一節 修羅異界

一.柳の剣のソウジロウ ③

 それは、絶大な軍事力を誇示するための構築物なのだろうか。あるいは伝説的な機魔ゴーレム製作者、魔王自称者キヤズナですら、世界の表裏を区別なく恐怖に陥れた〝本物の魔王〟を打ち倒す試みのために、そのようなものを造り出すしかなかったのだろうか。

 炎の向こうで、ナガンだいめいきゅうは低いしおさいのようなほうこうを上げた。

 ──誰一人、何も分かっていなかった。都市が興り栄えるほどの十年、この地に根付いていた魔王自称者キヤズナのだいめいきゅうは、まさしくそのものが、巨大な一つの迷宮機魔ダンジョンゴーレムだったのだと。


「ウィ」


 ……答えることなく、男はユノに剣の切っ先を向けた。

 ぞっと、ユノの全身が総毛立った。

 未熟な彼女には殺気を感じ取る力もなかったが、それでもその剣が帯びた、おぞましいほどの死の予感は分かった。

 剣の切っ先が霞んだ。


「──チェァッ!」

「ジッ」


 ユノの背後で、機魔ゴーレムが刺し貫かれている。

 彼は低い姿勢をますます低くかがめた踏み込みで、ユノの股下を潜って刺突を放ったのだ。外見からはうかがい知れぬはずの、機魔ゴーレムの命の核の一点へと。

 剣の柄は、脚で蹴り込まれていた。


「こんな、技……な、なんで……」


 股下を潜られたことへの羞恥の心すらなかった。その一瞬を認識することもなかったのだから。

 正常の剣術ではない。

 この世界どころか、他のどの世界にも、このような剣術体系があり得るはずがない。ユノは恐怖している。それは認識の外側に立つ存在への恐怖だった。

 爪先だけで柄の先を器用に跳ね上げて、〝客人まろうど〟は再び剣を背負う。


「飯持ってねェか。別に草でも虫でもいいんだけどよ。まだ朝飯食ってねェんだわ」

「け、携行食なら……あ……あるわ。けど、これ、そんなに味もなくて」

「面倒っちいなオイ。じゃあ交換だ交換。オメェ、その飯よこせ」


 剣士は陽炎の彼方を見つめた。


「──代わりにあのデカブツ、やってやっからよ。そろそろやっちまおうと思ってたんだわ」

「できる……はず、ない」


 ユノは、剣を見た。ユノにも支給されているのと同じ、使い古しの軽い練習剣。男の担いでいる得物は、確かにその一本だけだ。

 この男には何ができるのか。秀でた知略があるのか。強大な仲間がどこかにいるのか。何かひとつでも、攻撃のじゅつを使えるというのか。


「やっちまおうぜ。いいだろう。おもしれェだろう」

「……」

「楽しそうだ」


 戦闘を。殺戮を。死の極限を、この男は楽しんでいる。

 故郷が地獄に変わるのを見た。けれどこの異貌の小男は、それ以上の地獄の果てからの悪鬼であろうか。


「あなたは……なっ……何なの!? その技は何!? どこから来た、誰なの!?」


 錯乱して問うユノに、男は口の端を非対称に歪めた。

 そして答えた。


柳生やぎゅうしんかげりゅう



 この男の、異世界の素性を知ったところで、どうなるというのか。

 その自称が果たして真実であるのかどうか。ユノには窺い知れようはずもない。


「──柳生やぎゅうそうろう。このオレが、地球最後の柳生だ」


 この世界とは異なる、〝彼方かなた〟から現れる者。

彼方かなた〟の文化を伝来し、時に繁栄を呼び、時に不吉を運ぶ、稀なる役目の来訪者。


 その剣豪は、最悪の不吉とともに来た。




「おい。一つ聞かせろ。さっきの技、あいつがじゅつか。どうやる」

「えっ……」

「やってたろ。礫を飛ばしたアレだ。そんくらい教えてくれろ」


 ユノは、〝客人まろうど〟と自分達の違いに思い当たる。授業でそれを習ったことがあった。

 異界の剣豪の目には、彼女の行使したりきじゅつが物珍しく見えたはずだ。ユノが命を助けられた理由などは、あるいはその程度でしかなかったのかもしれない。


「あの、〝客人まろうど〟には……この世界で生まれていない者には、使えない力だって習ったわ……〝客人まろうど〟の世界では、音の言葉で話しているから、認識が追いついてこないって」

「音の言葉? ああー、そうだな、日本語なわけねェわな、こっちの言葉」

「……あなたと私が、こうやって話せているのが、じゅつりきじゅつねつじゅつは……そのじゅつで、動いたり燃えたりするように、頼むの。空気や物を……相手に」


 ソウジロウの言う〝ニホンゴ〟は、ユノ達が定義するような言語ではなく、空気を伝わる音声を使い分ける技術のことであろう。

 確かに、音は会話に必要となる媒介だ。どのような音でも、じゅうぞくの鳴き声であっても、そこに込められた言葉を他の種族へ疎通することができる。

 この世界の心持つ種族ならば誰しもがそうできるのだが、〝客人まろうど〟の世界では異なるらしいと聞く。


「あっそ。じゃあ別にいいわ。面白えけど、面倒だ。刀のがいい」


 反応はそれだけだ。元より、純粋な興味本位でいた事柄に過ぎないのだろう。

 尋常ではなく。何の大言でも虚勢でもなく、この男は……果てしのない迷宮機魔ダンジョンゴーレムに、一本の練習剣のみで挑むつもりだ。


「しっ、死ぬわよ……!」

「関係ねェ」

うそ……! だって、あんなの斬っても何にもならない! 倒したって誰も感謝しない! あなたは外から来ただけなんだから! 逃げたほうがいいに決まってるでしょう!?」

「なんでだよ」

「だ……だって……死んだらおしまいなのに」

「おしまいか?」


 ソウジロウは素朴に訪ねた。


「……っ」

「敵が勝てねェバケモンなら、そこで終わりか」

「でも、だからって、私に何ができるの……! あんな、あんな、災害みたいなやつに……私、戦えなんて言えない……」

「オメェのことは関係ねェよ。オレは楽しいからやるんだ。あいつ、ありゃ絶対楽しいぞ。なァ」


 丸い眼光は、炎の赤をギョロギョロと映している。

 それは絶望のふちにあったユノの意識をますほどの、深い戦闘の狂気だ。


「行くか」


 ソウジロウは──まるで市場に買い出しに行くかような足取りであった。ユノが呼び止める間もなく、炎の海のただなかへと歩を進めた。

 小柄なたいは丘を越える。すぐに、機魔ゴーレムの影が群がる。それらは尽く、乱反射する光のような刃の軌道に斬って落とされる。

 小さな影の点は、入り組んだ市街の中に紛れてすぐに見えなくなる。影が紛れた地点にはさらに多くの機魔ゴーレムが集まり、しかしソウジロウに触れることはできない。それが分かった。

 敵を、炎を、空気までも切断しながら、山の巨怪へと突き進んでいる。

 明るい炎が切り払われて、暗く細いまっすぐな道が伸びていくのだ。


 ユノが知る中で最も瞬足の探索士であっても、あれほどの速度で街を駆け抜けることなどできない──たとえこの地平全土を見渡したとしても、厚い黒煙が視界を塞ぎ、炎のばくごうが聴覚を遮る中、焼けたれきの地形を踏破できる者がいるだろうか。

 ソウジロウが突き進む。巨影も揺らめいて形を変える。迷宮機魔ダンジョンゴーレムが腕を振りかぶっている。


「HWOOOO──OOO──」


 低いえ声の鳴動が、丘をも揺らした。ソウジロウの存在地点にたたきつけられた拳の猛威は、風圧の余波だけで瓦礫を円状に吹き飛ばすほどである。

 ならば、遥かにわいしょう人間ミニアであるソウジロウはちりと消し飛んだのか。

 違う。たった今大地に突き刺された長大な左の腕を、ソウジロウは駆け上がっている。

 不可能な所業ではないのだろう──理論の上では。

 だがその勾配は、人間ミニアの体感上は崖にも等しいはずだ。小さな影が体表の凹凸を足がかりに駆け、その速度を一向に落とさぬままでいることが、果たしてどれほどの超絶であるか。


「HWOOOOOOOOOOO──」


 市街の炎をびりびりと震わせる悪夢の潮騒に、市街のあらゆる音がかき消えた。

 肩まで到達したソウジロウの影を一瞬にして覆い尽くした黒雲は、遠目からは羽虫の群れのようにも見える。そうではない。それは迷宮機魔ダンジョンゴーレムの全身に開いた機構から放たれた迎撃の矢と、とうの物量を以てソウジロウをまんとする、機魔ゴーレムの軍勢であった。

 迷宮機魔ダンジョンゴーレムは、ただ力を奮うだけの怪物ではない。その巨体の内に兵器の物量を併せ持つ災害であるのだ。

刊行シリーズ

異修羅X 殉教徒孤行の書影
異修羅IX 凶夭増殖巣の書影
異修羅VIII 乱群外道剣の書影
異修羅VII 決凍終極点の書影
異修羅VI 栄光簒奪者の書影
異修羅V 潜在異形種の書影
異修羅IV 光陰英雄刑の書影
異修羅III 絶息無声禍の書影
異修羅II 殺界微塵嵐の書影
異修羅I 新魔王戦争の書影