一節 修羅異界

四.星馳せアルス ②

 闇よりも暗い黒煙である。

 作戦本部の陣幕よりはじされたハルゲントは、暗幕のような漆黒を目の当たりにした。

 ドラゴンが行使するじゅつブレスだ。ふすべのヴィケオンのそれは煙で取り巻いた全てを焼却する超高温のねつじゅつであり、作戦本部の兵士達はその内部で尽く、炎すら発さず、黒く燃え尽きた。

 参謀長ピケ。ラヂオ兵ライニ。この射手ミリード、ヒケア。


「貴様が──将だな」


 一瞬にしてその虐殺をした存在が、煙を割って現れた。

 ふすべのヴィケオン。自らのブレスの熱を意に介することもない、およそ一切の攻撃手段を遮断する漆黒のりゅうりん。高く、こうの大兵舎一つにも匹敵する巨躯。


「一人として残す算段もなかったが、それも、都合がい」


 ジリジリと焼かれる空気を隔てて、今、伝説の悪夢が峡谷を塞いでいた。空気の帯びる熱にも関わらず、生物の本能がハルゲントの神経全てに寒気を走らせている。

 存在のみで全てを圧倒する魂。この地平における、真の最強種。


「……〝ふすべ〟……! 貴様ァッ!」


 たとえ右眼が白濁していようと、左前肢が落とされていようと、長槍が腹部に貫通していようと、尾が腐乱していようと。それはハルゲントが狩り続けてきた鳥竜ワイバーンとは、根本的に存在の格が違う。


「答えることを許す。貴様らの他に討伐の群れはいるか」

「何を……! 人の討ち手を畏れるか、ふすべのヴィケオン! りゅうぞくの永久の笑い者になるが良い! その魂、貴様の体諸共に地にちたぞ!」

「【ティリートの風へgo gipyaeis烟れる月を涸らせjyguegyuorg──】」


 ハルゲントの頭上を、致死の黒煙が通り抜けた。

 えて外したのだ。


「答えろ。討伐軍は、貴様ら、だけか。答えぬならば、焼かず、苦しめ、殺す」

「……何が」


 黒竜の声には焦燥の色があった。

 ヴィケオンの一連の行動は、全てがドラゴンとして異常である。

 全身を負傷している。数百年間討伐のかなわなかった、最悪の古竜であるはずだった。

 たった一人で黒竜とたいしつつ、ハルゲントは問うた。


「……な、何が、貴様の身に起こった。〝ふすべ〟……! 私に……せいじゃくなるハルゲントにこのような卑劣と屈辱を与えながら、自らの屈辱を隠し立てするか! な……何者が、貴様を討った!」

「……英雄を」


 ベシャリ、と音を立て、邪竜はんだ左腕を引いた。

 その傷を恥じているのか。


「英雄を……! その目に見たことがあるか。弱きハルゲント。膨大なる群れ──人間ミニアの中より、数の原理に伴って現る、稀なる変異種。それは……それは飽くなき欲望で自らをけんさんし。欲望のままに力を収集し。そして欲望の行き着く果てとして、遥か強大な生命をも討ち果たす──」

人間ミニアの英雄が貴様を討ったとでも……」

おごるな!」


 憎悪とともにヴィケオンはえた。

 ──否。今やハルゲントにも分かる。それは憎悪ではなく恐怖である。


「ミ、人間ミニアの英雄など……! 飽くほど屠ったわ! 世を巡り、我に挑み……その傲慢故に、最後には集めた命と宝を我に差し出す……欲望に驕り、狩られ、死ぬ、それが英雄だ! 何者も、尽く餌に……愚かな餌に、過ぎぬ!」

「ヴィケオン!」

「ああ、人間ミニア。愚かな人間ミニアよ! その認識こそが、ドラゴン以上に救い難き傲慢よ! 英雄を生み出す群れは、貴様らじんぞくの他にはいないか!? 才知と力とに祝福された強者は、貴様らじんぞくの他に現れ出ないか!?」


 傷の苦痛にもだえ、恐怖の記憶に唸りながら、燃える片目がハルゲントを睨んだ。

 ティリート峡の悪夢。気の向くままに里を焼き、一度のブレスで万軍を屠り、無尽の財宝を独占したという、ふすべのヴィケオン。

 災害にも等しいその存在を、既に打ち倒した者がいたはずだった。

 何を語ろうと、ハルゲントの死はもはや避けられぬ。ヴィケオンが全てをつまびらかにするのは、この矮小な一人の人間ミニアまでをも畏れるまいとする、堕ちた古竜の最後の誇りの一欠片かけらであった。


「全てが無力だ。真実を知れ、人間ミニア! 運命に愛された英雄が、人間ミニアのみではない……鳥竜ワイバーンの中にも!」



 ハルゲントは知っていた。何故思い当たらなかったのだろう。彼の知る限りそれができた者など、最初からその一羽以外にいるはずがなかった。

 思い至ろうとしなかったのは……それこそが百にも及ぶ鳥竜ワイバーンの群れを討ち果たし続けた将軍にとって、もっとも忌むべき名であったからだ。


鳥竜ワイバーン──ほしせアルス」



 その一羽がそうしたというのか。鳥竜ワイバーンより遥か巨大なこの古竜の片目を奪い、左腕を切断し、脇腹を貫き、尾をただれさせたというのか。

 群れ、手負いを狩らなければ戦いを挑むこともできない人間ミニア達と異なり、同じ弱種から突出したその個体には……もはやそれができるというのか。


「我が屈辱、答えたぞ……! せいじゃくなるハルゲント!」

「と……討伐隊は、私で最後だ。私の隊の後には、貴様を討たんとするこうの兵は来るまい。全てが、功利に走った私の愚かな独断だ。初めの問いに、答えたぞ。ふすべのヴィケオン」

「──良かろう。ならば貴様の命を火にべ、人間ミニアの愚行を許す」

「させぬ。私がどれほど多くの羽を毟ったか、貴様には想像できまい……! 我が頭上の空は全て静寂となる! こう第六将の力を知れ!」


 じゅつの詠唱とともに、溶けた鉄材が組み上がる。先程まで仮設した作戦本部の骨材であったそれはハルゲントの生まれたこうより持ち出した鉄であり、故に武器を組み上げるこうじゅつを疎通できる。

 二つ目の名はせいじゃくなるハルゲント。彼の誇るこうじゅつによって編まれるものは、馬車めいた質量を持つ、据え付けの機構弓。必殺の対空兵器──屠竜弩砲ドラゴンスレイヤーである。

 それがヴィケオンを討ち果たせるかどうかなど、試すまでもなく理解している。

 それでも自らの心を裏切ることが、ハルゲントにとっての邪悪であった。

 黒竜は下顎を開いた。


「グルルルッ……無力だ。全て、無力だ!」


 ただの一息で終わる戦闘である。ヴィケオンは呼気の動作そのものを、全てを焼くねつじゅつブレスと変えることができるのだから。


「──」


 しかし、邪竜はその一息をんだ。

 彼は脆弱な人間ミニアの向こう、その背後に広がる峡谷を見ていた。

 そこには夕暮れの赤が広がっている。

 地平の際──膨れた太陽の輪郭が熱気のざんに揺れる、落日の光景だった。

 その終末のゆうを背にした影を、見た。


「何故、また来る。……何故」



 細く、しなやかな影が、一つの岩峰の頂点にある。

 それは無言で翼を広げた。

 禍々しい影は、伝承の悪魔の具現のようであった。

 そして……最古のドラゴンの一柱、ふすべのヴィケオンにとっての、その一羽は。



「〝ほしせ〟──」




 鳥竜ワイバーンドラゴンの最大の差異は、前肢の有無にある。

 そもそも、翼に加えて両の腕すら備えるドラゴンの体構造が既に尋常の生物からの逸脱であるのだが、その点において鳥竜ワイバーンは、小型化とともに骨肉を軽量化し前肢を退化させることで、しょう能力において正常の進化を取り戻した種であったと言えるのかもしれない。

 かつて〝彼方かなた〟の大型爬虫類が鳥類にその姿を置き換えていった歴史をなぞるように、こちらの世界においても、種としての繁栄をおうしているのはドラゴンではなく鳥竜ワイバーンの側である。

 個として最強の種はドラゴンであるとしても、鳥竜ワイバーン達は彼らよりも遥かに長距離を飛び、旺盛に捕食し、環境に適応して繁殖した。

 ──そして人間ミニアがそうであるように、隆盛した種の中からは、必ず例外の個体が生まれる。


 その鳥竜ワイバーンには、生まれつき三本もの前肢が生えていた。

刊行シリーズ

異修羅X 殉教徒孤行の書影
異修羅IX 凶夭増殖巣の書影
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異修羅VII 決凍終極点の書影
異修羅VI 栄光簒奪者の書影
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異修羅III 絶息無声禍の書影
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