一節 修羅異界
八.世界詞のキア ③
「別にあたし、誰にどんな悪口を言われたって、ぜーんぜん気にしないわ!」
けれど、それはごく普通の容姿だ。種族の誰もが美しい
尋常の十四の
例えば今、まるでただの子供と同じように、自慢げな笑顔を浮かべたりもする。
「もしもあたしが『死ね』って言えば……そんな奴ら、みんな死んじゃうんだから!」
──例外が存在する。
彼女は天才の域すら超えた、魔才だ。
◆
出立の朝の空は、曇天に包まれていた。
イータ
朝の血の巡りの悪さにいつもの如く悩まされながらも、エレアは
文明から食文化まで異なるこの村を訪れた当初は、家事一つをとっても誰かの手を借りなければならない
(キアは、もう外に出ているのかな。……珍しい)
彼女の専属教師となってからの小二ヶ月は、この家でキアとともに暮らしている。朝に弱い点では、二人は
(まったく、今日は出発の日なのに──)
心中でぼやきながら、エレアは家を出る。そのすぐ前の広場に三人の子供達がいた。
「あ! 先生ーっ!」
「おはよう? こんな時間まで寝てるなんて、大人の自覚が足りないんじゃない?」
「先生……ど、どうも……」
エレアはすぐさま姿勢を正して、朝の気怠げな表情を、一瞬で完璧な微笑みへと変えてみせる。
この村での彼女は優しく美しい、完璧な家庭教師だ。少なくとも、キア以外の子供に対しては。
「おはようございます。ヤウィカさん、シエンさん。……キアは、あまり人の悪口ばかりを言ってはいけませんよ」
「えとね、今日で先生が行っちゃうから、シエンも来たいっていうから、あいさつしに来たのー!」
「いえ……ぼ、僕は……その……」
「ふふ。そうなんですか? 先生も、シエンさんが来てくれて嬉しいです」
「……は、はい……」
シエンはこの中では最も年長の少年だが、怯えた
彼の想いなどエレアは当然に察しているので、時には敢えて何も知らない風にからかってみせることもあった。
「せっかくお別れに来てくれてるのに、起きてこないなんて。ヤウィカも退屈だったわよね?」
「んーん! キアが遊んでくれたもん!
「あっ、あんたみたいな子供と遊ぶわけないでしょ! 余計なこと言わないでいいから! ほらもう、まだ口の周りについてるじゃないの……! 拭かないと」
「ふにゃっ」
エレアは、広場を流れる清流の中から伸びた細い紅果の木を見る。キアが
──キアは、まるで全能に等しい。あまりにも絶大な
それはこの秘境の村の中では、こうして紅果を実らせたり、火や光で年少の子供達を楽しませる程度のものだ。敵も競争もない小さな世界では、それ以上の力を振るう意味などないからだ。
「せ……先生! キアはこんなですけど……! 村の子供も、大人達も、先生には……その、感謝してて……」
「そうなんですか? シエンさんは、どうでしたか?」
「わっ、僕も……! す、すごく、感謝してます。先生が来るまで、僕は雲がどこから来るかさえ分かってなかった……! 先生が教えてくれたおかげで、み、皆、賢くなったんです。本当です」
シエンはおずおずと前に出て、エレアの瞳を見た。
「……もしもそうなら、それは先生にとって、一番、嬉しいことです。一度だけ、授業で言ったことがありましたね?
「学びの水を絶やさぬならば、それは自ら育つ。けれどその種を最初に
その頭を、エレアは慈しむように撫でた。そして強く抱きしめた。
胸の中で、シエンの小動物のような悲鳴が小さく上がった。
「お礼なんて。可愛い教え子ができた以上に嬉しいことなんて、ありませんよ。ね、ヤウィカさん」
「ん! 先生大好き!」
「本っ当に白々しいわ……。こういうのが悪い大人なのよ。父さんも母さんも、口先で
「キ……キアは
「勉強なんて、好きな子のほうがへんてこなの!」
「もう……ふふ。キアさんはいつも素直じゃないんですからね?」
エレアは、教師ではない。
奔放な振る舞いで両親も手を焼いていたキアにも献身的に接し、専属教師として
(キアなら、勝てる)
キアは、まるで全能に等しい。まだ二つ目の名もない年にして、あまりにも絶大な
敵も競争もない小さな世界では、それ以上の力を振るう意味などない。
──ならば他の何者かが、その意味を与えてやることができたとしたら?
キアが戦えば、
優れた
〝勇者〟を決定する上覧試合に……今はまだ誰も知らぬ、机上理論ですら想定不可能の、圧倒的に無敵の存在が忽然と現れたとすれば。他の擁立者達は、果たしてどのような顔をするだろうか。
(誰が相手だろうと、〝
果てしない労力も、
「ね、ね! キア! いつものとこ行こ! しばらくお別れだもん!」
「ええー……いいわよ、あんなとこ見に行かなくたって……大したもんじゃないし……」
ヤウィカは、今度はキアに甘えてしがみついている。子供らしい、有り余る活力であった。
「僕、初めて聞いたな……どこのこと?」
「先生も気になります。キアさんのお気に入りの場所なんですか?」
「ばっ……あたしじゃない、ヤウィカが好きなの! あたしはついてってあげただけよ!」
「つれてってー!」
キアは少なくとも表面上、迷惑そうな素振りをした。
ヤウィカもそれを真に受けたりはしない。キアは口が悪く成績も良くない少女だったが、この村の
「もう……! 腹黒先生はついてこなくていいから! 大したとこじゃないし!」
「はいはい。……とか言いつつ、ついていっちゃったりして」
「本当にいいから!」
子供達とともに、彼女は歩みを進める。
森と川、そして山の起伏に入り組んだ、イータ
この村にまだエレアの踏み入ったことのない道があるのなら、それを知りたかった。
今日の昼にはもう、ここを発ってしまうのだから。
「……あの坂、茂みの中に道があったんだ」
「ん! 坂の向こう側にね、村のやぐらの、てっぺんがちょっと見えるとこで、抜けられるの」
「きっと
「……別に猪くらいなら、僕は
「シエンはすごいね!」
「あたしなんて群れごと全部、あの一番高い樹のてっぺんに引っ掛けてやるわ!」
「キアもすごいなー!」
「もう、先生を置いてかないでくださいねー?」



