一節 修羅異界

三.黄都二十九官

 王宮より僅かに東。臨時の政府機関としてしつらえられた中枢議事堂は、こうの他の建造物と比べても、目立って新しく見える。

 こうじんぞくに残された最後の王をいただく最大の都市であるが、この都市の政治を実質上動かしている主体は王自身ではなく、〝本物の魔王〟の脅威を長きに渡り防衛し続けた二十九人の官僚だ。

 この限られた席の一つを有するこう第二十きょうかすがいのヒドウは、外見や態度こそ無礼な若い御曹司のように見える。だが、立場に足る才覚と人望を備えた青年であった。


「──リチアの話は聞いてる」


 皿の上のくんせい肉を無遠慮に取りつつ、ヒドウは口を開いた。中枢議事堂内、一対一のばんさんの席でありながら、彼はかぶっている帽子を脱ぐこともない。


「何しろ将がいましめのタレンだ。交渉するにしても攻め落とすにしても、一朝一夕でうまくいくような案件じゃあないだろ。もっと気長に攻めることはできないのか?」

「それが不可能になったから、こうして話をしている」

「へえ」


 ヒドウは顔を上げた。対面に座す男は、刃物のような鋭い印象を与える、文官然とした男であった。常用する薄い眼鏡と、不機嫌に寄った眉間は、恐らく王国が滅びる日まで変わらないだろう。

 こう第三卿、はやすみのジェルキという。ヒドウよりも十以上年齢は上だが、全てのこう二十九官は建前上、序列に関わらず同格の立ち位置である。

 ジェルキは、眼鏡の弦を指で押さえた。


「……〝勇者〟を決定する上覧試合は、恐らくこれまでにない最大の事業になるだろう。この段取りを動かすことはできない。だが、未だ公然とあり、こうに敵対するリチア新公国への対応は、この世界を一つに集約する上での最大の懸念事項となる。調略や経済制裁で相手を崩す時間的猶予はない……新公国側もそれを承知の上で強硬な態度を取っていると私は考えている」

「じゃあ戦争か? まさかだろ、ジェルキ」

「無論、それは最後の手段になる──ただでさえ〝本物の魔王〟で消耗した国力をこれ以上費やす余裕はないのだからな。上覧試合に費やすべき人的資源を鑑みればなおさらだ。だが新公国側は違う」


 地上唯一の優位性を持つ鳥竜ワイバーンの軍勢。調査部隊を派遣しての、素性定かならぬ傭兵の確保。

 リチア新公国は、明確に戦争準備に向けて動きはじめている。こうが戦争への突入を厭う状況は、敵国から見れば最も攻めるに適した状況であろう。現状のまま彼らの動きを見過ごしてしまえば、国力において大きく上回るこうであっても、甚大な犠牲を免れ得ない。


「野盗を使った通商攻撃程度じゃ、結局間に合わないよな。根本的な解決手段は?」

「……新公国には体制上の弱点も多いと私は考えている。一つは、いましめのタレン一人の求心力で成り立つ政治だ。彼らは国家として若いために、十分な官僚や後継者をまだ養成できていない」

「ハハ。俺と考えてることは一緒ってわけだ──タレン個人を狙った、少数での暗殺だな」

「戦争回避を目的とする以上、大規模な兵の投入は許されない。かつ、こちらから仕掛けるとすれば、それが秘密裏でなければならない。可能だと思うか、ヒドウ」

「なるほどな。だが俺が思うに、一つ例外は増やせる」


 ヒドウは、皿の上の焼き野菜をまとめるようにフォークを刺した。


「向こうが手を出してきたなら、こっちは堂々とやれるだろ、ジェルキ」

「民に被害が及ぶ手段は、積極的には取りたくないが。戦後処理に金がかかる」

「分かってる。前線に出す兵を最小限に、鉄壁の守りの新公国を乗り越えて、タレンの首を直接るやり方を考えなきゃあな。第十七卿の……エレアちゃんの暗殺部隊はもう動かしてるのか?」


 ヒドウは若手ということもあり、こう二十九官の中では特定の部門を統括する立ち位置ではない。だが二十九の席の内には、暗殺や諜報といった部門を担う者もいる。


「奴の密偵は随分前から潜入させている。第十七卿自身は……別の、同じく重要度の高い案件の調査中だ。だが、彼女の帰還を待ってから動きはじめるようでは遅い。鳥竜ワイバーンの討伐任務ならば、第六将ハルゲントの部隊が専門だろうが──」

「いや、そいつは言わなくても分かるよ。ハルゲントのオッサンの場合は逆に、別の仕事をやってもらってるくらいがいい」

「私もそう思っている。彼はドラゴンの討伐隊を編成中とのことだ」

ドラゴン? ……無理に決まってるだろ。バカか」


 ヒドウはためいきに近い笑いを吐いた。

 第六将は明確に落ち目だ。この攻略戦における働きはそもそも望まれていないのだろう。


「それで俺にお鉢が回ってきたわけだ」


 そして、残る二名──ヒドウ及びエレアは、二十九官の中では際立って若い。若いということは、形として積み重ねた実績が少ないということでもある。

 リチア新公国を落とした実績があれば、その後に控える〝勇者〟を決定する上覧試合においても大きな発言権を得られることは間違いない。さらに目の前の第三卿ジェルキが第十七卿エレアを疎んじており、彼女に功績を与えたがっていないことも分かっている。

 かすがいのヒドウは、そのような権力や功績を欲しているわけではない。今以上に地位を向上できたとしても、ただ面倒が増えるだけだとすら思っている。


(……だが、俺の考えを通すなら、ここだ)


 夕暮れの光を反射するジェルキの眼鏡を横目に覗く。


「表向きはこうな連中なら使ってもいいってことだよな?」

「……可能な限りの裁量は与える。何を使うつもりだ」

「暗殺って言っても、必ずしも静かなもんにする必要はない。例えば大事故に巻き込まれて死ぬことだってある。首謀者まで辿たどけなければいい」


 決して失敗の許されない、いざとなれば若手である自分が責任を取る他にない、複雑かつ重大な案件。ある一面から見れば、ただそれだけのことだ。

 しかし、ヒドウは政治がそのように流れることを理解している。

 彼は今日こうして呼び出されるよりも前から、この状況における最適な戦力を検討し続けていた。通常では運用されるべきではない、危うい力こそが最適解となる局面もある。


「──〝らんかいりょうれき〟を釈放できるか?」

刊行シリーズ

異修羅X 殉教徒孤行の書影
異修羅IX 凶夭増殖巣の書影
異修羅VIII 乱群外道剣の書影
異修羅VII 決凍終極点の書影
異修羅VI 栄光簒奪者の書影
異修羅V 潜在異形種の書影
異修羅IV 光陰英雄刑の書影
異修羅III 絶息無声禍の書影
異修羅II 殺界微塵嵐の書影
異修羅I 新魔王戦争の書影