国王フランシスのたくらみ ④

 腹が立たなかったのかと訊かれて、エルシーはさらにきょとんとした。クラリアーナを怒らせたのはエルシーの方だ。エルシーが怒るのは筋違いではないだろうか。そんなことを思っていると、ドロレスが嘆息しながら言った。


「あの方はお妃様候補筆頭ですけど……、少々性格に難があると言いますか。あの方につかされたリリナとサリカも苦労しますわね」


 リリナとサリカは、先ほどクラリアーナのそばにいた侍女二人の名前らしい。侍女たちの誰がどの妃候補につかされるかは、最終的には公平にくじ引きで決められたのだそうだ。


「でも、わたくしが悪かったんでしょう? 礼儀知らずって言われたし」


 掃除道具を片づけながら言えば、ダーナとドロレスがびっくりしたように目を丸くした。


「まあお妃様もいきなりドレスについてあれこれ質問なさいましたけど……だからってあれを許せるんですか?」

「お妃様に失礼と言う前に、あの方はご自身の無礼さを省みるべきですわ」

「でも、クラリアーナ様って一番偉いお妃様候補なんでしょ?」


 偉いんだからしょうがないと言えば、ダーナとドロレスがそろって嘆息した。


「さっきは説明している暇がございませんでしたが、厳密に言えば、クラリアーナ様が一番偉いわけではありません。確かに身分は一番高いご令嬢ですが、お妃様候補たちはここにいる間は全員が平等に扱われるルールなんです。身分の上下で蔑まれることはありませんし、それをしてはいけないことになっています。ですのでお妃様はクラリアーナ様と同等の立場でいらっしゃるんです」

「ふぅん?」

「その顔、わかっていらっしゃらないですよね?」

「ええっと……半分くらいはわかったわ。クラリアーナ様はわたくしよりも身分は高いけどここでは平等だから、ここでならドレスの製法を訊いても失礼にならないってことよね?」

「どこからドレスが出てきたんですか!」


 はあ、とダーナが額を押さえた。

 ドロレスがくすくすと笑い出す。


「なるほど、お妃様のさっきのあれは、本心から礼儀を気にしての発言だったんですのね。ふふふ、わたくし、お妃様が痛烈ないやを言ったのかと思って、少しハラハラしてしまいましたわ」

「そうね。……でも、あれはちょっと、すっきりしたわね」


 ドロレスが小さく笑うと、ダーナも頷いて口角を上げる。

 そのままドロレスとダーナがくすくすと笑いだしたけれど、エルシーはなんのことかさっぱりわからず、首を傾げた。


「よくわからないけど、わたしは間違いは犯さなかったのね?」

「いきなりドレスの製法を訊ねるのは問題ですが、ほかは問題ありませんでしたよ」


 なるほど、ドレスの製法をいきなり訊ねたらダメなのか。


(でもあとは問題なし、と)


 ひとまず、それだけわかれば充分だろう。

 エルシーは掃除道具を片付け終わると、洗濯に取りかかろうと裏庭へ向かった。

 ダーナとドロレスも手伝おうとしてくれたけれど、これはエルシーの趣味のようなものなので丁重に断って、代わりに、昨晩仕上がったばかりの紺地のワンピースの刺繍をお願いする。

 ダーナとドロレスは、生地だけよこして自分で服を作れと言われることが不満で仕方がないようだが、びっくりするほど上等な生地がたくさん用意されているのだ。楽しくなったエルシーは、あいている時間のすべてを裁縫に充てている。

 クラリアーナが着ていたような豪華なドレスは作れないけれど、いくつかの着替えができたら、少し凝ったデザインにもチャレンジしてみたい。

 井戸から水を汲んでたらいに移しながら、エルシーは身代わりになれと言われたときはどうしようかと思ったけれど、この調子なら残り二か月も平穏にすごせるかもしれないと思った。

 そう、思ったのだが。

 ──エルシーに衝撃が走るのは、翌朝のことだった。




(なに……これ……)


 エルシーは茫然としていた。

 朝の日課の礼拝堂の掃除。

 今日も今日とてピカピカに磨き上げようと気合を入れて向かった礼拝堂で、エルシーは大きく目を見開いた。

 エルシーの後ろで、ダーナとドロレスも息をんでいる。


「なんでこんなことに……」


 昨日丁寧に掃除をした礼拝堂の中は、まるでここだけ嵐でも来たのかと思うほどの大惨事だった。

 大理石の床は泥で汚され、長椅子の上にはゴミが散乱している。

 グランダシル神の像には赤い絵の具で落書きがされていて、見るも無残な状態だ。

 壁も同じように赤い絵の具がべったりと付着している。


「わ、わたくし、ジョハナ様にご報告して参ります!」


 ダーナがはじかれたように踵を返して駆けだした。

 ドロレスが茫然としているエルシーの肩にそっと手を置き、「一度戻りましょう」と言ったけれど、その言葉はエルシーの耳には入らなかった。


「誰が……こんなことをしたの……」


 その、地をうような低い声に、ドロレスがびくりと肩を揺らした。


「お、お妃様……?」

「誰が、こんな罰当たりなことを……こんなひどいことを、したの?」


 エルシーの肩がぷるぷると震える。

 ふつふつと腹の底から湧いてくるのは怒りだった。

 礼拝堂は、幼いころに修道院に捨てられたエルシーにとって心のよりどころだった。いつも神様が見守ってくださっていますよというカリスタの言葉を支えに、神グランダシルに祈ることで淋しさや悲しみをやりすごした。その、大切な神様の家に、像に、なんて仕打ちをするのだろう。


(許せない……)


 基本的に温厚な性格をしているエルシーだが、礼拝堂を汚されることだけは断じて許すことができなかった。


(犯人は誰? 誰がこんなことをしたの?)


 捕まえて、自分が犯したことを悔い改めさせなければ。

 目には目を歯には歯をという報復的な考え方は、シスターにはご法度だ。エルシーもシスターになると決めたときから、カリスタにそう教わってきたけれども──こればっかりは、どうしても許せなかった。捕まえて反省させなければ気がすまない。


(落ち着いて……犯人を捕まえるにしても、礼拝堂をこのままにはしておけないわ。まずは掃除しないと。ああ、掃除道具がこれだけでは足りないわね。あの絵の具を落とすにはせっけんが必要だわ。ジョハナ様に頼んだら用意してくれるかしら?)


 一度冷静になろうと、エルシーは深呼吸をくり返す。

 ここで怒っていても、礼拝堂はれいにならない。掃除が先だ。早く、神様の家を綺麗にしなくては。

 八回ほど深呼吸をくり返して、どうにか怒りを押し殺したエルシーは、バケツの中に入れていた雑巾をぎゅっと絞った。


「お妃様?」

「掃除……掃除しましょう」

「え!? でも、この状況ですよ!?」


 泥を掃きだすだけでも一苦労だとドロレスは言うけれど、たとえそうだとしても、このまま立ち去ることはエルシーにはできなかった。


「服が汚れてしまいます!」

「汚れたらあとで洗えばいいわ。礼拝堂をこのままにしておく方が問題よ」

「でも!」


 ドロレスが止めようとするけれど、こればかりは従うわけにはいかなかった。

 絞った雑巾で、礼拝堂の扉につけられた赤い絵の具を拭きとろうとするが、やはりべったりとつけられた乾いた絵の具はそう簡単に落ちそうもない。

 それでも必死に磨いていると、ジョハナと、それから数人の男たちを連れたダーナが戻ってきた。その男たちの中には見知った人もいて、エルシーは目を丸くする。


「まあ、トサカ団長」


 うっかり、こっそり呼んでいたあだを口から滑らせてしまって、エルシーはハッとしたけれどもう遅かった。

 やってきたトサカ団長──もとい、第四騎士団の副団長クライドは、あきらかにそれが自分に向けられての言葉だと気が付いたようで、ひくりと頰を引きつらせた。


「トサカ……団長?」


 エルシーはついと視線をらしたが、クライドの突き刺さるような視線が痛い。

 内心冷や汗をかきながらどう誤魔化したものかとエルシーは悩んだけれど、その答えが出る前に、礼拝堂の中を覗き込んだジョハナが悲鳴を上げた。


「まあ! なんですかこれは!? 誰がこのようなことを!」


 ジョハナも犯人に心あたりがないらしい。

 クライドをはじめとする騎士団の面々も啞然として礼拝堂の中を見渡している。

刊行シリーズ

元シスター令嬢の身代わりお妃候補生活2 ~神様に無礼な人はこの私が許しません~の書影
元シスター令嬢の身代わりお妃候補生活 ~神様に無礼な人はこの私が許しません~の書影