第三章 黄昏の約束 ⑧

「……ルシルはいつも、オレを見てくれているのだな」


 頰に涙の雫など伝っていない。レオルは表面上では泣いてなどいない。

 だがこの少女は、泣いている、と言ってくれた。

 いつもそうだ。いつもこうだ。心の底まで照らしてくれる太陽。


「大丈夫だ、ルシル。君は何も心配しなくてもいい。君の光を阻むものは……全てオレが排除する」


 迫る御前試合。そこで全てを終わらせる。

 レオルは覚悟と決意を新たにし、胸の奥で燃え盛る炎の薪とした。


「ありがとう、レオルくん。でもわたし、悲しいな……家族同士で争うなんて……」

「ルシルが気にすることじゃないさ」

「そうだぜ。レオルには悪いが、何もかもあの二人が悪いんだ。ルシルが気にすることじゃねぇ」

「……でもわたしは、自分の家族のことが好きだよ。家族はわたしにとって、大切だから……レオルくんが兄弟同士で争っているのを見るのは、やっぱり悲しいよ」


 無邪気なルシルの言葉に胸が抉られるような気持ちに襲われる。

 恐らくドルドとフィルガも同じはずで、二人の表情にも陰がさす。

 それに言及することはせず、レオルはただ沈黙を貫いた。



「……ルシルは、優しいよなぁ」


 四人のお茶会が終わった後、フィルガとドルドは闘技場で組み手を行っていた。

 互いに模擬剣を使った訓練の一環だが、学園でも上位に位置する彼らの訓練についていける者はそう多くはない。必然、互いを訓練相手とするのが日常となっていたのだ。


「そうだな……あの優しさに、僕たちは随分と救われている」


 模擬剣を互いにぶつけ合う。こうしていると、互いの気持ちがよく分かるような気がした。


「やっぱり……許せねぇ」


 フィルガの繰り出した強烈な一撃に、ドルドの身体が強引に押し切られる。


「アルフレッドもシャルロットも……あいつらがルシルにしたことは、どうしても許せねぇよ。あいつらが野放しになっていることもだ」


 フィルガは模擬剣を握りしめた。今にも血がにじみ出そうなほどに。


「だがルシルは『それ』を望んではいない。どの道、奴らが好きに出来るのも決闘までの間だ」

「知ってるよ。だが俺は、我慢できそうにねぇ。何より自分の手であいつらをぶん殴ってやらなきゃ気が済まねぇ。……交渉の件の借りもあるしな。それはお前も同じだろ?」

「そうだな。珍しくボクも……お前と同じ気持ちだ」


 フィルガとドルドの眼は燃えていた。ルシルを傷つけた、二人に対する憎悪の炎で。


「アルフレッド。シャルロット。あいつらだけは許さねぇ……ぶっ潰してやる」



「……………………」

「……………………」


 前回は勝手についてくる形で。そして今回は、俺が連れ出す形で。

 俺とシャルは認識阻害の組み込まれた外套に身を包みながら、王都の街へと繰り出していた。


「……今日は、どこに行くんですか?」

「……今日は、ちょっと特別な場所だ」


 まだぎこちなさは拭えない。互いに無言のまま街をき、シャルはそれ以上何も言わず俺の背中に黙ってついてきてくれた。そうして辿り着いたのは、天をかんばかりの鐘塔がそびつ、神聖さと荘厳さを兼ね備えた石造りの建物。


「ここって……クローディア教会ですか?」

「そ。昔いたっていう、聖女クローディアのために造られた教会だ」

「なんというか…………」

「『意外ですね』……って、顔に書いてるぞ」


 図星を突かれたのだろう。シャルは苦笑を浮かべる。


「そうですね。正直、意外でした。あまりアルくんに教会のイメージがなかったので」

「そのイメージは合ってる。実際、嫌いだよ。教会ってのは、神様に祈る場所だろ?」

「じゃあ、どうして……」

「そりゃあ────こうするためだ」

「ひゃっ!?」


 シャルの身体を両腕で抱きかかえる。俗に言うお姫様抱っこの体勢のまま、教会の壁に躊躇いなく足を乗せ、壁を駆け上がる。夕暮れ時で人の流れもまばらだ。目撃されるよりも速く教会の屋根へと跳び上がり、着地した。


「教会の屋根に……?」

「屋根っていうか、本当に上りたいのはあそこ」


 視線で促し見上げた先にあるのは、夕暮れにあかく染まりつつある鐘塔だ。


「……アルくんって、恐れ知らずですよね。聖女クローディア様といえば、かつて夜の魔女と戦ったとされる偉大なる聖女様です。そんな聖女様の教会の屋根に無断で……それも壁を足蹴にして登るなんて、普通なら恐れ多くて出来ませんよ」

「生憎と、俺はそんな良い子ちゃんじゃなくてね。どっちかっていうと『悪い子』だ。恐れ多くてこれ以上は登れません……っていうなら、引き返してもいいけどな」

「いいですよ」


 俺の少しばかり意地悪な問いかけに。


「私も、アルくんと『悪い子』になっちゃいます」


 シャルは、悪戯っ子のように笑ってみせた。


「しっかり摑まってろ」


 壁を踏みしめて蹴り、駆ける。上がる。昔の偉い聖女様のために作られた神聖な教会の鐘楼を。

 高く高く。天に近い場所。鐘楼の頂上にシャルを連れて行く。転落防止用のパラペットをまたぎ、その内側にシャルを下ろす。


「到着……っと。ほら、見てみろ」

「…………あ……」


 鐘楼からの眺めは、まるで黄昏の海の上にいるかのようだった。眼下には黄金の海底に沈んだ街並みが広がっており、俺たちがこのまばゆいばかりの輝きを独り占めしているようにも思えた……いや。この場合は二人占めといった方がいいのだろうか。


「綺麗……」


 無意識の内に零れ出てきたであろうシャルの言葉は、この場所を気に入ってくれたみたいで。それが少し、嬉しかった。


「ここが、アルくんの『ちょっと特別な場所』なんですか?」

「ああ。何かあった時とか、何もなかった時とか。気が向いたらここに来るんだ」

「確かに、こんなにも素敵な眺めなら、何もない時でも来たくなっちゃいますね。つい登ってしまうのも、仕方がないのかもしれません」

「あー……そうじゃないんだ。わざわざ登ったのは……あてつけだよ。神様ってやつに対する、さ」

「神様に対するあてつけ……ですか?」


 シャルはきょとんとした様子で、目を丸くしている。


「そーだよ。俺にこんな魔力を与えた神様に対するあてつけ。ここは、神様に近いだろうからさ」

「ふふっ。アルくんらしい理由ですね」

「…………誉め言葉として受け取っておくよ」


 俺たちは自然と空を見上げていた。焼けるような紅。闇に染まろうとしている空を。


「……………………」

「……………………」


 こうして鐘楼に登って、一緒に景色を眺めているうちに、不思議とぎこちなさも消え、言葉も交わせるようになっていた。それはシャルの方も、気づいているだろうか。

 徐々に陽が沈んでいき、黄金色の空が徐々に濃く焼けついていったその時。


「「────ごめん(なさい)!」」


 出てきた謝罪は全くの同時。ゆうに照らされ浮かび上がった二つの影が、まったく同じタイミングで頭を下げ、更に顔を上げる動作も、目を丸くしているところまでが同じだった。


「な、なんでシャルが謝ってるんだ?」

「だって、アルくんは何も悪くなくて、それどころか私をずっと助けてくれたのに……私だけが一方的に気にして、空気を悪くしていたので……そういうアルくんこそ、どうして?」

「俺は…………」


 ふと、エリーヌの言葉が頭をよぎり、胸をチクリと刺した。一瞬、逃げ出そうとしてしまった俺をこの場に縫い留めるかのように。


「…………シャルの心から、逃げてた」


 実際、言葉にしてみると中々に勇気が要る。シャルも今までこんな気持ちだったのだろうか。


「シャルだけじゃない。俺は多分、もっと色んな人の心からも……自分の心からも逃げてたんだ」


 今まで直視しないようにしてきた部分。必死に見ないようにして、否定して、逃げてきた部分。

 それを素直に吐露して、シャルはどう思うのだろうか。受け止めてくれるのだろうか。

 怖い。否定されて、拒絶されてしまうことが、怖い。


「────っ……」


 微かに震える手に温もりが重なる。


「────……」


 言葉はなくとも、勇気を貰えたような気がした。

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