第三章 黄昏の約束 ⑦
「あ…………えっと……わ、私、マキナさんを手伝ってきますね」
それだけ言い残して、シャルは逃げるように小走りで去っていく。
「…………クソガキ王子。アンタ、一体なにした」
「…………別に。いつも通りのことをしただけだ」
小走りのシャルの背で、長い金色の髪が軽やかに揺れる。夜空で瞬く星のように美しい金色の髪の輝きが、今は眩しい。目を背けたくなるほどに。
「んな無駄に意味深なこと言っても他人には分かんないよ。とっとと話しな」
「…………」
ひどく気が進まなかったものの、俺はポツポツとエリーヌに話した。イトエル山からの帰りに出くわした『ラグメント』との戦闘。その後に起きた騎士たちとの一件を。
「阿呆が」
「いってぇ!?」
ため息交じりに振り下ろされたエリーヌの
「なにすんだこのババア!」
「言ったろうが。シャルを泣かせたら承知しないってね。まったく……王族ってやつは、いつの時代も気にくわない連中ばかりだね」
「何が文句あるんだよ。お前にとっても都合がいいだろ。シャルが守られたんだから」
「だからアンタはガキなんだよ。自分の
エリーヌの随分と余裕のある、見透かされたような発言が気にくわない。ただ、そう思っている自分がなおのこと不貞腐れた子供のように思えたので、黙り込む。
「他人の『心』ってやつがまるで見えていない。……いや。『心が見えてるつもりになっている』、って言った方がいいのかね。だから平気でそんな手段をとる。シャルの心を思っていれば、そんな行動は起こさないさね」
「シャルの……心?」
「エルフ族ってのは無駄に寿命が長いからね。悠久の中で心が腐ってく奴、枯れていく奴が多い。けれど人間の心ってのはそうじゃない。豊かで、多彩で、混沌としている。多種多様。十人十色。白でもあり黒でもある。赤でもあり青でもある。そこに『最適』なんて存在しない……まァ。あたしは、人間のそういうところが好きなんだけどね」
「…………何が言いたいんだよ」
「心から逃げるな、ってことさ」
その一言は、深く。俺の深い深いところに、突き刺さった。
「この世界で生きてく以上、心からは逃げられない。向き合わなきゃいけないのさ。どれだけ辛くて、傷つくことになっても。他人の心が見えてるつもりになって、逃げ続けたってロクなことにはなりゃしないよ……あたしがそうだったようにね」
ネトスというたった一人の親友が遺した願いから、エリーヌは二百年もの間、逃げ続けていた。
だけどシャルは、エリーヌの手を摑んだ。心と向き合う時を与えた。
「シャルはきっと、ネトスの心と向き合ってくれたのさ。だから言葉が出てきた。あたしに大切なことを気づかせることが出来た。……それが出来たのは、後悔があったからさ。レオルとかいう第一王子の心と向き合えなかったことに対する悔いや痛みと、あの子は戦ってる最中なんだ」
「……………………」
俺の心を見透かしたように……いや、きっと見透かしているのだろう。俺とエリーヌは同じだった。色々なものを諦め、心と向き合うことから逃げ続けていた、似た者同士。だから分かるのだ。
「シャルはあんたの心を知ろうとしてる。あんたは、シャルの心を知ろうとしてるのかい?」
「…………。俺は……」
エリーヌの問いかけに胸をはって応えられる
────コツ。
背後で足音がして、反射的に振り向く。
「…………シャル」
声をかけようかどうか迷っている様子のシャルが佇んでいた。
「あの……マキナさんに、二人を呼びに来るように言われて」
…………そうだ。シャルはずっと俺に歩み寄ってくれていた。俺のことを知ろうとして、言葉を交わそうとしてくれた。だけど俺は、それを拒んでばかりで。
「……アルくん。あのっ────」
「シャル」
意を決したように顔を上げたシャルの言葉を遮る。だけどこれは、拒絶するためじゃない。
「……デート、しに行かないか」
「ふぇっ!?」
ただ俺が先に言わないといけないと、思ったからだ。
☆
王立ロミネス魔法学園。
若き少年少女たちが通う魔法の
膨大な予算をつぎ込んで設立・増築された場所でもあり、レイユエール王国が誇る最高峰の魔法学園だ。その設備の一つである食堂のテラス席。本来は学園の誰もが利用できる場所ではあるが、今は誰も近寄れぬ不可侵の領域と化していた。
結界が張られているわけではない。学園側から利用が禁じられているわけではない。
現にそのテラス席には四人の学生が座していた。つまるところ、学生たちが近寄れなかったのはその四人が原因だったのだ。
レイユエール王国第一王子たる少年、レオル・バーグ・レイユエール。
王国騎士団長の父を持つ少年、ドルド・グウェナエル。
魔法技術研究所所長の母を持つ少年、フィルガ・ドマティス。
そして────平民の少女、ルシル。
彼ら彼女らはテラス席で優雅なティータイムをとっているに過ぎないが、現在の騒動の渦中にいる人物たちに自ら好んで近づこうとする者などいない。
「どうだルシル。最近は、何事もなく過ごせているか?」
「うん。大丈夫だよ、レオルくん。心配してくれてありがとう」
ルシルは自分を見てくれている。微笑みかけてくれる。それだけで……たったそれだけの
「へっ……あいつらが学園に来なくなった途端、ルシルの身に何も起きなくなった。もう犯人が決まったようなもんだろ。御前試合を待つまでもねぇ……俺が今すぐにでもぶっ飛ばしてやろうか?」
拳を己の
「だ、ダメだよ。フィルガくん。暴力は……それにわたしなら大丈夫だから」
「ルシル。君の優しさは魅力的だが、それでは悪の連鎖が止まることはない。ああいう悪人共は、即刻断罪すべきだ」
「えぇっ!? だ、断罪って……」
「よせドルド。ルシルが怖がっているだろう?」
「む……すまない」
普段から目つきの鋭さに定評のあるドルドではあるが、このルシルという少女の前では表情が和らぐ。これを他の生徒たちが見れば驚くだろうが、レオルは彼の気持ちが理解出来た。それもまたルシルという可憐な少女が持つ魅力が為せる
「フッ……お前の身に流れる騎士の血がそうさせるのか?」
「……あの腰抜けと同じにするな。いくら友であっても、そればかりは我慢ならん」
再びドルドの目つきが鋭くなり、瞳に強い軽蔑の色が宿る。
彼がこの眼をするのは、決まっていつも彼の父親────レイユエール王国騎士団長、グラシアン・グウェナエルの話になった時だ。
「そうだな。オレも口が過ぎたようだ。……ルシルと過ごしていると、どうも心が緩んでいかんな」
「えっ? ご、ごめんね?」
「謝ることではない。王たる者、時として陽だまりに身を委ねることも必要だ」
「陽だまり、か……確かにな」
「へへっ。ルシルは俺たちにとって、あったかいお日様みたいなもんだ」
ルシルという少女との出会いをレオルは感謝していた。それはきっと他の二人も同じなのだろう。彼女は見てくれた。包み込んでくれた。心を抱きしめてくれた。どれほど救われ、心地よかったか。
「お陽様だなんてそんな……わたし、そんな大した子じゃないよ」
「奥ゆかしいところも魅力的だな、ルシルは。だが自分の価値は正しく知っておくべきだ」
「へぇー。それじゃあ、レオル。お前は自分の価値を正しく知ってるってことか?」
からかい口調のフィルガに、レオルは目を伏せる。
「……ああ。知っているさ」
確かめるように。血を絞り出すように。言葉を、吐く。
「オレは自分の価値を、よく知っている」
儚さを感じさせる少女の手が、レオルの手に添えられた。
自分ではどんな表情をしているのかは分からないが、心配させてしまったらしい。
「レオルくん……泣いてるの?」



