第三章 黄昏の約束 ⑨

「……俺はさ。生まれた時から、この呪われた魔力を持ってた。望んで得たものじゃない。それでも色んな奴が陰で言ってたよ。『王家の恥』だとか、『忌み子』だとか……」


 物心ついた時からそうだった。今でもはっきりと、鮮明に思い出すことが出来るほどに、俺の心に焼き付いていた。


「辛くなかった……って言ったら、噓になる。生まれ持ってしまったものだし、どうしようもないことだったから、理不尽も感じた。親を恨んだこともあった。……今思うと、あの頃は毎日泣いてばかりだった気がするな」

「アルくんが……?」

「昔は泣き虫だったんだよ。でも……その度に、レオにぃが慰めてくれたんだ」


 あの頃のレオにぃは優しかったな。家族はみんな優しかったけれど、レオにぃだけは特に。


「……でも、やっぱ辛くてさ。痛くて、涙が止まらなくて。だから俺は、自分の役割を決めた」


 絵本に出てくるような英雄ヒーローにはなれない。

 でも、


「俺に出来るのは、『悪役』ぐらいだって。そう思うことにした。そう決めつけた」


 絵本に出てくるような悪役ヒールにはなれる。


「それからは毎日が楽になったよ。なにせ、『悪役』っていう役割ものの影に隠れるだけでよかったからな。どんな悪意を向けられたって……『予想通りの反応だ』とか、『役割を果たせた』とか、『レオにぃの助けになれた』とか。そんな風に思うことで、傷つくことも、泣きじゃくることもなくなった。全部が全部、他人事だ。全て俺ではなく、『悪役』に向けられたものだ……ってな」


 それでよかった。それでいいと、思っていた。


「差し伸べられた手も、寄り添おうとしてくれた心も、確かにあったんだ。でも、俺は怖かった。その手をとれば、その心と向き合えば、もう『悪役』ではいられなくなる。俺を守ってくれる『役割』を失うことになる。それがたまらなく…………怖かった」


 人の悪意に対して立ち向かえるだけの勇気がなかった。


「目を背けて、見ないようにしてた。耳を塞いで、『悪役』という殻に閉じこもって、聞こえないフリをしてた。そうすることで、俺と向き合おうとしてくれた誰かが傷つくことも……知っていて、知らないフリをしてた」


 怖い。嫌だ。今にも逃げ出したい。


「シャルに対してもそうだ。あの方法で護ったって、シャルが傷つくことは分かってた。シャルが、誰かを犠牲にして助かって喜ぶ奴じゃないことぐらい、とっくに知ってた。それでも俺は『悪役』を手放さなかった。『役割』に徹していれば、俺が傷つかずに済むから。表舞台に立って、正面から堂々と戦う勇気がなかったから」


 こんなにも醜い自分の心から、逃げ出したい。


「俺が護りたかったのはシャルじゃない」


 ……ああ。そうだ。今、分かった。


「『悪役』を演じて、俺が護りたかったのは────自分の、心だ」


 なんて醜い心なのだろう。都合の良いことを言っておきながら、結局は我が身可愛さで。


「────っ……」


 ポタリ、と。雫が落ちる音がして。


「えっ……」

「あっ……」


 シャルの頰を、一筋の雫が伝っていた。


「あ、あれ? ごめんなさい……私…………」


 夕焼けに照らされ黄金色に染まった雫は、自分でも気づかないうちに流れ出していたようだ。

 シャル本人も戸惑っていた。


「なんで、泣いてるんだよ」

「そんなつもりはなかったんですけどっ……でも、なんだか……」


 溢れ出る涙を必死に拭いながら、シャルは嗚咽を漏らす。


「アルくんはずっと、独りぼっちで泣いていたのに……ずっと辛かったのに、私は何も気づかなくて。なのに、勝手に分かった気になって、自分の想いを押し付けて……勝手に、気まずくなって。……あまりにも能天気な自分が、許せなくて……情け、なくて」


 嗚咽を漏らし、途切れ途切れになりながら、シャルはそれでも言葉を紡ぐ。


「こうして泣くことしか出来ない、弱い自分が……悔しいです」


 涙が止まらないシャルに、俺はどう言葉をかけていいか分からなかった。

 こういう時、どうするればいいのだろう。人の心から逃げ続けてきた代償ツケがまわってきていることを感じ取りながら、俺はポケットからハンカチを差し出した。


「…………貸すよ。しゃたもんじゃなくて悪いけど」

「…………ありがとう、ございます」


 無地の白いハンカチ。色気もへったくれもないそれを、シャルは黙って受け取ってくれた。


「結局は、さ。俺はシャルが思ってるようなやつじゃないんだよ。自分を護ることしか考えていない。『役割』っていう影に隠れてこそこそしてるような卑怯者。そこは紛れもなく噂通りさ。レオにぃとは似ても似つかない、噓つきでそくな第三王子。『役割』を引っぺがせばそんなもんだ」


 認めたからだろうか。いっそすがすがしい気持ちですらあった。


「俺は、シャルに憧れてた。綺麗な魔力も、真っすぐな心も。全部。決して手の届かないところで、星のように輝くシャルが……羨ましかったんだ」


 どれだけ手を伸ばしても、どれだけ焦がれても、星には届かない。

 遠くの彼方で、誰にも触れられることなく輝き続けるモノ。

 地べたに這いつくばって、影にへばりついているような、穢れたこの手では摑めないモノ。


「…………アルくんは、勘違いしてますよ」


 そんな俺の言葉を否定するかのように、き止んだシャルは言葉を挟む。


「私は、アルくんが思ってるような人間じゃありません。星のように輝いてもないんです」

「謙遜かよ、優等生」

「謙遜じゃありません。私だって、アルくんと同じです。自分の心を護るために、『第一王子の婚約者』という『役割』に徹して生きてきたんです」


 シャルは遠い過去を見ていた。過去に取りこぼしたものを見ていた。


「『みんなが仲良くできる国を作る』、『綺麗事を実現させる王妃になる』……私はその夢を、胸に秘めていました。胸に秘めた、ままでした。黙って、口を閉ざして、『物分かりのいい婚約者』という『役割』を演じていました。胸に秘めたままならば、他の人から傷つけられることもないからです。……そうです。私は、怖かったんです。また婚約者の口から、夢を否定されるのが」


 ふと、思い返す。幼少の頃、レオにぃから自分の夢を否定され、絵本を手放していたシャルを。


「本当にその綺麗事を叶えたいのなら、向き合うべきでした。レオル様に分かってもらうべきでした。傷つけて、傷つけられて。言葉を交わすべきだったんです。私は自分が傷つくのが怖くて、レオル様の心から目を背けて、逃げ出しました」


 自嘲するように笑って。シャルはそれでも、言葉を絞り出す。


「綺麗なんかじゃない。輝く星からは、一番遠い。醜く、穢れた心────それが私なんです」

「シャル…………」

「それに……アルくんは、私のことを憧れていると、言ってくれましたけど……」


 シャルは少しばかり照れくさそうにして、


「私だって、ずっとアルくんに憧れてたんですよ」

「シャルが……俺を……?」

「絵本を拾ってくれたあの日から、私もあなたのようになりたいと思いました。常識や現実なんて蹴飛ばして、誰もが嘲笑う私の夢を拾ってくれたあなたに……ずっとずっと憧れていたんです」


 シャルの絵本を拾った時のことは今でもよく覚えている。

 あの時、既に俺は夕暮れの中で独り踊り続ける少女に惹かれていた。

 その輝きが消えてしまいそうだと感じて、それだけは嫌で。だから必死だった。彼女の夢はとても眩く輝き、尊いものだと思えたから。俺には無い純粋な輝きを、いとしいと思っていたから。


「だけど私は、アルくんのように強くはなれませんでした。自分の夢を否定されることが怖くて、レオル様と向き合うことからも逃げて。だから……間違えた。私はその罰を受けたんです」


 黄昏に濡れ、鈍く光る首輪にシャルは手を添える。


「私は遅すぎました。罰を受けなければ分からなかった。どれだけ苦しくとも、人の心と向き合わなければならないことに。……アルくんに、私と同じ間違いをしてほしくないんです」


 同じだからこそ解る。同じだからこそ、知っている。

 俺が進んでいる道は罪の軌跡。その先には、罰しか待っていないのだと。

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