一節 修羅異界
一.柳の剣のソウジロウ ⑤
ソウジロウが真に狙った箇所は、斬撃した左腕部そのものではない。直接に刃の届かぬ位置に、分厚く深く隠された命の刻印。左腕の大質量によって爆裂した、右肩の内奥である。
──敵の刀を、取った。
剣の伝説の全ては、創作された幻想に過ぎないのであろうか。
自身の数十倍の巨体の腕が、その速度を以て剣士を叩き潰そうとする時。
その速度よりも早くかい潜り、間合いの内を制することが、可能であろうか。
「──〝無刀取り〟」
可能である。
奇剣士は結末を見届けることすらない。不安定な上腕をそのまま滑り落ちて、胴へ、腰へ。当然の摂理でそうなるかのように、あまりにも巨大な構造体上を、無傷のまま飛び渡っていく。
その小さな影の動きに遅れて、大きな影もまた、全身の構造が破綻し、崩壊し、地に沈んでいく。命の
ナガン迷宮都市を一日と
◆
逆巻く滝のように、どう、と塵灰が噴き上がった。
「……本当に、倒した」
何事もなかったかのように丘へと戻ったソウジロウは、
「斬ったぞ。〝エムワン〟のやつを斬るよか楽しかったな」
「なんで、ソウジロウ……あなたは、そんなことができるの……! あんなの……絶対に誰にも、倒せないって思ってたのに……」
「あァ。作った奴の気分になりゃいける。地面からすぐ届く脚じゃねえ。腰は荷重がかかりすぎる。胸は火を吐く武器。最初に殴りに使ったのは左手。残った右腕の、上の方だ」
「……」
きっとこの男は、今日斬った全ての敵を、そんな判断で読み当てていた。推測とも直感ともつかない、恐ろしく
──いつかユノが〝
彼らの来る〝
「ソウジロウ、〝エムワン〟って……」
「んァ、M1エイブラムス? どうせわッかんねーだろ。こっちの連中はよ」
そんな〝
この世界に生きる、
「じゃ、オレは行くわ」
「……待って」
ユノは、〝
ただの少女でしかないユノとはひどくかけ離れた、世界逸脱の剣士だ。
「ソウジロウ。これ、携行食だけど」
「あー……そういや腹減ってたっけな。楽しくてすっかり忘れちまってたわ。あんがとよ」
「ウィ、うめェな……へへ。虫やら草より随分いい。こっちの世界も悪くねェな」
それでもあの戦いを見て、幾度も命を助けられて、ようやく自覚できた感情がある。
(そうか。私は──)
手の届くことのない領域で、全てを思うままに破壊し、悲劇すら蹂躙する様に浮かんだ感情。
(この男が許せないんだ)
それは怒りだ。
不条理な、冗談のような力が、彼女の生きてきた人生を矮小な、取るに足らないものであるかのように
「次だ。次はもっと楽しいやつがいい。どっちに行くかな……」
「……
「あァ?」
「強い人達を探すなら……
「そっか。強い連中もいそうか」
「……いる。
「は。そりゃあいい」
ひどく曖昧な予感があった。
──なぜ今日のこの日に、ナガン
それは例えば、外部から訪れたあり得ざる異界の剣士。魔王に匹敵するほど強大な脅威に対しての、自動的な防衛機構ではなかったか。
あるいは……このソウジロウが、強者との戦いのみを望む、そのためなら如何なる無謀も
(──
もはやそれしか残されていない。
見当違いの憎悪であっても、幻のような可能性であっても……全てを失ったユノは、いまや目の前にある何かで自分自身を支えていく必要があった。
この男を殺す。
そうだ。この世界には、それができる強者がいる。
ナガン
誰もがその名を知る
立ち向かえることを示さなければいけない。
この男が何者なのか、〝
そして無敵の転移者を殺し得る強者を、地平の全てから探すのだ。
「ソウジロウ。私が……案内、するわ。ナガンの学士としてだけど。それでも、
「ウィ。いいじゃん、その顔」
「……何が?」
「や。あンがとよ。こっからはもう、オメェも好き勝手できるってことだろ。自由だ」
「……そう。私も、ありがとう」
口の端を歪めた蛇のような笑いに向けて、ユノも薄く笑い返してみせた。
その隣にリュセルスはいない。彼女の過ごした街は全て焼けてしまった。
自由だ。何もかもを失った今は、そんな途方もないこともできるような気がした。
「名前は?」
「ユノ。……
憎悪を支えにして歩き出す。
彼らの旅はそうして始まる。
──そして。
読者諸兄は既にご存知であろう。
これは一人目の話だ。
この地平に
〝本物の魔王〟が倒れたこの世界になおも闘争を求める、その一人目に過ぎない。
これは彼が巻き込む物語ではなく、彼が巻き込まれる物語である。
それは単独の真剣のみで、史上最大の
それは
それは全生命の致死の急所を理解する、殺戮の本能を持つ。
世界現実に留め置くことすらできぬ、最後の剣豪である。



