一節 修羅異界

一.柳の剣のソウジロウ ⑤

 ソウジロウが真に狙った箇所は、斬撃した左腕部そのものではない。直接に刃の届かぬ位置に、分厚く深く隠された命の刻印。左腕の大質量によって爆裂した、右肩の内奥である。

 ──敵の刀を、取った。


 剣の伝説の全ては、創作された幻想に過ぎないのであろうか。

 自身の数十倍の巨体の腕が、その速度を以て剣士を叩き潰そうとする時。

 その速度よりも早くかい潜り、間合いの内を制することが、可能であろうか。


「──〝無刀取り〟」



 


 奇剣士は結末を見届けることすらない。不安定な上腕をそのまま滑り落ちて、胴へ、腰へ。当然の摂理でそうなるかのように、あまりにも巨大な構造体上を、無傷のまま飛び渡っていく。

 その小さな影の動きに遅れて、大きな影もまた、全身の構造が破綻し、崩壊し、地に沈んでいく。命のじゅつの刻印を失った機魔ゴーレムは……魔王自称者キヤズナの迷宮機魔ダンジョンゴーレムであっても、そのようになるのだった。

 ナガン迷宮都市を一日とたず滅ぼした迷宮機魔ダンジョンゴーレムは、一日と経たずに死んだ。



 逆巻く滝のように、どう、と塵灰が噴き上がった。

 とおかぎづめのユノはそんな光景の一部始終を、呆然と見ていた。


「……本当に、倒した」


 何事もなかったかのように丘へと戻ったソウジロウは、人間ミニアに見えた。巨人ギガントでもドラゴンでもない。ユノと同じ、ただの人間ミニアであるかのようだ。


「斬ったぞ。〝エムワン〟のやつを斬るよか楽しかったな」

「なんで、ソウジロウ……あなたは、そんなことができるの……! あんなの……絶対に誰にも、倒せないって思ってたのに……」

「あァ。作った奴の気分になりゃいける。地面からすぐ届く脚じゃねえ。腰は荷重がかかりすぎる。胸は火を吐く武器。最初に殴りに使ったのは左手。残った右腕の、上の方だ」

「……」


 きっとこの男は、今日斬った全ての敵を、そんな判断で読み当てていた。推測とも直感ともつかない、恐ろしくどうもうな殺戮者の本能だけで。

 ──いつかユノが〝客人まろうど〟について習っていたことは、もう一つある。

 彼らの来る〝彼方かなた〟は、じゅつの力が働かない。言葉ではなく物理の法則のみで全てをつなめなければならない、とてもぜいじゃくな世界であるのだと。


「ソウジロウ、〝エムワン〟って……」

「んァ、M1エイブラムス? どうせわッかんねーだろ。こっちの連中はよ」


 そんな〝彼方かなた〟の法則からあまりにも逸脱した力を持って、その世界にいられなくなってしまった個人こそが、この世界に流れ着いてくる〝客人まろうど〟の正体なのだと。

 この世界に生きる、森人エルフ山人ドワーフ大鬼オーガドラゴンも──その最初の祖先は、〝彼方かなた〟の世界に生まれた、突然変異の〝客人まろうど〟であったのかもしれないと。


「じゃ、オレは行くわ」

「……待って」


 ユノは、〝客人まろうど〟の背を呼び止めていた。

 ただの少女でしかないユノとはひどくかけ離れた、世界逸脱の剣士だ。

 人間ミニアの形をしているが、ナガンを滅ぼした迷宮機魔ダンジョンゴーレムりょうする怪物だ。


「ソウジロウ。これ、携行食だけど」

「あー……そういや腹減ってたっけな。楽しくてすっかり忘れちまってたわ。あんがとよ」


 まがまがしい。凄まじい。恐ろしい。


「ウィ、うめェな……へへ。虫やら草より随分いい。こっちの世界も悪くねェな」


 それでもあの戦いを見て、幾度も命を助けられて、ようやく自覚できた感情がある。



(そうか。私は──)


 手の届くことのない領域で、全てを思うままに破壊し、悲劇すら蹂躙する様に浮かんだ感情。


(この男が許せないんだ)


 それは怒りだ。

 迷宮機魔ダンジョンゴーレムもこの〝客人まろうど〟も、本質は同じだ。

 不条理な、冗談のような力が、彼女の生きてきた人生を矮小な、取るに足らないものであるかのようにおとしめてしまって、ユノのような無力な少女にはそれを否定する権利すらない。


「次だ。次はもっと楽しいやつがいい。どっちに行くかな……」

「……こう

「あァ?」

「強い人達を探すなら……こうがいいと思う。今はあそこが、一番大きい国になったから」

「そっか。強い連中もいそうか」

「……いる。こうの議会が、世界中から英雄を集めてる。すごく大きな、何かを決めるために。だから……きっと、あなたと戦っても負けない敵が、きっといる」

「は。そりゃあいい」


 ひどく曖昧な予感があった。

 ──なぜ今日のこの日に、ナガンだいめいきゅうは起動したのだろう。

 それは例えば、外部から訪れたあり得ざる異界の剣士。魔王に匹敵するほど強大な脅威に対しての、自動的な防衛機構ではなかったか。

 あるいは……このソウジロウが、強者との戦いのみを望む、そのためなら如何なる無謀もいとわぬ真の戦闘の怪物であるのならば、自分自身が楽しむためだけに、自らの手であの迷宮を起動した可能性すらあったのかもしれない。


(──ふくしゅうだ)


 もはやそれしか残されていない。

 見当違いの憎悪であっても、幻のような可能性であっても……全てを失ったユノは、いまや目の前にある何かで自分自身を支えていく必要があった。


 この男を殺す。


 そうだ。この世界には、それができる強者がいる。

 ナガンだいめいきゅうすらも造り上げた……〝彼方かなた〟が生み出した全ての逸脱を受け入れてきたこの世界には、まだ誰も掘り尽くせないほどの、無数の脅威と真実が残されている。


 誰もがその名を知るこうの第二将、ぜったいなるロスクレイがいる。遠くワイテの山岳に潜む、おぞましきトロアの名を知っている。人に知られぬ第五のじゅつ系統を極めたと語る、しんふたのクラフニル。九年前に大氷塞を解放した〝客人まろうど〟、くろいろのカヅキが来る。あるいは誰も見たことのない、ふゆのルクノカさえ。

 立ち向かえることを示さなければいけない。

 この男が何者なのか、〝彼方かなた〟の世界とは何かを、知らなければならない。

 そして無敵の転移者を殺し得る強者を、地平の全てから探すのだ。


「ソウジロウ。私が……案内、するわ。ナガンの学士としてだけど。それでも、こうに怪しまれない身分にはなるから」

「ウィ。いいじゃん、その顔」

「……何が?」

「や。あンがとよ。こっからはもう、オメェも好き勝手できるってことだろ。自由だ」

「……そう。私も、ありがとう」


 口の端を歪めた蛇のような笑いに向けて、ユノも薄く笑い返してみせた。

 その隣にリュセルスはいない。彼女の過ごした街は全て焼けてしまった。

 自由だ。何もかもを失った今は、そんな途方もないこともできるような気がした。


「名前は?」

「ユノ。……とおかぎづめのユノ」


 憎悪を支えにして歩き出す。

 彼らの旅はそうして始まる。


 ──そして。

 読者諸兄は既にご存知であろう。


 


 この地平にうごめく無数の百鬼魔人の、修羅の一人だ。

〝本物の魔王〟が倒れたこの世界になおも闘争を求める、その一人目に過ぎない。

 これは彼が巻き込む物語ではなく、彼が巻き込まれる物語である。



 それは単独の真剣のみで、史上最大の機魔ゴーレムを撃破することができる。

 それはあまねく伝説をただの事実へと堕する、頂点の剣技を振るう。

 それは全生命の致死の急所を理解する、殺戮の本能を持つ。

 世界現実に留め置くことすらできぬ、最後の剣豪である。


 剣豪ブレード人間ミニア


 やなぎつるぎのソウジロウ。

刊行シリーズ

異修羅X 殉教徒孤行の書影
異修羅IX 凶夭増殖巣の書影
異修羅VIII 乱群外道剣の書影
異修羅VII 決凍終極点の書影
異修羅VI 栄光簒奪者の書影
異修羅V 潜在異形種の書影
異修羅IV 光陰英雄刑の書影
異修羅III 絶息無声禍の書影
異修羅II 殺界微塵嵐の書影
異修羅I 新魔王戦争の書影