうした! 緊急事態なんだろ!」


 まさに目にもとまらぬ早業で、俺は逃げるように跳ね起き上た。

 ……あのスカートの布地を挟んだ太ももの感触が名残惜しくなかったといえば噓になるが!


「馬車の外を見てください!」


 マキナに言われるがまま、シャルと共に馬車の外へと転がり出る。


「────……っ! これは……」


 緑が生い茂る森の中。俺たちの馬車を、黒装束に身を包んだ集団が取り囲んでいた。


「完全に囲まれてます! これでは逃げ場が────!」


 俺に続いて馬車に出てきたシャルが、周囲の状況に絶句している。


「もしかして、エリーヌさんの洞窟を襲った盗賊たちの仲間なのでは……」

「何の用だ?」


 黒装束の一人、仮面で素顔を隠した男に問う。


「………………………」


 仮面の男は沈黙を貫き、軽やかに地を蹴った。


「…………っ……!? アルくん、危ないっ!」


 地面を這いずる影が如く疾駆した仮面の男は、そのまま音もなく俺との距離を詰め────



 レイユエール王国騎士団団長、グラシアン・グウェナエル。

 彼がこの地位に上り詰めるまで、『ラグメント』とたいしたことは幾度もあった。若い頃は王族を待つまでもなく倒してやるなどとはやったこともあった。

 鍛え上げた剣技も、磨きぬいた魔法も、その全てを叩き込んでやったが何一つとして効かなかった。やっとの思いでつけた小さなかすり傷も瞬く間に再生してしまい、己の無力を痛感させられた。

 夜の魔女が遺した呪い、『ラグメント』の力と恐ろしさは、彼の身に十二分に刻まれている。

 虫や緑の湿った匂いが、その時の傷を思い出させる。かつて共に夢を追いかけた者がたおれた時も、今みたいな生い茂る森の中だった。


「団長! 『ラグメント』を発見しました!」

「よし。まずは距離をとって魔法で攻撃だ! とにかく当てて動きを鈍らせろ!」


 レイユエール王国騎士団の大半が遠征や緊急の任務で出払っている。

 騎士団長自らが戦線に立たねばならないほどに戦力が減少している状況での『ラグメント』出現。若い頃に抱いた恐怖がジワリと汗のように染みだしてくる。


「『火炎魔法球シュート』!」

「『火炎魔法矢アロー』!」


 威力に秀でた火属性攻撃による足止め。対『ラグメント』戦のセオリーである。

 しかし、所詮は足止めと時間稼ぎという名の気休めでしかない。

 この国を守護する優秀な騎士たちから無数の火属性攻撃が放たれ、蜥蜴人リザードマンを彷彿とさせる異形を中心として爆炎が迸る。されど、怪人の身体は無傷。騎士たちの攻撃など無意味であると語るという意味では、『第六属性エレヴォス』を持つ肉体は実に雄弁だった。


「くっ……! なんてやつだ……!」

「これだけの魔法を叩き込んでるというのに……!」


 若い騎士たちが汗を滲ませながら、目の前で広がる信じがたい光景に歯を食いしばっている。グラシアンの記憶では、彼らが実戦で『ラグメント』を見るのは今日が初めてであるはずだった。


ひるむな! 魔法バインドで奴の動きを封じろ!」


 表面上だけは冷静さを取り繕いつつ、他の騎士に指示を飛ばす。

 彼らの隊長は今、レオル・バーグ・レイユエールが夢中になっているというルシルという少女の護衛の任にあたっている。遠征で騎士たちが出払っている現状では手放したくなかったが、レオル第一王子からの命令とあれば従うほかはない。

 だからこそここは、団長である自分がしっかりと前を見なければならない。

 心の中にある恐怖に蓋をし、ぜんとした態度を取り繕わねばならない。


「「「「『火炎鎖縛バインド』!」」」」


 無数の鎖が蜥蜴の『ラグメント』を束縛する。何重にも絡みついた魔法は敵の動きを止めることに成功した。しかし、これも長くはもたない。


「レオル様はまだか! こんな時のためにワイバーンの魔指輪リングを……!」

「それが……どうやら、ドルド様とフィルガ様に貸し与えたそうでして……」

「くそっ……!」


 婚約破棄の件はグラシアンも耳にしていた。バカなことをしてくれたと思わず吐き捨ててしまったのは、バカ息子がレオルの突拍子もない行動の肩を持っていたと知ったからだ。そんなレオルに対して不信感を抱きつつも、今はこうして彼に縋るしかない。


「くそっ! せめて、ルシル様の護衛に割かれた第一部隊が参加出来れば……!」


 レオルの命令により、主力である第一部隊は丸ごとルシルの護衛についている。その戦力があれば、少なくとも十分な足止めが出来たはずだ。


「団長! 他の王族の方に援軍を頼むというのは……」

「第一王女、第二王女、第二王子は留学中だ」


 表向きには留学ということになっているが、実際には同盟国で発生している『ラグメント』対応のすけとして派遣されている。そもそも国内にいないのでは、どうしようもない。


「残るは第三王子ですか……」

「あんなの居ないのと同じだろ……!」


 残る一人は第三王子のアルフレッド・バーグ・レイユエールのみ。


「口を慎め。あの方もまた我らが仕えるべき王家の方だ」


 騎士たちの間に落胆のムードが漂う。だが、そんな暇はない。


「顔を上げろ! 我々がここで『ラグメント』を食い止めねば、奴のそうは民を喰らうぞ!」


 その時だった。バギン、と。鎖が砕け散る音が無残にも響き渡る。

刊行シリーズ

悪役王子の英雄譚3の書影
悪役王子の英雄譚2の書影
悪役王子の英雄譚 ~影に徹してきた第三王子、婚約破棄された公爵令嬢を引き取ったので本気を出してみた~の書影