一節 修羅異界

五.鵲のダカイ ②

「敵は野盗を使って、我々のを見ているということだ。鳥竜ワイバーンの迎撃が僅かに遅れる時刻。逆に迅速に防衛を差し向けるような、重要性の高い物資。襲撃が続く限り、我々はそうした情報を敵に与え続けることになる」

「──要は」


 礼儀を無視して卓に座り込んだまま、ダカイは両脚を揺らした。


「そういう、物資だか通信の遅れだかの情報を外に流す役割の奴がいるってこと?」

「さすがだな。こう側の内通者が我々の内部にいると見ていい」


 かささぎのダカイは将ではない。戦術や戦略の理解においては歴戦の武人たるタレンに及ぶべくもない。それでも彼は、タレンよりも、鳥竜ワイバーンを率いるレグネジィよりも、遥かに恐るべき魔人である。

 敵の動きを読み、それを上回る才覚がある。ナガンの探索士達が二十年近く突破不能であっただいめいきゅうを個人で踏破し、内奥の宝を奪い……その後に現出した炎と機魔ゴーレムの地獄を日常の帰り道の如くすり抜けて、自ら話題に上げることすらない。


「内通者を探し出し、捕らえろ。妨害者は貴様の判断で斬っていい。できるな」

「ったく……斬っていい、って」


 青年は苦笑して、魔剣を指先で回した。


「だから俺、剣士じゃないんだけどな」




 ──その日の午後。裏路地である。


「ねえお兄さん、ちょっといい?」


 ダカイが呼び止めたのは、三名の行商だ。ダカイの目には、そのように装っていることが分かる。

 夕刻の表通りからは人のにぎわいがまだ響いているが、こうした水路沿いの裏路地には敢えて立ち入る市民も少ない。放棄された旧市街の暗い窓が、彼らを見下ろしていた。


「ああ、なんですか? 燻製肉を買いたいなら、今……」

「わざわざ街の目の前まで野盗が来ていたのはさ」


 行商の愛想笑いを遮ってダカイは話しはじめている。片手をポケットに入れたままで、彼らに視線を向けてもいない。


「そうやって工作員を送り込むためか? 襲撃に混乱した隊商に同乗させてもらって、リチアの内側まで入ってきたんだ……襲撃された別の馬車の商人です、みたいな顔してさ。狙いは防空網の穴を探るだけじゃなかったんだろ?」

「……」

「……ああ。でも身分が行商ってことは、これで全部ってわけじゃないのか? 物資は分かっても指揮系統の様子辺りを探る人員は、まだ別の本命がいると……」


 顎に手を当てて、一人でうなずく。ダカイはもはや反応の観察を終えている。

 一方で、行商──こうの工作員達の顔からは取り繕った笑みが消える。突如現れたこの若者を始末する必要があるのは明らかだった。前に立つ一人が身を落とし、短刀を逆手に構えた。当然、かささぎのダカイがそうした動作に惑わされることはない──銃声。


「っと」


 ラズコートの罰の魔剣が、

 無人であるはずの旧市街の窓からの狙撃であった。こちらに狙いを定める銃口が四つ。ダカイは状況を判断している。建物内に潜伏している者は、さらに加えて三人──

 眼球が素早く動く。その場から跳ねると、今まで立っていた地面を新たな二つの弾痕が抉った。地上では、折り畳み式の槍をこちらに突き出そうとする者が三人。

 水路沿いの裏路地に立ち入る者は少ない。路地の片側が水路の柵であるから、敵を逃さず、狙撃にも適した地形である。加えてこの数と武装だ。鳥竜ワイバーン兵に発見されることを恐れていない。


(工作員の本拠の一つ。こいつらなりの要塞か。読みが当たったな)


 行商を装っていた兵が距離を詰めている。射程で圧倒する三本の槍が、ダカイを同時に突き刺す。その時既に、ダカイは逆さまに跳躍している。魔剣の先端が霞み、一つの槍の穂先を切り飛ばした。





 常人の一呼吸にも満たぬ間にも、並列して思考を継続している。


(この俺が本腰を入れるまで鳥竜ワイバーン兵の目にも引っかからなかったってことは、適当な傭兵連中の練度じゃないな。本物の、こう本国の諜報部隊か。となると向こうも、すぐにも戦争を始め──)


 ギギン、という金属音。

 ダカイの体が空中にある間に、二発の狙撃が突き刺さっていた。命中したのは魔剣の幅広の刃だ。正中線を守っている。人懐こく笑う。


「いい狙いだな」


 落下とともに、ダカイの爪先が鋭く閃く。彼は靴を履いていない。今しがた切り飛ばした、まだ空中を舞う槍の穂先を足指で摑んでいる。槍を持つ地上の三名は、綺麗な半円を描く蹴りの一閃で喉を裂かれて絶命した。

 落着。銃声。やはり当たらない。今打ち倒した男の骸を盾に使った。

 盾にされた死体の膝が折れ、倒れるよりも早く、ダカイの裸足のかかとがその肩を踏む。跳躍した。水路の柵のごく狭い上端に足指で取りつき、そして狙撃手がこちらを狙う水路の向こう側を見た。


「──四発」


 ここまでに響いた銃声を数えていた。住宅の窓からの銃口は四つ。

 一連の殺戮劇は再装填の時間も与えぬ、真に一瞬の出来事である。

 柵の上に取りついたまま、彼は武器を投げた──魔剣ではなく、たった今殺害した兵の短槍を。凄まじい剛力で投げられた槍は、最も早く再装填した狙撃手の顔面を刺し貫いて殺している。


 かささぎのダカイは跳んだ。バヂン、という破裂音が鳴って、水路の柵が脚力の反動だけで破砕した。二隻の船がすれ違えるほどの川幅を越え、ほぼ真横に近い軌道を描く速度。水面が彼の姿を映したのも、一瞬のことだった。

 魔剣を持たぬ側の片手をかけた一階の窓枠から指の筋力で体を跳ね上げ、三階の窓にまで飛び込んだ。その室内で銃を構えていた兵がじんに斬られて、血の飛沫と化して散った。

 ──かささぎのダカイは人間ミニアである。断じて、大鬼オーガ巨人ギガントなどではない。どれだけ理不尽で、異常極まる身体能力であったとしても。


「さて。残りは……一、二……と三人で、五人か」


 指を折って数えながら、部屋の奥にいた通信手をいちべつもせず魔剣で斬殺している。超絶の速度で切り飛ばされた頭蓋は、その威力で土壁に激突して、果実のように爆ぜた。


「四人」


 ふと何かに気付いて、自らが侵入したばかりの窓に立ち戻る。

 そのまま軽い段差を越えるかのように三階の窓から飛び降り、そして直下にいた者を脳天から両断した。ダカイの侵入に気付き、一階の入口から脱出しようとした工作員達だった。

 手の内で、ダカイは魔剣をくるくると回した。返り血にまみれたまま、人懐こく笑う。


「で、あんたとあんた……で、二人か。きっちり一人残るな」


 敵の撤退の動きも、自らの落下の到達点も、針の穴を通すように見透かしている。


 逃れようとした二名の兵は入口を塞がれた形になった。もはや誰の目にも明らかである。新公国への潜入が可能な、領地を巡回する鳥竜ワイバーン兵の目を欺けるほどのこうの工作部隊が、絶対有利の陣地で壊滅したのだ。

 たった一人の青年の手で。

刊行シリーズ

異修羅X 殉教徒孤行の書影
異修羅IX 凶夭増殖巣の書影
異修羅VIII 乱群外道剣の書影
異修羅VII 決凍終極点の書影
異修羅VI 栄光簒奪者の書影
異修羅V 潜在異形種の書影
異修羅IV 光陰英雄刑の書影
異修羅III 絶息無声禍の書影
異修羅II 殺界微塵嵐の書影
異修羅I 新魔王戦争の書影