一節 修羅異界
五.鵲のダカイ ①
リチア新公国は、清浄な運河に設けられた大堤防に沿う形で発展を遂げた、独立以前からの巨大な都市である。歴史ある建造物の只中には真新しく白い
正午を過ぎた、運河から吹く風が心地よい日であった。
「タレンさま!」
駆け寄ってきた子供の声で、
このリチアを統べる主である彼女は、この日の会議を終え、中央城塞の執務室へと向かう途上であった。
四十代後半の女傑は膝を屈めて、十にも満たない男児に視線を合わせた。
「どうした少年。悪いが、砂糖菓子はやれんぞ」
「ええっと、お父さんが……いつも、タレンさまには、お世話になってるって、お客さんもふえてますって……お礼いいたくて」
「ふ。そうか。だが私は、君の父を助けてやっているわけではない」
白目がちの険しい瞳は初めてタレンを見る者を恐れさせるものだと知っている。その分、タレンは優しく少年の頭を
「リチアの民の皆が経済の恩恵を受けられるよう、政策を立てるのが私の仕事だ。──君の父がいつも懸命に店を開いているのと何も変わらない。礼ならば、君の父に言ってやればいい」
「あの、でも、工作……児童会で、工作をならったんです。タレンさまのことを思って、作って」
「私のためにか」
少年が差し出したものは、拙い木造りの器だった。職人が
タレンはそれを好ましく思った。
「髪留めを入れておくのに良い。大事に使わせてもらおう。よく学ぶといい、少年。父のように、よいリチアの民になれ」
「はい!」
──
文武と政治に秀で、突出した実力を有していた彼女は〝本物の魔王〟の死と同時、自領であったリチアの
元より資源の豊かな土地だ。独立に伴って勝ち取ったいくつかの権利と
(三王国に代わる統一国家。当然の反発か)
この動きに対しての
いずれは
タレンの硬い靴音は中央城塞の回廊を通り、無人の執務室に至った。そして口を開く。
「ダカイ。戻ってきているのだろう」
「うッそ」
一人の青年が、天井の
先端を染色した特徴的な長髪が落下に遅れて翻る。この時点まで、呼吸の気配すら見せていなかった。新公国の精鋭でも気付くことはできなかっただろう。
「なんで分かるんだよ!?」
「当て推量だ」
タレンは
「執務室に戻る時には、いつも今の一言をかけていた。その反応を見られただけでも甲斐はあったようだな?」
「ッたく、大したもんだな。タレンちゃんは」
「長い付き合いだ。貴様が私をからかう手口が分かるだけのことに過ぎんよ。──ナガンでは、例のものを手に入れたのだな」
「じゃなきゃ戻ってないさ」
執事服のような、あるいは礼服のような装いでありながら、青年は靴を履いておらず、裸足だ。
彼は卓上へと無遠慮に腰掛け、一つの品をタレンへと放る。両手で抱えられる程度の、水晶製のレンズが組み込まれた使途不明の器械である。
「こいつで間違いないだろ?」
「……まさしく。記録の通りの〝
新公国が求めるものは、人材のみではない。こうした兵器も必要な力の一つだ。
「で、どういう代物なの? これ」
「〝本物の魔王〟より遥か以前の時代の記録にあった魔具だ。中心の水晶を通し、年単位で蓄積した太陽の光を……都市間の砲撃すら可能な爆裂光へと変える。魔王自称者キヤズナが
「はは。物騒」
「そうとも。〝
「……やだなあ。それ、俺に言ってる?」
「何を言う。よもや穏やかと思ってはいまい?」
ダカイが腰に吊る剣は、〝
ありとあらゆる攻撃に応じて知覚をも上回る斬速を発揮する、絶対先手の魔剣である。
「〝
「まあね。けれど事前の見立ての通り、大半はあいつが──〝
「最低限〝
「へえ?
「……ほう」
タレンもナガン市の事件は聞き及んでいた。
「ナガンの
「そうだったのか? ま、俺以外でもやれる奴はいるんだろ。どっかに」
ダカイは、自らの右肩をとんとんと叩いた。
「あいつ、核は右肩だ。合ってる?」
「そこまで詳しい話は聞いていない。残骸も
それでも
先程の評価も世辞ではない。一見女性めいて線の細いこの若者は、魔王自称者キヤズナの
「貴様の剣が
「そういう期待はやめろよ。俺は剣士じゃない」
「その通りだ。だが目的の魔具を手に入れた以上、貴様に任せる仕事も変えて構わんな」
女傑は、卓上で両手を組んだ。
「ここ小二ヶ月ほど、リチアに出入りする隊商が襲撃されている。
「聞いてるよ。だけど、そもそもリチアの空はレグネジィが守ってるんだろ? 陸からやってくる野盗くらい、元々ものの数じゃない」
「もちろん、リチアの周辺に限ればそうだ。だが、リチアに至る途上の市で荷を奪われてしまえば、
「ふんふん。さては難しい話だな?」



