一節 修羅異界

四.星馳せアルス ④

「そうだ……! 成り上がるために、貴様の同族だって何百と殺してやったぞ。このとしになっても、まだ栄光が欲しくて、こんな愚かな……愚かな、をしている……」


 ドラゴンを殺すなど、到底可能であるはずがなかった。子供めいた夢想だ。最初から。

 今日だけではない。ハルゲントのそうした矮小な欲望のために、これまでも何人もの部下が、市民が死んでいった。

 皆が、彼を蔑んでいる。多くを犠牲にして積み上げてきた、分不相応な地位。


「……うん。だから、おれはハルゲントを尊敬してるんだよ……」


 アルスは地面に背嚢を置いた。世界を巡って集め続けた宝がその中にある。


「自慢することにしてるんだ……もしも、これから殺す奴でも……」


 奪い、集め続けることが彼の本質だ。ほしせアルスはもはや鳥竜ワイバーンではなく、強欲のままに財宝を集めるドラゴンに近い。


「中央山脈のとげ沼の盾とか……カイディヘイで拾ったむち……魔弾だって、たくさんあるから……」


 長い月日でアルスの成した偉業の数々は、ハルゲントにも伝わっていた。

 権力闘争に醜く足搔あがき、何もかも思う通りにならず、無様に権力にしがみついている間──ほしせの鳥竜ワイバーンが宝を奪い集めていく冒険の噂を聞いていた。


「……」

「……でも、ハルゲントには見せない」


 ハルゲントが欲したものは、より多い財。より高い名声。より安定した生。

 そうではない。彼はただ。


「だって、ハルゲントはすごい奴だ……。手の内をバラしちゃ、ハルゲントには先を越されちゃうからさ……」


 あらゆる全てが自分と違う、彼に勝ちたかった。

 ハルゲントの醜い欲望を肯定してくれる、ただ一つの、種族すら違う古き友に。

 彼の前に立った時に惨めではない、自分自身に誇れるものが欲しかっただけだ。


「違う。私……私は、何も摑めていないんだ。この何十年、ずっと……無為に……」

「聞いたよ。こうで、とても大きな上覧試合があるって……。みんな……〝勇者〟を探してるんだろ……」


 三王国が併合し、いずれ新たな政治体制が始まろうとしている。

 民を統制するための偶像は、もはや王だけでは足りない。

〝本物の魔王〟を倒した、どこかにいる勇者が──本物の英雄が望まれている。

 今は多くの将がそのために動いている。〝勇者〟を担ぎ出した者は、新たに生まれる偶像の、巨大な後ろ盾となれることを意味する。

 たとえそれが、出自の定かならぬであっても。


「おれが出たっていい」


 ……ああ、まさしく彼ならば、その栄光を当然のようにさんだつするだろう。

 この鳥竜ワイバーンはただ一人で世界を旅して、望む全てを彼だけの腕で摑んできたのだから。


 難攻不落の迷宮をどれだけ制覇したのかを知っている。

 不可思議にして希少な財宝の尽くを得たことを知っている。

 誰も勝ち得なかった敵を打ち倒してきたことを知っている。


 部下の大半を失い屈辱に落ちたハルゲントであっても。その上覧試合で必ずや勝つであろうほしせアルスを擁立できるのであれば。


「……あ」


 アルスの平静な呟きで、ハルゲントは気付く。


「カ……ア、アァァッ!」


 とうに死に体と思われたふすべのヴィケオンの、最後の生命の灯火であろうか。大口より放たれた黒煙のブレスが二人を諸共押し流さんとしている、今はまさにその時であった。


「アルス、避け……!」


 ブレスが通り過ぎた。視界は黒に染まった。ハルゲントはアルスに咄嗟の声をかけただけで、一切動くことができていなかった。ピケとは違った。

 だがブレスの方が、ハルゲントを避けた。


「まいったな……見せないって、言ったばかりなのに…………」


 アルスが腕の一本に持っているものは、円形の首飾りのような小さな装飾物である。それが不可思議の作用によって、何もかもを殺滅するドラゴンブレスの軌道を分けた。

 先の魔弾と同じような、超常の武装。あまの伝説を攻略し簒奪したアルスの魔具は同じく数多に及び、その背嚢の中にどれだけの量が搭載されているのかを知る者もいない。

 たった一つで戦局を左右し得る切り札を無限に用い、組み合わせ、応用する。

 無敵だ。


「……しゃきょじゅん

「オッ、オオオ……ッ! 〝ほしせ〟ェェ……!」

「……もう一つ」


 アルスの姿がすぐさま消えた。翼の音すらない超高速の飛翔。

 影すら残さぬその突進に、まばゆい光がきらめいた。

 ヂィアッ──と。何かが焼ける恐ろしい音までもが続いた。


 それは剣であっただろうか。

 人ならぬ鳥竜ワイバーンに、瞬きの刹那の間に剣を抜き放つ技量があったとして。抜き放ったその剣に、さやに収まらぬほど長大な光の剣身があったとして。その光の剣身がふすべのヴィケオンを無敵の竜鱗ごとしょうしゃくし、両断するなどということがあり得るのだとすれば、そうであったのだろう。


「──ヒレンジンゲンの光の魔剣」


 伝説の竜はもはや正中線から二つに別れて、地に潰れた燃える肉塊と化していた。





 凄い奴だ、とハルゲントは言いたかった。

 いつか、海の見える町で出会ったときの彼は、三本目の腕を動かすことすらできていなかった。

 その驚くべき研鑽と、それを成し遂げた意志の力を認めたかった。

 けれど、それだけはできない。この歳月を重ねて、誰もがハルゲントの悪名をささやいている今でも、アルスの前で敗北を認めることだけはしたくない。


「……アルス」

「…………」

「貴様も、知っての通りだ。私達は……私だけではない、野望を持ったこう二十九官が、いずれ擁立すべき勇者を探している。この世界で最強の者を、集めようとしている。無敵の強さを誇るのならば、貴様も名乗りを上げるべきだ!」

「……そっか」


 ハルゲントの意志を、友はもう分かっているようであった。


「だ……だが、私は貴様を選ばない。他の何者かに選ばれるがいい。私は……」

「……うん」

「決して貴様の力で、栄光を摑むことはしない」

「うん」


 鳥竜ワイバーンは細い体を夕陽に向けて、短い言葉を返すのみである。

 短いが、どこか誇らしげな声色であった。


「……その欲望が、おれには本当に眩しい……尊敬できるところなんだ……。ハルゲントは……いつか、おれよりずっと凄い奴になれるよ……」


 本当にそうだろうか。

 この世の全てを制覇した鳥竜ワイバーンの英雄のようになれるのだろうか。

 全てを失ったとしても、まだ間に合うだろうか。



「……アルス!」


 夕陽に向かって、彼は飛翔していく。

 次の何かを摑みに行くのであろう。新たる天地へと飛び立っていくのであろう。

 ──そしていつか勝利して、勇者となるのだろう。


「どこに行くつもりだ、アルス」

「…………ナガンだいめいきゅう

「滅んだ市だ。何をする」

「…………おれの考えることなんて、一つしかないよ。欲しいものがあるんだ……」


 ティリート峡の陽が沈んでいく。失われた全てのものを闇の中へと隠していく。

 アルスが別れの言葉を告げなかった理由を、ハルゲントは思った。

 後悔はしていない。少なくとも、ここで彼を見送ったことを後悔することはないと確信できた。


 ……何故なら彼は、その悪の定義を信じている。



(それは自分を裏切ることだ)




 それは異常の適性を以て、地上全種の武器を取り扱うことができる。

 それはこの地平の全てよりかき集めた、異能の魔具の数々を有している。

 それは広い世界の無数の迷宮と敵に挑み、その全てに勝利している。

 欲望の果てにドラゴンの領域さえ凌駕した、空中最速の生命体である。


 冒険者ローグ鳥竜ワイバーン


 ほしせアルス。

刊行シリーズ

異修羅X 殉教徒孤行の書影
異修羅IX 凶夭増殖巣の書影
異修羅VIII 乱群外道剣の書影
異修羅VII 決凍終極点の書影
異修羅VI 栄光簒奪者の書影
異修羅V 潜在異形種の書影
異修羅IV 光陰英雄刑の書影
異修羅III 絶息無声禍の書影
異修羅II 殺界微塵嵐の書影
異修羅I 新魔王戦争の書影