一節 修羅異界

一.柳の剣のソウジロウ ④

 それは人の形を成して災厄をもたらす一つの機魔ゴーレムであると同時に、十年近くも探索士を阻み続けた、踏破不可能のだいめいきゅうである。攻勢を阻む城壁を、射撃を繰り出すやぐらを、機械兵を生産し送り出す兵舎を、その見上げるほどの体躯に包含している。

 ソウジロウの姿は、黒い雲にかき消された。超越の剣士は理解の及ばぬ怪異に戦いを挑み、そして無為に果てた──ように、思えた。

 だが、違う。迷宮機魔ダンジョンゴーレムいまだ迎撃体制を取ったままである。

 巨大な青い単眼は、自らの腕の異常を捉えた。黒く長い斬線があった。迷宮機魔ダンジョンゴーレムの左上腕を斜めに走るように、明確な傷が刻まれている。


「ウィ」


 ソウジロウは、斬線の端に練習剣を食い込ませたまま、獣の如くわらった。先の一瞬、左肩から飛び降りながら雲霞の軍勢を回避し、落下の威力で迷宮機魔ダンジョンゴーレムの巨腕を斬撃していたのだ。

 もはやじんの領域ではない。

 矢。砲。そしてさらなる機魔ゴーレム。瞬きのうちにソウジロウは飛び移り、駆け、降り注ぎ続ける殺意の暴嵐の中で、ただ一点の影が目まぐるしく位置を変える。

 迷宮機魔ダンジョンゴーレムの輪郭も、大きく動いた。ソウジロウの取りついた左腕が──巨体に相応の、そこに立つ当事者にとっては恐るべき速度で振り抜かれた。


「COOOOOOOO────」

「……!」


 壮絶な遠心力が、ソウジロウを機魔ゴーレムの軍勢ごと死の宙空へと投げ出している。それが一人の人間ミニアである限り、どれほどの絶技と神速をもってしても覆せぬ、ばくだいな質量の差という攻撃。


「LLLL────LUUAAAAAAA────」


 迷宮機魔ダンジョンゴーレムの咆哮はこれまでの潮騒のようなうなりとは明確に異なる、金管楽器のような音色である。

 鉄と岩が複雑にった胸部装甲が大きく開いて、その内奥に煮えたぎる青い超自然の溶鋼の光が、ナガンのはいきょを明るく照らした。


「【ナガンよりナガネルヤの心臓へluulaaal lel leee夜が昼であるようにluolaue eeolu】」


 ユノは、一種の諦観とともにその終末を眺めていた。


(……ああ。だ)


 ナガンを焼き尽くした、光だ。

 迷宮機魔ダンジョンゴーレムは、魔王自称者キヤズナの魔と技の全てを凝らした、あるいは〝本物の魔王〟を倒すための兵器であった。それは思考し、人の域を越える使い手のソウジロウにまで対応し、その知性は、人のようにねつじゅつを用いることすらできた。

 金管の音色は、詠唱である。


「【角雲の流れlea lelooro天地の際looau luuaao溢れし大海leeo luouu──燃えよlaaa】」



 破滅がひらめき、炎は天までを貫いた。

 光の軌道で、雲はあぎとが開くように引き裂かれた。

 風と熱が波を打って広がり、地上の炎は、その衝撃にむしろかき消された。

 空をつんざく射線の直下、川が蒸気と化して消え、夕暮れそのものに等しく空が燃えてゆく様が、遠くの丘に立つユノの視界にも見えた。

 ──果たして。

 異界より来た〝客人まろうど〟のソウジロウもまた、その蒸気の一筋と化したであろうか。

 ユノは眼前の、天を機魔ゴーレムの影を見ている。

 敵なき荒野を、もはやじゅうりんするだけの鉄の機構を。

 爆炎を透かして、滅亡を示す星のような双眸が光っている。

 光が。


 光が、ずるり──と、滑って落ちた。

 迷宮機魔ダンジョンゴーレムの首が、落ちた。


「……ウィ。そうか、そうか。こいつが、じゅつか」


 けい断面の背後。

 空中に投げ出され、滅殺の熱衝撃に跡形もなく消滅したはずの奇剣士が、如何いかにしてか、そこにいた。

 ソウジロウ自身の視点でなければ、一連の動きを捉えることは不可能であったろう──青い溶鋼のねつじゅつが射出される寸前、ソウジロウがどのように動いたのか。

 とはいえその真実は、不可思議の魔術を用いて死の爆炎を回避したものと、どれほどの差異があったものだろう。

 自分と同じく宙に投げ出された無数の機魔ゴーレムの群れを、空中にあるうちに飛び石の如く蹴り渡ったなど──ましてやその到達点が頭部であるよう瞬時に跳躍軌道を見定めていたなどと、彼以外の何者が信じられるだろうか。

 その超人の芸当を以て、彼はユノから伝聞したじゅつの特性を攻略していた。

 じゅつは、現象を命令する。破壊のねつじゅつであろうとも、方向と範囲を指定するということである。

 故に自分自身を巻き込む方向への攻撃はできない。自らの頭部の背後にも。

 神殿の柱ほどに太い石造りの首が、落とされている。断面はだいだいに染まっている。鏡のように炎の光を反射しているのだ。不条理なほど鮮やかな切断面だった。

 物理の天則を超絶したそのような現象すら、剣の魔技の所業と呼ぶべきであろうか。


「WWWWWOOOOOOOHHHHHH────」


 ソウジロウが剣を再び背負ったその時。悲鳴のような、胴深くからの地響きが風を揺らした。断末魔ですらない。それが常識を絶する巨大さであろうと、迷宮機魔ダンジョンゴーレムは命の刻印によって動く機魔ゴーレムなのだ。命なき巨兵は死ぬことがない。


「だな。オメェはここじゃねェー……」


 首の断面に立つソウジロウを、怪物が右てのひらぎにかかるのと同時である。

 剣士はまたしても跳躍した。巨兵を人とするなら、その剣士は小虫。しかし大振りの一撃をかわすその疾さもまた、人に対する小虫である。

 頭部という重要器官を失った巨兵は盲目のまま、今は自らの右肩に立つ敵を自らの左腕で叩き落とそうとした。

 どれほどの絶技と神速を以てしても覆せぬ、莫大な質量の差──


「──そこが、命だ」




 えいろく八年。

 当代の剣聖と称されたかみいずみのぶつなは、門下老弟、じん伊豆守いずのかみを伴い、柳生やぎゅうの郷を訪れたとある。

 この時、柳生やぎゅうしんかげりゅう開祖、柳生やぎゅうむねよしは神後伊豆守を相手取り、真剣が打ち込まれると同時にその手中の剣を奪う──所謂いわゆる〝無刀取り〟にてこれを下し、信綱より新陰流の印可を受けたものとされる。

 達人域の剣士が真剣を振るう場合、一説に、その先端速度は時速<外字>㎞にも達するという。そして平均的な打刀の刀身の長さ、約<外字>m。

 ならば無手の人間が実戦において、この<外字>m半径を時速<外字>㎞の刃が走るよりも速くかいくぐり、持ち手となる手指を制し、一瞬にして刀を奪うことが、果たして可能であろうか。

 現代における〝無刀取り〟は、この技そのものを指したものではなく、無刀において帯刀の者を制する総合的な防御技術……あるいは単に活人剣の心構えであるとも解釈されている。

 前述した〝無刀取り〟が、誇張された創作の逸話であるという見方すらもある。


 ──その速度よりも速くかい潜り、間合いの内を制することが、可能であろうか。




「見たぞ。オメェの命」


 先の刹那まで迷宮機魔ダンジョンゴーレムの右肩に立っていたソウジロウは、今は空中にいた。自身を叩き落とそうとする左腕の動きを知っていて、そして攻撃を躱し交差するように、前方へと跳んだ。

 ──超絶の跳躍力を以て自らを弾丸と化したような、それは斬撃であった。


「そこだ」


 バチン、という音があった。

 亀裂の音だった。迷宮機魔ダンジョンゴーレムの左上腕、一直線に刻まれた溝から響く音だった。彼が狙っていたのは最初から、迷宮機魔ダンジョンゴーレムの武器──左腕そのものだ。

 それは寸分違うことなく……最初の一撃で刻まれた左上腕の傷を、さらに長く延長していた。

 表層に切れ込みを入れただけだ。

 塔よりも太い巨人の腕を、練習剣の刃渡りで切断することは不可能である。

 だが左腕が振るわれる、この最中だけは。その直線の切れ込みから先に加わる負荷は、巨体重量に比例した壮絶な遠心力であり──


「HOO──O」


 爆裂音があった。

 右肩部から跳んだソウジロウを狙った巨兵の左腕は、それ自体の莫大な質量によって、切れ込みから割れた。

 そうして千切れ飛んだ左腕の先端は、その勢いのままに自らの右肩部へと爆撃じみて突き刺さり、その内奥までを破砕していた。

刊行シリーズ

異修羅X 殉教徒孤行の書影
異修羅IX 凶夭増殖巣の書影
異修羅VIII 乱群外道剣の書影
異修羅VII 決凍終極点の書影
異修羅VI 栄光簒奪者の書影
異修羅V 潜在異形種の書影
異修羅IV 光陰英雄刑の書影
異修羅III 絶息無声禍の書影
異修羅II 殺界微塵嵐の書影
異修羅I 新魔王戦争の書影