「なるほど。そういう手を使う連中だな」
爆発音が響く。野盗の一団が爆薬で馬を脅したのだ。ラナ達を乗せる馬車も足元を大きく乱され、荒波の最中のように幌が左右に傾く。ラナは客車の革紐に摑まって、振り回されそうな小さい体で踏みとどまった。
「……おっと! でも、安心していいよ……! こいつらの場合」
野盗の操る一頭の馬が、動きを崩した馬車に並走を始めているのが見える。野盗は御者へと弩の狙いを定めた。
「あんたらの出番はないから」
引金が引かれて、矢が飛び出すよりも早く、野盗の馬が地上から消えた。
少なくとも、常人の目視ではそのように見えた。
車内に座り床を眺めたまま、根獣のヒグアレが呟く。
「──上」
言葉の通り、野盗は上空であった。影すら見せずに急降下した鳥竜の爪が彼を捉えて、高空へと拐ったのだ。乗馬ごと。
「ぐえっ、あ……お、ごっ!?」
「グルッ」
喉笛を食い千切って男の絶息を呑み込んだ大型の鳥竜は、隊商に後方から追いすがっていた群れの個体ではない。その一羽はまるで人間の如く板金の鎧を纏い、背の布地には所属を示す紋章が描かれており、そして──リチアの市街の方角から飛来していた。
「う……噓だろこいつら!」
「何してる! 後ろから鳥竜が……ゴハッ!」
襲撃を仕掛けていた野盗の馬は乱れ、口々に混乱の怒声が上がる。
隊列を成しリチア新公国から現れた謎めいた鳥竜の一群は、積荷を運んでいる隊商ではなく、野盗のみに標的を定めていた。
群れを成す鳥竜が鳴き声を発する。
「クウゥッ、クグルッル……次。次の肉……肉!」
「鳥竜だッ! 鳥竜が街から来る!」
「鳥竜の、兵!? あり……あり得ないだろ!」
外から漏れ聞こえてくる困惑の悲鳴を聞きながら、馬車内のシャルクも訝しげに呟く。
「ラナ。こいつらは何だ?」
それは襲撃される野盗だけでなく、無双の傭兵、音斬りシャルクの常識に照らし合わせてもあり得ない事態だ。人からかけ離れた種族の彼ですらそう思う。
「まさか、人族が鳥竜を飼いならしているとでも?」
「ふ。そのまさかだったら?」
「正気の沙汰じゃあない」
この世界の詞術は、人族とそれ以外の知性種族の間に分け隔てなく意思を疎通することができる。海たるヒグアレの如き姿形のかけ離れた獣族であっても、詞術が相通ずる存在である限り、馬車を引く馬のような文字通りの〝獣〟とは、明確に区別されている。
──だが自明の事実として、意思の疎通と交渉の可否は、全く別の問題なのだ。
鳥竜は極めて獰猛な種族であって、群れを統べる統率個体の指揮にしか従うことはない。自らが属する群れを除いた生命体は、たとえ同じ鳥竜であろうと捕食の対象である。
故に彼らはこの世界唯一の、空の支配種であるのだ。
遍く地上生物の、天の大敵。
「グズグズするんじゃあない! 撃て! 構えろ!」
「ま、真上に弓を撃ったことなんて──ギッ」
鉄の鎧を纏う鳥竜が、絶え間なく降下を続ける。野盗は弓を、あるいは投石を放とうとする。しかし超低空を滑空してきた一群がその尽くを狙い澄まし、爪でその腕を、あるいは胴を、やすやすと切断していく。
上空からの襲来を警戒させた上で、見上げる視界の死角から──それも、空の優位を取る軍勢にとって最も脅威となる飛び道具を判別した上での奇襲。
鳥竜の一羽が鳴いた。
「シャアアァ……ぜ、全滅……射手を、全滅」
残った者達には、降り注ぐ物量を防ぐ術がない。恐怖に落馬し、あるいは潰走する他の者達に踏み潰されていく。
一方的な蹂躙。血液の赤と露出した骨の白が、絶叫とともに散らばっていく。
野生に任せた攻撃ではない。そこには明らかに戦術が存在していた。
「──第二隊は丘の向こうに回り込め」
空高くから、指令を下す者が存在する。他の鳥竜よりも遥かに明瞭な言語を操るその個体は、この地上からでは識別できない。
「襲撃の経路からして、積荷を運び出すための賊の馬車が隠れているぞ。肉は決して喰うな。全員ばらばらに切り刻んで、一つの荷台に一緒くたに詰め込んでしまえ。新公国に歯向かったバカの末路が、ようく見えるようにだ。……老人も女子供も、誰一人逃さず殺れ。第四隊、第五隊、並びに第七隊は続く野生の群れとの交戦に備えろ。どうせ飢えて人里まで追ってくるような、飢餓状態の卑しいクズ群れだ。僕らの軍ならその三隊で十分に足りる。適当に数を削った後、若い者の練習台にして殺せ。鳥竜の死肉は、この場で喰うことを許す」
鳥竜の軍が現れた時点からそうであったのか。その声は、指令を下し続けている。野盗が獲物を捉えた瞬間をすぐさま刈り取り、そしてその時まで上空への接近を悟らせることもなかった、極めて効率的な奇襲作戦を統率している。まるで人間の軍隊のような。
「第一隊エルゲ。後脚を負傷しているだろう、腑抜けが。第四隊ミローは翼膜に流れ矢の鏃が刺さったままだ。ぼやぼやせずに撤退しろ。貴様らへの肉はなしだ」
馬車の外から聞こえる饒舌な金切り声を聞いて、ラナが名を呟く。
「……レグネジィだ」
襲撃に一度は乱れかけた隊商の列は、地上に降りた鳥竜によってリチア新公国へと誘導されている。進みゆく馬車の両脇から、鳥竜の鳴き声が響く。
「グルルッ」
「キイッ……クルルルルッ」
軍勢を成す鳥竜の群れは、まだ息のある賊を……あるいはとうに死んでいる者に対しても、鳥竜の本能のままに肉を引き裂き、眼球を抉り出しはじめていた。酸鼻を極める光景の一方で、隊商の商人らには目もくれていない。明確に、彼らは獲物を区別している。
自然の摂理に反した、鳥竜として異常の挙動であった。
「月嵐のラナ」
レグネジィと呼ばれた者が、傭兵の馬車の程近くで声を発した。
「──今更帰ってきたのか? 仕事の遅いノロマめ。お前がいない間に、僕はクズ野盗の群れを七は始末したぞ」
諜報兵も幌越しに答える。
「かかった時間の甲斐はあったと思うけどね。あたしは……レグネジィ。お前もびっくりするような連中を連れてきたぞ。〝音斬り〟と〝海〟だ」
「……ふん。〝世界詞〟は連れてこなかったのか?」
「〝世界詞〟はただの噂話だ。いないよ」
「なら大した連中じゃない」
レグネジィの嘲りを無言で聞いていた骸魔は、座ったまま傍らの槍を取った。
「……」
「お……っと、おい、やめとけシャルク。喧嘩を売るな」
ラナが慌てて制止する。首斬りシャルクの気性は好戦的だ。
「やめるのは俺の方か? レグネジィとかいうヤツの評価が正しいかどうか、実際のところを誰かが教えてやらなきゃならんだろう」
「こういう奴なんだよ。レグネジィは、誰に対してもな」
一方で、もう一名の傭兵───海たるヒグアレは、床を見下ろしたままでいる。シャルクとは異なりひどく静かであったが、これもラナにとっては不気味であった。
レグネジィの軍勢への号令が響く。
「グルルッ……野生の連中が来るぞ。休むな。たかがクズ野盗を始末しただけだ」
彼は既に、馬車の傭兵への興味を失っているようであった。
「愚劣。愚劣のクズ群れめ。──出撃ッ! 空対空戦闘用意!」
ばつん、と空気が弾けた。一斉に離陸した鳥竜の羽撃きが寸分違わず重なったことによる、雷鳴の如き衝撃音であった。
地上の者達は空に飛び交う二つの大群を見た。一つは野生。一つは軍。人間であっても兵士とそうでない者の差が歴然であるように、その戦力差もまた、初めから明らかであった。
先行する数羽の鳥竜兵に挑みかかろうとした野生は、数で圧倒的に劣るはずの鳥竜兵の爪に、すれ違いざまに頸部を切断されている。
鳥竜兵を無視して地上の人族を喰らおうとする者もいた。降下の最中、死角となる上方からの攻撃を受け、頭部を抉られてそのまま落ちた。