国王フランシスのたくらみ ③
エルシーが足を止めると、こちらへ歩いてきていた金髪の女性も足を止めた。彼女の後ろをついてきた二人の女性──おそらく侍女だろう──とは、ダーナもドロレスも面識があるようで互いに会釈をしている。
金髪の女性は、じろじろとエルシーを眺めて薄く笑った。
「まあ、みすぼらしい格好」
エルシーは思わず自分の着ていたものに視線を落とした。
今着ているのは、配給された布地で作ったシンプルなワンピースだった。光沢のある白地の生地だが、襟元とスカートの裾部分に、ドロレスが青い花の刺繍を刺してくれて、それがあまりに可愛かったから、エルシーはすごく気に入っている。だが、金髪の女性が着ている派手なドレスを前にすれば、やはり
(みすぼらしいとは思わないけど、まあ……、シンプルよね)
彼女の豪華なドレスと比べるとどうしても見劣りするのは否めない。
「ねえ、あの方どなた?」
エルシーが小声で訊ねると、ダーナが彼女の耳元に口を寄せた。
「クラリアーナ様です。クラリアーナ・ブリンクリー公爵令嬢でございます。陛下のはとこでもいらっしゃいます」
「お妃候補よね?」
「はい。一番右の建物にお住まいです」
「つまり……一番偉い人?」
「偉い……といいますか、まあ、ええっと、一番身分の高いかたですね」
身分が高いことと偉いことの違いがわからなかったが、クラリアーナ・ブリンクリー公爵令嬢が何かすごそうと言うのはわかった。
ふむふむとダーナの説明に頷いていると、クラリアーナがムッとしたように眉を寄せる。
「何をこそこそとしゃべっていますの!?」
さすが身分の高いお姫様。ぴしゃりとはねつけるような言い方に迫力がある。
(それにあのドレス、すごいのよねー)
エルシーはシンプルなワンピースしか作れないが、クラリアーナは相当な裁縫の腕前があるのだろう。彼女が着ているドレスはまるでプロが作ったように縫製が細かい。どうやって作るのだろうか。知りたい。訊いていいだろうか。うん、訊こう。
「あのぅ……」
「だからなんですの?」
「そのドレス、どうやって作るんですか?」
「……は?」
「「お妃様!?」」
突然ドレスについて質問をしたエルシーに、ダーナもドロレスもギョッとした。
クラリアーナもぽかんと目を丸くしている。
「もっと近くで見ていいですか? 失礼しますね」
「ちょ……!」
ふらふらと吸い寄せられるようにクラリアーナに近づいたエルシーは彼女の周りをぐるぐると回り、袖口にそーっと手を伸ばして、キラキラと瞳を輝かせた。
「すごい。ここどうやって縫ってるんですか? 布が三枚重なって……あれ?」
「ちょ、ちょっと!」
クラリアーナは
「ちょ、お妃様!」
いち早く我に返ったダーナが止めに入るが、彼女に止められても、エルシーは止まらなかった。
尊敬のまなざしでクラリアーナを見つめて、祈るように両手を組む。
「本当にすごいです。どうやって作ったんですか? 教えてください。わたくしもダーナやドロレスに素敵なドレスを作りたいです」
クラリアーナは見る見るうちに顔を真っ赤に染めると、怒ったように声を荒らげた。
「いっ、嫌よ! 何をおっしゃっているの!? 信じられないわ!」
ふんっとそっぽを向かれて、エルシーはしょんぼりと肩を落とした。
「そうですよね。こういう技術ってきっと門外不出なんですよね。諦めます……残念ですけど」
「お妃様、諦められたのなら、クラリアーナ様の袖から手を離してください」
しっかりとクラリアーナのドレスの袖を握りしめていたエルシーは、ダーナに言われて渋々袖から手を離す。
クラリアーナが警戒するようにエルシーと距離を取って、じろりと睨んできた。だが、まだ顔が赤いからちっとも迫力がない。
「あなたでしょう? 毎朝礼拝堂を掃除しているというこざかしい妃候補は」
エルシーはきょとんとした。ここでは、礼拝堂を掃除することは「こざかしい」と言われる行為なのだろうか。
(だからみんな礼拝堂の掃除をしないのね)
ようやくほかの妃候補が誰一人として礼拝堂の掃除をしない理由がわかって、エルシーは「なるほど」と頷いた。けれど、こざかしいと言われても、こればかりはやめるつもりはない。なので、エルシーは素直に謝罪した。
「すみません。こざかしい行為だとは知らなくて。でも、礼拝堂の掃除をすることは日課ですし、女官長のジョハナ様も大丈夫だとおっしゃったので、お許しいただきたいのですけど」
エルシーがそう言い返すと、クラリアーナはひくっと頰を引きつらせる。
「まあ、さっきといい、今といい、なんて礼儀知らずな方かしら!」
(え? 今もさっきも、礼儀知らずだったの?)
どのポイントがダメだったのだろう。ケイフォード伯爵家で教わった淑女教育は付け焼刃で、本当に重要なことしか教わらなかったから、細かいことはよくわからない。
(どこがダメだったのか、あとでそれとなくダーナとドロレスに訊いてみよっと)
エルシーが間違った行動を取ると、あとあと入れ替わったときにセアラが苦労することになるし、それが知られるとケイフォード伯爵が修道院への寄付を取り下げてしまうかもしれない。
「それで、今日の掃除は終わったのかしら。終わったならさっさと立ち去っていただきたいのだけど。わたくし、これから礼拝堂に用があるの」
(礼拝堂に用があるってことはお祈りしてくださるのかしら。クラリアーナ様っていい方ね)
そういうことなら、邪魔にならないように退散すべきだろう。掃除もお祈りも終わったあとで、どのみち帰ろうとしていたのだから問題ない。
エルシーは頷いて、クラリアーナの脇を通り抜けようとした。
「お待ちなさい!」
しかし、立ち去ってほしいと言ったから去ろうとしたのに、クラリアーナに呼び止められる。
「わたくしを無視するとはどういうつもり!?」
別に無視したつもりはなかったのだが、これもいけなかったのだろうか。エルシーは途方に暮れつつ、クラリアーナに向きなおって無言で頭を下げた。
そして再び歩き出そうとすると、またもやクラリアーナに呼び止められる。
何が正解かわからずダーナとドロレスを見たけれど、二人ともびっくりするくらいの無表情で、助言は得られそうもなかった。
「わたくしはブリンクリー公爵令嬢よ!」
彼女がブリンクリー公爵令嬢なのはさっきダーナに聞いたから知っている。
(ええっと、わたくしも名乗れってことなのかしら? でもさっき失礼って言われちゃったし、不用意なことは言わない方がいいと思うのよね)
何が正解かわからない以上、黙っておくのが賢明だと思うのだ。
困った顔で無言を貫いていると、クラリアーナは眉を
「なんとか言ったらどうなの!? なんて失礼な女なのかしら!」
今度は何も言わなかったからいけなかったようだ。貴族社会の礼儀って難しい。
「……ええっと、話しかけてよろしかったんですか?」
「なんですって!?」
「先ほど、礼儀知らずと言われたので、話しかけちゃダメなのかなって……」
礼儀知らずと言われたくないから黙っていたと言えば、クラリアーナの顔に朱が差した。ふるふると肩が小刻みに震えている。
「なんて……なんて無礼な女なのかしら!! もういいわ!! 行きましょう!!」
クラリアーナはヒステリーに叫んで、くるりと
クラリアーナがどうして怒ったのかがわからずにエルシーは途方に暮れたが、ダーナとドロレスが「帰りましょう」と言ったので、住まいに帰ることにした。
エルシーが使っている建物の玄関に入ると、それまで黙っていたダーナが憤然と口を開いた。
「まったく、なんだったんでしょうか、あれは!」
エルシーはきょとんとした。
「どうかしたの?」
「どうかしたのじゃありませんよ! クラリアーナ様のことです!」



