一節 修羅異界

十.静かに歌うナスティーク ②

「そういうのじゃないですから。ニヒロさん、建物案内しましょうか?」

「いやいや、お構いなく。クゼ先生と話したいこともあるからね」


 リペルは、玄関口に立ったままのクゼと、座り込むニヒロを見比べた。冴えない中年の男と、浮世離れした空気を纏う美女。外見では、一回り以上の年齢差がある男女であるが。


「やっぱり……」

「いや冗談だってリペルちゃん! 本当に護衛と依頼主ってだけ!」

「分かってますよ。ここにいた時からクゼ先生、そういう話とは全然縁がなかったですから」

「ふへへ。分かってもらえて悲しいねえ、ホント」


 リペルは使用人服の袖を見て、溜息を吐いた。


「……着替えてきます。私もこんな、汚れた格好だし」


 洗濯場の方へと去っていく彼女の後ろ姿を見て、ニヒロがふと口を開く。


「いい子だね」

「分かるもんかい? 知り合ってすぐの相手だろ」

「私の体について聞かなかったからさ」


 背中から伸びるの糸のような触手が、ニヒロの意志に沿って整然と動いた。


「〝教団〟には色々な事情の子が来る。おじさんだって昔は身寄りがなくて、養ってもらった孤児だったしさ。皆それが分かってるから、相手が言わない限りは、詮索したりしないもんだよ」

「へえ。今は身寄りがあるみたいな口ぶりだね」

「……あるとも。〝教団〟が俺の家族だ」

「くすくす。うらやましいな」


 少女は片目で笑う。


 らんかいりょうれきニヒロは、人間ミニアではない。

 白骨に生命を吹き込む骸魔スケルトンと類似する技術の一つに、肉や臓器を残したままの新鮮な死骸を加工し、生前とは異なる存在としてよみがえらせる魔王自称者の技が存在する。ニヒロは、屍魔レヴナントと呼ばれるぞくであり──戦争犯罪者としてこうに囚われの身にあった、大量殺戮である。






「……クゼも、私の素性を聞いたりしないね。こうを出発してからずっと」


 ニヒロは玄関前の椅子に腰掛け、素足をぱたぱたと揺らした。クゼは靴箱の方を向いていて、その中に収まった靴の数の少なさを見ている。


「いきなり何だ。聞いてほしいかい?」

「そうかも。──って言ったら?」


 聖騎士は、首の後ろを搔く。少女の方を向いて身を屈めた。


「もちろん、聞くさ。俺は正式な神官じゃないけど、告解を聞くのはしんに仕える者の務めだ」

「別に大したことじゃないよ。せっかく一緒に旅をしてくれてるのに、クゼとは世間話もあまりしたことなかったなって。こうが運んでるも私だって言ったら信じるかい?」


 ニヒロは目を細めて、玄関の向こう側を見つめた。

 遠くで鳥が羽ばたくような音があった。辺境のこの市の夜は、暗く、とても静かだ。


こうでは囚人扱いだったってことだけ聞いてる。こうして出られたのは、罪を償ったからか」

「違う」


 ニヒロは首を振った。


「釈放の代わりに、ヒドウを助けてあげる約束をしてるだけさ。私はじんぞくが大好きだからね」


 彼女はとうに滅んだ魔王自称者の兵器であって、かつてはこうの敵対者だった。〝教団〟のクゼと同じような時代の敗者として、ヒドウと取引を交わしている。


「それは冗談かい?」

「なんで? 本気で言ってるつもりなんだけどな」


 クゼはニヒロの椅子の隣、冷えた床板に腰を下ろした。


「じゃあ、もしも今、自由で……その約束がなかったとしたらどうだい」

「どうだろうね。くすくす。やっぱり戦ってたんじゃないかな。私は戦うために作られたし、それが一番得意だから。クゼはどうなんだい?」

「戦う必要がなかったら……どこかの教会に落ち着いて、農園を耕すなりしていたかもな。俺はやっぱり、こういうのは柄じゃあない……」

「君は向いていないね。クゼ」


 椅子の上から、ニヒロの片目がクゼを見下ろしている。それが死体の目であっても、高度な処理を施された屍魔レヴナントの瞳は生者以上に透き通っていて、みずみずしい。


「──さっきのリペルちゃんにも、後ろめたい気持ちがあったんじゃないのかい。君が〝教団〟の敵を始末して回っていることを、あの子は知っているのかな」

「いやいや……弱ったな。告解を聞く側が、逆に問い詰められてちゃ世話ないよ」

「君は武器を持っていないんだろう。クゼ」


 少女は、クゼの下ろした荷を見た。クゼの身長ほどもある、抽象的な天使の意匠が描かれた大盾である。表面にはいくつもの傷が刻まれていた。


「……誰かを傷つけるのを、本当は怖がってるように見える」

「おいおいおい。か弱いおじさんをあまりいじめないでくれ」


 クゼは座り込んだまま、降参を示すように両腕を上げる。


「……やっぱ……その、甘く見える? 戦うために作られたみたいな子から見たら、俺みたいな中途半端なのはさ」

「とんでもない。むしろそんな心構えでここまで生き延びてきた強さに興味があるんだ。君だって、私と同じように〝本物の魔王〟の時代を戦ったんだよね? 何人殺したんだい? どれだけ強い相手とやった? どんな技を、どこで身につけたの?」

「そんなもの……何の自慢にもならないさ」


 クゼはただ、生気のない苦笑を浮かべた。ニヒロの方ではなく、どこか虚空の一点を見ている。


「俺には天使がついてる……天使が俺を見てるから、死ななかった。それだけだ……本当に、それだけしかない」




 その夜の食卓は、いつも救貧院の同じ卓に並ぶものよりも、ずっと彩りに満ちていた。

 人数分の肉が皿に並び、パンも保存用の硬いものではなく、その日の昼に焼かれた柔らかいパンが供されていた。


「すごい!」

「水みたいなスープじゃないよ! 羊乳が入ってる!」

「クゼ先生が来たからだって!」

「明日の分に取っておいていい?」

「みんな静かに。暴れていたら、ごちそうも暴れてどこかに行っちゃいますよ!」


 思い思いに声を発する子供達をなだめて、リペルは申し訳なさそうにクゼを見た。


「……ごめんなさい、クゼ先生。ここが貧乏だから、余計な気遣いまでさせてしまって……」

「いいよいいよ。今はどこの教会も助け合いさ。リペルちゃんには、先生っぽいことは何もしてやれなかったしさ」

「……」


 ニヒロの前にも料理は置かれていたが、元より死者である彼女は事情を知らぬ子供の一人に呼びかけ、パンの皿を分け与えていた。


「ほら。小さな妹におかわりをあげるといいよ。私は、来る途中で食べてきてしまったからね」

「あ、ありがとう……お姉さん!」

「ふふふ。どういたしまして」


 子供達が笑い、それを見るクゼも笑った。何気ない表情だったが、これまでのような覇気のない笑いではなく、心の内からの笑いのようであった。


「なあリペルちゃん。商人さん達に貸し出す部屋の掃除、手伝わなくても大丈夫だったのかい」

「突然の話だったのに、よくあれだけの部屋の準備ができてたよね」

「ああ……それは、少し前にこうの部隊の方が、ここに宿営したことがあって」


 こうという名に、クゼとニヒロの二人ともが内心で反応した。彼らは今、こうとの無関係を装いながら新公国へと向かわなければならない。……だがこの輸送部隊とは別に、偶然にこの市を経由した部隊が既にあったのだ。


「そりゃ、続けざまに気苦労をかけて悪かったね」

「ううん。全然。今日の商人さん達はこう兵の人達と違って礼儀正しいし、足音もドタドタ立てたりしないし、逆に助かってるくらいで」


 同じくこうの兵でも、率いる者が違えばその性質も異なる。例えば、現在商人の身分を装っている第二十卿ヒドウの兵はヒドウ同様に上流階級の出の者が多く、礼節をわきまえている者が多い。


「その部隊はどうしてこんな辺境に? 気になるな、私」

「ええと……本当かどうかは分からないけど。ドラゴンを、討伐するって」

ドラゴンを?」


 ニヒロは、思わず尋ね返した。

 ドラゴン。人ほどの大きさに小型化し、群れを成すように進化した鳥竜ワイバーンとは異なり、無敵の竜鱗と災害に等しいじゅつブレスの力を備えた、原初の、本物のりゅうぞくのみがそう呼ばれる。当然、通常は人間ミニアの軍が討伐可能な存在ではない。


こう二十九官の、第六将ハルゲント様の部隊で……あのふすべのヴィケオンを倒すって、本人から聞いたんです。本当にそんなことができるかどうか、分からないけど」

「クゼ。ヴィケオンって?」

「伝承の時代からの黒竜だよ──いくつも国を焼いてる」

「そうそう。私は、クゼ先生に教わった昔話を覚えてたから」

「……そんなことも言ったっけなあ。どっちにせよ、第六将サマは随分と大それたことをするな」

刊行シリーズ

異修羅X 殉教徒孤行の書影
異修羅IX 凶夭増殖巣の書影
異修羅VIII 乱群外道剣の書影
異修羅VII 決凍終極点の書影
異修羅VI 栄光簒奪者の書影
異修羅V 潜在異形種の書影
異修羅IV 光陰英雄刑の書影
異修羅III 絶息無声禍の書影
異修羅II 殺界微塵嵐の書影
異修羅I 新魔王戦争の書影