一節 修羅異界

一.柳の剣のソウジロウ ②

 彼女は、自ら研いだ礫に、速度の力を与えることができる。二つ目の名は、とおかぎづめのユノ。


「なっ、なんで……なんで!?」


 自らの技で命を取り留めたユノはむしろ、当惑と絶望に後ずさった。

 じゅつの中でも、少しだけりきじゅつの分野が上手うまい。それだけが取り柄だった。

「なっ……なんで、こんなので、死ぬのよ!? ……あの時、ひ、助け……助けられたじゃない!」


 リュセルスの時にはそうできなかったのに。

 彼女と同じように引き裂かれて死ぬことだけが償いだとすら思っていたのに、今、生き残るために術を使っている。

 なんと浅ましく卑しい、とおかぎづめのユノ。あのリュセルスへの友情さえ、その程度だったのか。


「もう嫌……あああああ……! リュセルス……」


 両手で顔を覆って、傷だらけの裸足はだしで、ユノは再び逃げた。

 火の手が回りつつあるこんな森のどこに隠れたとしても、恐ろしい機魔ゴーレムに行き当たるに違いない。それでも、この罪と後悔を背負ったまま生きることだって、変わりのない地獄ではないか。

 ……果たして、木々を抜けた広場にも、六体の鉄の巨兵が彼女を待ち受けている。

 悲鳴とともに、礫の弾丸を撃つ。しかし奇跡は二度起こることはなく、それらは尽く鎧の曲面に弾かれた。ユノがあらがう術は、もはやどこにもなかった。


「ジ」

「ジジジ」

「ころ、殺しなさいよ……ねえ……私が何を言っても、あなた達は私を殺すんでしょう! だから、何もかも私の望み通りになるのよ! 死ぬのが望みだもの! そうよ、私は……!」


 ユノの支離滅裂な言葉を当然のように無視して、死神の群れは動いた。

 ナガンだいめいきゅう機魔ゴーレムに刻み込まれた行動指令は極めて単純なもので、視界に捉えた動くものへと向かって、それを解体するだけだ。

 六体の機魔ゴーレムはそのようにすべく、前傾の姿勢を取った。


 ──それと同時、一番右側の個体が、土に滑り落ちた。腰から上だけが。

 ざくり。

 燃える落ち葉が散った。

 機魔ゴーレムの腰から下は、直立したままだった。重く厚く、刃も通さないはずの装甲が、胴の部分でれいな横一文字に切断されていた。



「え……」


 木々の合間で、何かが揺らめいたように思えた。錯覚のごとき速度は果たして、光か。影だったか。

 その不可解を見て視線を戻した時には、残りの五体も斬られている。

 ある一体は縦に二つに割れて、ある一体は肩の一点を刺し貫かれて、ある一体は頭部が存在していなかった。断面はまるで鏡のように滑らかで、炎の赤をはっきりと映していた。

 あまりにも、鋭すぎる──そして。


「ウィ」

「ひいっ!?」


 ユノの真横だ。こつぜんと声が聞こえた。

 いつの間にそこにいたのか。背を丸めたたんの男が、彼女の足元にしゃがみ込んでいるのだ。

 長い片刃の剣を──候補生用の練習剣を、右の肩に担いでいた。このさつりくの海に倒れた誰かの剣であろうことは間違いなかった。


「ああ……なに、オメェ。死ぬのが好きか」


 ユノの足元で背を向けたまま、ろんな男は続けた。


(全部)


 これまで生きてきたユノの常識が、眼前の現実を否定している。


(全部夢だ)


 六体もの機魔ゴーレムが、一瞬で斬られた。

 候補生どころか正規探索士の剣にすら断つことのできなかった装甲を、練習用の剣で、あれほど綺麗に切断できるはずがない。

 頭を落としても腕を落としても動きの止まらない機魔ゴーレムを、ユノ自身にすら倒せた理由の分からないような理不尽を、まるで必然の如く、ことごとく必殺できる道理などないのだ。


だいめいきゅうが動き出して、機魔ゴーレムが現れた時から、全部、夢だったんだ)


「な。死ぬのが好きかって聞いてンの」

「う、はい……いいえ」

「なんだァそりゃ」


 男は笑い混じりに呟いて、膝を起こした。


「ヘンなやつだな、オメェ」


 その男は立ち上がってもなお異様な猫背で、まだ十七のユノと比べてすら、僅かに目線が低い。

 紛れもなく人間ミニアだが、つるりとした印象の顔と、ぎょろぎょろ動くそうぼうは、どこか蛇やちゅうるいを連想させる顔面造形である。


「死ぬのはもったいねェぞ。オメェ、……人間こっから面白いんだろうよ」


 何よりも、身にまとっている衣服が異様であった。くすんだ赤色で、柔軟に伸び縮みする、滑らかな質感の生地。それは手足に沿うように、白い線が走っている。


「お、面白いって」

「……ウィ。な。なんでも、何もなくなってからがいい。どこ行くのも何やんのも、オメェの勝手でできる。……いいもんだぞ」


 男の言葉を呆然と聞きながら、授業で学んだその装束の名を、ユノは思い出していた。この地上のどこよりも遠い異文化の衣である。

 ──ジャージ、という。



「……〝客人まろうど〟」

「あー……この街でもその呼び方かよ? ま。好きに呼びゃいいけどよ」


 この世界とは文明も、生態系も、月の数すらも異なる、〝彼方かなた〟より現れる者。

彼方かなた〟の文化を伝来し、時に繁栄を呼び、時に不吉を運ぶ、まれなる役目の来訪者。

 はるか異世界より転移する者達。それは〝客人まろうど〟と呼ばれている。


「あの、あなた……い、今、機魔ゴーレムを……」

「んァ」


 男はただ、麓の方向を振り返った。ユノも、その視線を追う。

 その先に広がるものを見た。


「そ、そんな……!? ぜ、全部……これ……」

「つまんねェや」


 剣を担いだまま、客人は口の半分だけで笑った。

 鉄の残骸の海だった。

 丘の上からは見えなかったそのくぼみには、切断され機能を停止した機魔ゴーレムが、おびただしく堆積している。装甲の内側に、それも個体ごとに異なる位置に隠された命の核を持つ生命体が、尽く迷いのない一刀で斬殺されているようであった。

 機魔ゴーレムの弱点を外見から類推することなど不可能だ。そのような芸当が可能なのか。


「こんな世界にも機械があんのな。なんだっけか、機魔ゴーレム? いっくら斬っても、大したもんじゃねェー……」

「──大した、もんじゃない……って」


 残骸を見下ろして、ユノは呆然と呟いている。

 この市に住む全ての者達が──構造を自ら組み替え続ける機械迷宮に挑むべく鍛錬してきた者達の尽くが、この鉄の軍勢の前についえた。

 機魔ゴーレムの生態を知らなかったからではない。防衛機構として機魔ゴーレムを生成し続けるナガンだいめいきゅうに挑む者達は、むしろ他のどの市の戦士よりも、機魔ゴーレム相手の戦闘にけていた。最大の中央国家であるこうの正規兵だったとしても、この災厄の前では結果は同じだったはずだ。

 ならばこの男は、都市一つを滅ぼしてあまりある悪夢をただ一人で、ただ一本の剣で上回るほどの、真なる怪物だというのか。

 火の熱を帯びた風が、ユノのれた頰をむしろ冷やした。


「ウェ」


 一方で〝客人まろうど〟は、手近な野草を口に含んで、吐き出している。


「これ、食える草じゃねェんかよ」

「あ、あの……それ。こんぞくそうなら、毒草、だけど」

「だと思ったわ。オメェ、飯は持ってねェのか」

「に……逃げたほうがいいわよ、あなた……!」


 それでも、世界のことわりの外にある絶大な力を目の当たりにしてもなお、ユノはそのように言うしかない。もはや知っているからだ。魔王自称者キヤズナが作り上げたナガンだいめいきゅうが、彼女やリュセルスの暮らしていたこの街が、地獄そのものの魔境であったことを。


「絶対に……いくら強くたって、もう、この街は、無理なの……!」

「なんだなんだ、怒んな。無理って、何が」

「な、何がって……あなたこそ、あれが見えないの!?」


 ユノは、丘から見下ろせるナガンの光景を指した。

 うんの破壊で街を覆う、無限に群れなす機魔ゴーレムではない。

 炎の陽炎の、さらに向こうを。


「その剣一本で、あれも殺せるっていうの!?」


 市の建物のどれよりも大きい、山にも及ぶ巨影が揺らめいている。

 それは人型を成している。

 ……ああ、これこそが悪夢。彼女の育った市街を見れば、そこには狂気の夢がある。

 ナガンだいめいきゅうが動き出して、機魔ゴーレムの群れが現れ出た。それは一切比喩ではない。

 何も分かっていなかった。誰一人、何も分かっていなかったのだ。

刊行シリーズ

異修羅X 殉教徒孤行の書影
異修羅IX 凶夭増殖巣の書影
異修羅VIII 乱群外道剣の書影
異修羅VII 決凍終極点の書影
異修羅VI 栄光簒奪者の書影
異修羅V 潜在異形種の書影
異修羅IV 光陰英雄刑の書影
異修羅III 絶息無声禍の書影
異修羅II 殺界微塵嵐の書影
異修羅I 新魔王戦争の書影