一節 修羅異界
八.世界詞のキア ②
実際のところ、流体を固体であるかのように留め続けるのはそれなりに高度な
もちろんこれは遊びの術で、大抵の場合は、特定の
「
「ミッチ
「ええ。けれどミッチ婆さんがどんなに凄くたって、先生の怪我を治したりはできません。どうしてだか分かりますか?」
「んと……」
「長い時間をかけてその人に向き合っていないと、
「わたしと先生でもだめ?」
「だめです。でも、水は生き物と違って素直ですから。
エレアは先と同様に詠唱を呟き、今度は手桶に浸した人差し指を、ヤウィカの小さな口に含ませてみせた。
「ん! あまい!」
「そう。
「そうなんだ? ミッチ婆もできるのかな? ミッチ婆になんで怪我を治せるのって聞いたらね、なんとなーくできるって言ってた」
「
もっとも──エレアの場合のそれは治癒などではなく、毒物の生成なのだが。
故にエレアは力の手段の一つとして、
貴族とはいえ母方の元を正せば娼婦の家系の娘が、これほどの若年で
自然界の心持たぬ獣の多くと異なり、
それでも──自身が力を持たずともその姿で魅了すれば、力ある者を篭絡できる。判断を惑わせ、容易策略に
美貌によって取り入り、内より腐らせる。それが
「──これで、授業はおしまいです。またこちらに立ち寄った時、続きを教えましょうね」
「うん! ……あのね、先生!」
「はいはい、なんです……ひぁっ!?」
まったく突然にヤウィカの頭が胸に飛び込んできて、エレアは妙な悲鳴を上げてしまった。子供ならではの無遠慮さで乳房に顔を埋めながら、ヤウィカは笑う。
「えへへー……先生、好き!
「……ええ。ええ。先生も、ヤウィカさんのことが大好きですよ」
「おっぱいも大きくてすごい!」
「そっ、それは関係ないでしょう!」
大月と小月の、二つの月が見える夜だった。エレアにとってのひと時の安らぎの、最後の夜。
その後もエレアはヤウィカと少しの間話をして、そして少しだけ、自分がこの村に来た理由に思いを馳せた。ヤウィカには決して言えない理由に。
◆
帰りは一人だ。温泉の湧く浴場は村のほとんど端にあって、エレアが仮宿に戻るまでには物寂しい林道を行かねばならない。
「
声は樹上から聞こえた。エレアにとっては聞き慣れた少女の声である。
「ヤウィカ、のぼせてたよ。あの子、まだ小さいんだから。
「──人のことを」
眼鏡の奥の目を細めて、エレアは頭上の闇を見上げる。
自然のものではない、奇怪な構造がそこに存在していた。
何本かの細い植物の
「そんな風に呼んではいけませんよ、キア。こんなところで何をしているんです?」
「こんなところじゃないでしょ。エレアが出てからお風呂に入ろうと思ってたのに、長いんだもの」
「
「ばっ……いきなりバカにしないで! やらしい! 高いところのほうが、虫とか来なくて、休めるだけなの!」
「ふふ。もしかしてキアも、ヤウィカさんみたいに授業を受けたかったですか?」
「いや! 勉強なんて絶対いや! ヤウィカがへんてこなだけよ!」
勉強好きなヤウィカとは正反対に、キアは一度として
エレアは、キアを支えている蔓を一瞥する。荷袋一つすら吊れぬか細い
地面から生えたそれらの構造物が転倒の法則に反して少女を支え続けているのは、常時作用させている
「【先生の前まで、あたしを下ろして】」
キアが
「【戻って】」
しかもその植物は時を逆回しするかのように折り畳まれて、キアの小さな掌の内へと収まった。
そこには一粒の、小指大の種だけが残る。
「【返すわ】。ありがとう」
彼女はその小さな種を暗闇の頭上に放った。それは不可思議な軌道を描いて、樹木に巻きついた草へと飛んだ。時期はずれに実っていた果実へと種は吸い込まれて、実は花へと戻り、そして蕾の兆しすら消えて、ただの茂る葉へと戻った。
「……キア。あなたの
「人を幸せにするための才能だから、って言うんでしょ。バッカみたい。いっつもおんなじことばっかり」
「お願いですから、そろそろ先生の言うことを聞いてください。……あなたの力は、とても特別なんですから。普通と同じに使ってはつまらないでしょう?」
「ふん。楽しく暮らせてるなら、普通でいいじゃない」
「イータの外では普通じゃありませんよ。リチア新公国に立ち寄った後は、すぐに
「
例外が存在する。ただ一人、キアの
「……ええ。あなたは、



