一節 修羅異界

十.静かに歌うナスティーク ①

 こうから出発した輸送交易隊はリチア新公国を目的地としながらも、ごく小規模な市を転々とし、新公国の警戒網から隠れるかのようなかい経路を取っていた。護衛兵士の随伴も最小限であり、三人もの巨人ギガントく重貨車の中に、巨人ギガントの往復食料の他にどのような貨物が積載されているのかを知っている者は、交易隊の商人の中にすらごく少ない。

 こう第二十卿、かすがいのヒドウは、一連の部隊の作戦進行の監督役を担う。例えばこれと同じような重貨車を複数、護衛の大小や物資の中身までも様々に変えて、同時並行的に別々の陸路を走らせている。新公国側に軽率な手出しを警戒させる時間稼ぎの策だ。

 輸送作戦としては大掛かりではあれ、本格的な軍事行動には遠く及ばない。この動きには他の官僚も関与してはいない。戦争回避のためのタレン暗殺は、ほぼ彼の独力の采配で成功させる必要があった。

 山沿いの小さな市である。最後の貨車が入り終えた頃には日が落ちきっており、淡いさめも降りはじめていた。問題の重貨車も、この小さな市では他の貨車と並べたまま、見張りを立てて広場に放置するよりないだろう。


「さすがに大荷物は足が遅いな。この速度なら到着まで三日半ってところか。ふん。──クゼ。隊の全員分の寝床はあるのか」


 あまけの傘を開きながら、ヒドウは背後の男に問いを発した。


「ベッドだけなら、〝教団〟の救貧院に空室があると聞いていますがね。食事については……ま、無理なのはご存じでしょう。ヒドウ卿」


 クゼと呼ばれたその男は、二つ目の名を〝とお〟という。

 三十の後半に差し掛かる、目の光の薄い男だ。かつて全土にその版図を広げた〝教団〟に属する聖騎士であり、黒く丈の長い祭服は、商人達の風体の中にあって一際浮いている。


 世界創生のしんを信仰する〝教団〟に対する信頼と求心力も、〝本物の魔王〟の厄災と共に失われてしまったものの一つだった。簡易な文字教育や貧民救済の福祉を担っていた彼らは、今は少なからぬ地域で差別や迫害の憂き目に苦しんでいる。


「……俺のとこの兵が、〝教団〟に飯をたかるなんて情けない真似するか。食料品は持ち込みの荷で賄うつもりだ。少々行程が遅れようが、商人どもには使ったシーツの洗濯もやらせる」

「ふへへ。そいつはありがたいですね。こうにヒドウ卿みたいな方がもっといらっしゃれば、俺らの先行きも少しはマシだったかもしれませんが」

「俺にその手の世辞が通じると思うのか?」

「おおっと。そう聞こえたんなら、すいません」


 こう政府の〝教団〟排斥の風潮を差し引いたとしても、この生気のない聖騎士に対するヒドウの印象は決して良くはない。だが、こうの最高権力の一角に座す彼がこうして直接に接触する以上、実力と素行には相応の信頼がある。

 とおのクゼは大規模な武力を保有しない〝教団〟を守る数少ない戦力であり、〝教団〟のみならず他組織を含めた中でも最強の、不死身の始末屋であるという。



「はっきり言っておくが、お前を使うことに決めたのは、単に実用上の問題だ。今回の護送対象は見た目以上に危険だからな。表面上はこうに関係のない、強力な個人戦力が必要になる。迂回経路を取る以上、〝教団〟ので宿営地を確保しておきたかった」

「それで交易隊に偽装ねえ。護送対象に、そこまで頑張って隠し通す価値があるってことですかね」

「そう思っていればいい。……で、お前の方はどうだ?」


 ヒドウは傘を差したまま、鋭い視線だけをクゼに向けた。


「この護送任務を受ける報酬以上のうまみがお前にあるとするなら、こうから離れたこの場で、俺と一対一で話せることくらいだ。どういう魂胆がある」

「……暗殺されるって心配はしないんですかい。俺は〝教団〟の始末屋ですよ」

「そういう真似をやらかす馬鹿じゃないことくらいは確かめてあるに決まってるだろうが。そうじゃなきゃ、俺もわざわざ出てこない」


 事実、本命であるこの交易隊にこう二十九官たるヒドウ自らが出向く動きは、新公国側に察知される危険を多少なりともはらむものだ。だがヒドウは、こうから迫害に近い扱いを受けながら自ら協力を申し出たこの男に、義理を通さずにおくつもりもなかった。


「ふへへ。お優しい方ですね。あー……こいつはお世辞じゃなくて」


 クゼは情けなく苦笑した。町から見える夜の街道には、交易隊の光が列をなして流れている。

 その光景をぼんやりと眺めながら言った。


「うまいものでも食わせてやってくれませんか。子供達に」

「……ああ?」

「俺達の……〝教団〟側に立ってほしいなんてのは、今の情勢じゃあ無理な頼みだってことは分かってます。……でも立ち寄った町の孤児どもくらいには、いい思いをさせてやりたいじゃないですか。ここの教会に寄るのも久々なんです。おじさんに、格好つけさせてくれませんかね」

「そいつは無理だな。そもそも、俺は夜のうちにこの市を離れるつもりだ」


 若き文官は懐を探った。上等な革製の財布を、不機嫌な表情のままクゼに放る。

 大きな手が財布を受け止めると、詰まった金貨の重みが音を立てた。


「──お前がやれ」


 かすがいのヒドウは、二十代の前半にしてこう最高権力の一角を占める天才だ。その地位には彼自身が望まずとも莫大な権力と富がついて回り、今投げ渡した金貨程度は、出費に値するものですらない。

 だがきっと、とおのクゼが守りたい子供達にとっては、違うのだろう。


「……ありがとうございます、ヒドウ卿。あなたにしんの御言葉がありますように」

「やめろ。賄賂を渡してくるどころか、ここまで恥ずかしげもなく金をせびった聖職者は初めてだよ。直接話してみてつくづく思うが、お前……」


 ヒドウはクゼの姿を見た。闇夜の中では、クゼの長い黒衣はかえって浮かび上がるかのようだ。

 鍛え上げられた優秀な戦士であろうことは文官の身でも理解できるが、彼が単身で殲滅してきたという魔王軍や〝教団〟排斥の過激派の数は、それだけでは一切説明がつかない。常にただ一人で戦っているのだという。戦闘能力の正体を知る者も皆無だ。


「……本当に強いんだろうな?」

「ふへへ。もちろんですとも」


 とおのクゼは笑った。彼の瞳の奥には、自尊の色も情熱の炎もない。最強を自負する者にはまったく似つかわしくない諦観と疲弊だけが、その内にある。


「俺には天使がついてますからね」




 雨音は大きくなりつつあって、うっそうと茂る木々の葉を濡らしている。

 ヒドウと別れた後、クゼは町外れの壁のひび割れた建物の前に到着していた。救貧院を一人で切り盛りしていた神官は小二ヶ月前に肺炎で倒れ、隣の大きな市で治療を受けている最中だと聞いている。

 彼らを出迎えたのは、十八になる若い神官見習いの少女であった。


「クゼ先生! 何年ぶりですか」


 今の時間まで家事を続けていたのか、彼女は薄汚れた使用人服のままだった。六年前とは違って短く切り揃えられた髪を、クゼの大きな掌が撫でた。


「ふへへ。ただいまリペルちゃん。何年ぶりかなあ。お客さんが多くてさ、迷惑かけるね」

「いいえ、全然! アニダ先生も、こんな時に限って病気しちゃうんだから! 昔からあの人、間が悪くって……」

「知ってる知ってる。お茶でももらっていい? 俺はいいけど、もう一人いるからさ」

「もう一人?」


 リペルが、繰り返して呟く。クゼの背後から、細身の少女が顔を出した。露出の多い衣装を纏い、大きく開いた背中からは、脊髄に沿って細い糸のような器官が何本も伸びている。

 人間ミニアではない。少なくとも後天的な要因で、身体に手が加えられていた。

 少女は前髪に隠れていない片目で笑った。


「こんばんは。はじめまして。えっと、リペルちゃんかな」

「……はい。リペルです。二つ目の名はしものリペル。あの……あなたは?」

らんかいりょうれき


 無遠慮に玄関口に座って、濡れた長靴下を脱ぐ。ショートパンツから伸びた露わな白い素足を見て、神官見習いのリペルは目を逸らした。


らんかいりょうれきニヒロ。こちらのクゼさんに護衛してもらっているよ」

「護衛って」

「まあね。ここ最近はもう、寄付だけじゃ子供達を食わせていけなくてなあ。ふへへ。おじさんも教えに背かない範囲でね、こういう仕事もやってるわけ」

「クゼ先生。それ本当にお仕事なの? こんな女の子相手に……」

「おっ。まさかリペルちゃん、嫉妬してくれてる? 嬉しいねえ」

刊行シリーズ

異修羅X 殉教徒孤行の書影
異修羅IX 凶夭増殖巣の書影
異修羅VIII 乱群外道剣の書影
異修羅VII 決凍終極点の書影
異修羅VI 栄光簒奪者の書影
異修羅V 潜在異形種の書影
異修羅IV 光陰英雄刑の書影
異修羅III 絶息無声禍の書影
異修羅II 殺界微塵嵐の書影
異修羅I 新魔王戦争の書影