一節 修羅異界

五.鵲のダカイ ①

 リチア新公国は、清浄な運河に設けられた大堤防に沿う形で発展を遂げた、独立以前からの巨大な都市である。歴史ある建造物の只中には真新しく白いせんとうが立ち並んでおり、今や新公国と化したこのリチアの象徴となっている。

 正午を過ぎた、運河から吹く風が心地よい日であった。


「タレンさま!」


 駆け寄ってきた子供の声で、いましめのタレンは足を止めた。

 このリチアを統べる主である彼女は、この日の会議を終え、中央城塞の執務室へと向かう途上であった。こうと対立するこの国の政治情勢も、町並みで暮らす子供達の多くには関わりがない。

 四十代後半の女傑は膝を屈めて、十にも満たない男児に視線を合わせた。


「どうした少年。悪いが、砂糖菓子はやれんぞ」

「ええっと、お父さんが……いつも、タレンさまには、お世話になってるって、お客さんもふえてますって……お礼いいたくて」

「ふ。そうか。だが私は、君の父を助けてやっているわけではない」


 白目がちの険しい瞳は初めてタレンを見る者を恐れさせるものだと知っている。その分、タレンは優しく少年の頭をでた。少年はうれしそうに目を細めた。


「リチアの民の皆が経済の恩恵を受けられるよう、政策を立てるのが私の仕事だ。──君の父がいつも懸命に店を開いているのと何も変わらない。礼ならば、君の父に言ってやればいい」

「あの、でも、工作……児童会で、工作をならったんです。タレンさまのことを思って、作って」

「私のためにか」


 少年が差し出したものは、拙い木造りの器だった。職人がこうじゅつで作るようなものとは違い、くぎの継ぎ目もあらわで、器として実用できるものでないように見える。

 タレンはそれを好ましく思った。


「髪留めを入れておくのに良い。大事に使わせてもらおう。よく学ぶといい、少年。父のように、よいリチアの民になれ」

「はい!」


 ──いましめのタレンは、かつてこう二十九官の第二十三将に名を連ねた歴戦の武官であった。

 文武と政治に秀で、突出した実力を有していた彼女は〝本物の魔王〟の死と同時、自領であったリチアのこうからの独立を宣言。魔王自称者と認定されながらも、第二十三将時代からの徹底的な根回しと地理的な重要性を武器に、こうとの友好関係を水際で維持している。

 元より資源の豊かな土地だ。独立に伴って勝ち取ったいくつかの権利とこう中央への納税義務から解放された分、リチアの民の暮らしは上向いている──少なくとも、今の時点では。


(三王国に代わる統一国家。当然の反発か)


 この動きに対してのこうの回答は明らかだ。リチアに出入りする隊商への連日の野盗の襲撃には、裏で手を引く者がいると考えるべきであろう。新公国への物資の出入りをそうして制約している。こうからの無言の経済制裁であった。

 いずれはこうとの戦争を始めなければなるまい。そのために全てを迅速に進め、絶対の勝機を逃してはならない。表向きはこうと交渉を行いながら、彼女は一つの未来に向けた準備を進めている。


 タレンの硬い靴音は中央城塞の回廊を通り、無人の執務室に至った。そして口を開く。


「ダカイ。戻ってきているのだろう」

「うッそ」


 一人の青年が、天井のはりから音もなく下りた。人間ミニアのようだが、おおかみにも勝る身軽さである。

 先端を染色した特徴的な長髪が落下に遅れて翻る。この時点まで、呼吸の気配すら見せていなかった。新公国の精鋭でも気付くことはできなかっただろう。


「なんで分かるんだよ!?」

「当て推量だ」


 タレンはっていた両手剣を腰から外し、椅子に深くもたれる。口元で諧謔の笑みを浮かべていてもなお、その目は鋭い。


「執務室に戻る時には、いつも今の一言をかけていた。その反応を見られただけでも甲斐はあったようだな?」

「ッたく、大したもんだな。タレンちゃんは」

「長い付き合いだ。貴様が私をからかう手口が分かるだけのことに過ぎんよ。──ナガンでは、例のものを手に入れたのだな」

「じゃなきゃ戻ってないさ」


 執事服のような、あるいは礼服のような装いでありながら、青年は靴を履いておらず、裸足だ。

 彼は卓上へと無遠慮に腰掛け、一つの品をタレンへと放る。両手で抱えられる程度の、水晶製のレンズが組み込まれた使途不明の器械である。


「こいつで間違いないだろ?」

「……まさしく。記録の通りの〝つめたいほし〟だ。やはり天才的な才覚だな、ダカイ」


 新公国が求めるものは、人材のみではない。こうした兵器も必要な力の一つだ。

 げつらんのラナら調査部隊が地平全土より精鋭を集める間、かささぎのダカイはこのような超常の魔具の探索任務を担っていた。ほしせアルスの腕が未だ及んでいない魔剣、魔具。じゅつの条理をも凌駕する、この後に待ち受ける戦局を圧倒すべき兵器を。


「で、どういう代物なの? これ」

「〝本物の魔王〟より遥か以前の時代の記録にあった魔具だ。中心の水晶を通し、年単位で蓄積した太陽の光を……都市間の砲撃すら可能な爆裂光へと変える。魔王自称者キヤズナがだいめいきゅうの動力源の一つにしたと見ていたが、当たっていたな」

「はは。物騒」

「そうとも。〝彼方かなた〟から放逐されたものに、穏便なものなど一つとしてないのだ。……魔剣や魔具。〝彼方かなた〟で許容できぬ逸脱の存在が、尽くこちらの世界へと流れてくる。この世界がそのように作られているとしか言えん」

「……やだなあ。それ、俺に言ってる?」

「何を言う。よもや穏やかと思ってはいまい?」


 ダカイが腰に吊る剣は、〝彼方かなた〟における柳葉刀に近い形状の、厚い刀身を持つ──ラズコートの罰の魔剣と呼ばれる、これも超常の魔具だ。

 ありとあらゆる攻撃に応じて知覚をも上回る斬速を発揮する、絶対先手の魔剣である。


「〝つめたいほし〟以外の魔具はどうだ。確かめる余裕はあったか?」

「まあね。けれど事前の見立ての通り、大半はあいつが──〝ほしせ〟が持っていっちまってる。俺がこっちで仕事を始めるのがもうちょっと早ければな。勝負もできたかもしれないんだが」

「最低限〝つめたいほし〟さえあれば事は済む。私の指示以上のことはせずとも構わんさ」

「へえ? 迷宮機魔ダンジョンゴーレムも持って帰らなくて良かったか? あんなのは初めて見たけど……随分なもんを作るよな。魔王自称者って連中はさ」

「……ほう」


 タレンもナガン市の事件は聞き及んでいた。だいめいきゅうそのものが機魔ゴーレムとして起動し街を焼き払ったのだという。極めて異例の事態だ。部下より報告を受けたその時から、〝つめたいほし〟の盗掘任務と何らかの関わりがあろうと考えていたが。


「ナガンの迷宮機魔ダンジョンゴーレムは、起動と同日に鎮圧されたと聞いている。私は、てっきり貴様が撃破したものだと思っていたよ」

「そうだったのか? ま、俺以外でもやれる奴はいるんだろ。どっかに」


 ダカイは、自らの右肩をとんとんと叩いた。


「あいつ、核は右肩だ。合ってる?」

「そこまで詳しい話は聞いていない。残骸もこうに確保されてしまったしな」


 それでもかささぎのダカイほどの男がそう見立てたのならば、間違いはなかろう。

 先程の評価も世辞ではない。一見女性めいて線の細いこの若者は、魔王自称者キヤズナの迷宮機魔ダンジョンゴーレムであっても、確実に単独で仕留めることが可能な戦士だ。


「貴様の剣が迷宮機魔ダンジョンゴーレムを斬る様ならば、是非見てみたかったものだが」

「そういう期待はやめろよ。俺は剣士じゃない」

「その通りだ。だが目的の魔具を手に入れた以上、貴様に任せる仕事も変えて構わんな」


 女傑は、卓上で両手を組んだ。


「ここ小二ヶ月ほど、リチアに出入りする隊商が襲撃されている。こう側が差し向けた野盗だろう」

「聞いてるよ。だけど、そもそもリチアの空はレグネジィが守ってるんだろ? 陸からやってくる野盗くらい、元々ものの数じゃない」

「もちろん、リチアの周辺に限ればそうだ。だが、リチアに至る途上の市で荷を奪われてしまえば、鳥竜ワイバーンの軍といえどどうにもなるまい。数字の上では、既に少なからぬ損害が出ているのだ。その上リチア周辺に出没する輩については、また別の問題がある」

「ふんふん。さては難しい話だな?」

刊行シリーズ

異修羅X 殉教徒孤行の書影
異修羅IX 凶夭増殖巣の書影
異修羅VIII 乱群外道剣の書影
異修羅VII 決凍終極点の書影
異修羅VI 栄光簒奪者の書影
異修羅V 潜在異形種の書影
異修羅IV 光陰英雄刑の書影
異修羅III 絶息無声禍の書影
異修羅II 殺界微塵嵐の書影
異修羅I 新魔王戦争の書影